21.初めての夜
ダビドからエドガルドの有能さを聞かされていた。何よりルシエンテス公爵が大切な娘の結婚相手として選んだ男だ。侮っては駄目だということは重々わかっていたはずなのに、彼の平凡な佇まいについ油断していたらしい。トニアはエドガルドに嘘を信じ込ませるのは無理だと判断した。
彼女にできるのはこれ以上リカルダを巻き込まないことだけだ。そして、弟であるオレガリオを守りたい。
「すべて私が計画したことで、罪は私だけにあります。心優しいリカルダ様は同情心から私を侍女として匿ってくださっただけなのです。元よりどんな罪でも受ける覚悟はしております。しかし、弟に類が及ばないように、トリニダードであることは隠しておいてくださいませんか? お願いです」
「違います! ドレスを切り裂いたのも、コルセットを外したのもわたくしです。わたくしを陥れようとした者たちに反撃するのが罪というのならば、甘んじて罰を受けましょう」
罪を一人で背負うつもりのトニアだったが、その言葉に被せるように、リカルダは毅然とした態度で告白を始めた。
「な、なぜ、そんな無謀なことを?」
嫋やかな淑女然としたリカルダからそのような言葉を聞き、予想していたとはいえ、エドガルドは動揺を隠せない。
「少し脅し過ぎたせいか、フアニートが逃げ出したからです。あのままでは、罪を悔いてわたくしを助けようとしたとして、フアニートは軽い罪で済まされてしまう恐れがありました。ですので、彼がわたくしを襲ったかのように偽装し、騎士たちに発見されるのを待ちました」
「騎士とはいえ、彼らも男なのですから、危険だとは思いませんでしたか?」
いくら何でも無謀過ぎるとエドガルドは思う。だからこそ、誰もリカルダを疑わなかったのだと納得はした。普通淑女が自らのドレスを切り裂くなどと思いもしない。
「騎士たちには肌は見せておりません。シーツを体に巻き付けておりましたので」
全く不安はなかったと言えば嘘になる。それでもリカルダは許せなかった。
王太子を手に入れるためにリカルダを嵌めようとしたアルマ。王太子の地位を守るために、婚約者であったリカルダに瑕疵をつけ有利に婚約を破棄しようとした王太子。そして、十六歳の乙女を騙してサルディバル子爵一家を破滅に導いたフアニート。彼らへの怒りが恐怖を凌駕していた。
「リカルダ様がご無事で本当に良かった」
安心したようにエドガルドが軽く笑顔を見せた。彼もまたかなり緊張していたらしい。
「わたくしを告発なさるのですか?」
「まさか。あの事件はもう終わったことですから。リカルダ様を陥れようとした者たちが自らの行いの報いを受けた。真実はそれだけでしょう?」
不安そうなリカルダの問いに、微笑みながらエドガルドが答える。最初から公にするつもりなどなかった。ただ確かめたかっただけなのだ。
「それにしても危険なことをしましたね。王太子の婚約者であったリカルダ様の誘拐事件ですから、もしトニアが捕まったら無事では済まなかったはずです。最悪処刑もあり得ました」
自らの命をかけてでも、フアニートを破滅させたかったトニアの気持ちは理解できるが、それでもエドガルドは危険な賭けだと感じている。
「当初はフアニートの隙をついて逃げ出し、騎士団に駆け込む予定でした。トニアは夫の虐待に耐えかね逃げてきたとして、修道院を頼る手筈になっていたのです。万が一その前にトニアが捕まったとしても、フアニートからわたくしを守ってくれた恩人だと証言するつもりでした。そして、トニアと一緒に修道院へ行くと涙ながらに願い出れば、父だってトニアを処刑しろとは言わないでしょう?」
それは真実だろう。リカルダの涙にはそれくらいの効力はあるとエドガルドは感じている。
「なるほど。状況は把握しました。しかし、これからはこんな無謀なことはお控えください。私に相談していただければ、もっと安全な策が提案できるかもしれませんので。それから、あの孤児院の子どもたちに、私と同じ質問をする者がいれば、今度は肯定しておいてほしいと伝えておきました。それが貴女のためになると言えば、皆納得してくれましたよ。今後は誰が調べてもトニアは二年間修道院で暮らしていたと信じるでしょう」
にっこりと笑うエドガルド。トニアはやはり油断できないと感じたが、恩人には違いない。
「ご配慮ありがとうございます」
トニアは素直に礼を返すことにした。
「リカルダ様、私との結婚をどうされますか? 公爵閣下がこの結婚を決めたのは、元々私には継ぐ爵位がなく妻の純潔を問われることがないためでしょう。医師の診察を受ければ純潔であると証明されるでしょうし、閣下ならもっと良い結婚相手をお探しになるはずです。爵位も領地も貴女に与えられたものですので、離縁したいとお考えなら、今すぐにでもここから出ていきます」
リカルダがとても優しい女性だとエドガルドは知っている。領地に赴いた彼を気遣い、誕生日の贈り物が安っぽい花束や小汚い宝石箱でも喜んでくれた。
困っている領民のために手持ちの金を全て差し出し、その上、自らの手でキルトを縫い領地まで届けるような女性だ。
孤児たちからもあれほど慕われている。リカルダは申し分のない淑女なのだ。
だからこそ、エドガルドは彼女から離れたいと思う。リカルダに後悔してほしくなかった。エドガルドとの結婚を後悔していると知るのが辛いと感じてしまうのだ。
リカルダには誰よりも幸せになってほしい。だが、平凡な自分では彼女を幸せにはできないとエドガルドは諦めていた。
アルマから受けた誹りと裏切りは、今なおエドガルドの胸を抉っている。
「このようなことをしでかしたわたくしを妻と呼ぶことはできないと、旦那様はお考えですか?」
エドガルドから出た離縁という言葉はリカルダにかなりの衝撃を与えた。そして、自らの仄かな想いに気がつく。これからもエドガルドの妻でありたい。彼以外の男性の妻になるのは嫌だ。そう感じたのだ。
しかし、その感情を表に出すことなく、努めて冷静を装いながらリカルダはエドガルドに訊いた。
「とんでもない。リカルダ様ほど素晴らしい女性はいない。どんな男でも妻にと望むでしょう。しかし、私は貴女に相応しくありません」
自らそれを認めるのは、己の分を知っているエドガルドにとっても辛いことだ。しかし、誰が見ても不釣り合いな取り合わせだと感じるのは事実だった。
美しい公爵家の姫君と平凡な子爵家の次男。普通ならば結ばれることなど絶対にない。
「父は結婚を強要しませんでした。旦那様との結婚を決めたのはわたくし自身です。その選択が誤りだったとおっしゃるのですか? わたくしは貴族女性として、伯爵夫人としての役目を立派に果たそうと思っております。その決意を旦那様は否定されますか?」
リカルダの眼差しはとても強く、だからこそ魅惑的だった。エドガルドはその目に魅入られたように首を横に振る。
「いいえ」
「それでは、旦那様も貴族男性として覚悟を決めてください。血を繋ぐのはわたくしたちの義務ですので、今宵寝室でお待ちしております」
エドガルドに対して義務以外の想いを感じているリカルダだが、抱いてほしいと口にするのは乙女として抵抗があり、義務だからと押し切ろうとしている。
「いや、私は男だから覚悟するようなこともないが。リカルダ様は本当に私でよろしいのですか?」
もちろん、エドガルドにそんな乙女心が理解できるはずもない。しかし、たとえ義務だったとしても、夫として身を任せようとしてくれるリカルダの想いは嬉しかった。




