表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
2/33

2.裏切られた男

 数々の女性と浮名を流してきたフアニートは、王太子に裏切られたと知ったリカルダなら簡単に落とすことができると思っていた。だから、無理やり迫るつもりはない。リカルダが自分との逢瀬のため休憩室にやって来たと噂されるだけで十分だったのだ。

 今回の話はアルマから持ち掛けられたので、何故かリカルダを目の敵のように嫌っているアルマに適当に合わせていたが、フアニートは特にリカルダに悪感情を抱いてはいない。それどころか、若くて美しく、父親は大臣を務める公爵。結婚相手としてこれほど優良な女性はそういないと思っている。


 差出人不明の手紙でこの部屋に呼び出された。フアニートはリカルダにそう伝えるつもりにしていた。全て王太子の策略だと匂わせ、ショックを受けるだろうリカルダを優しく慰めて、新しい婚約者に納まろうと考えていたのだ。

 

 それなのに、部屋にやって来たリカルダがフアニートを見て驚いている間に、顔を見たことがあるアルマの侍女が現れて、リカルダの口と鼻にハンカチを押し付けてしまった。そのハンカチには何かの薬物が染み込ませているらしく、リカルダは体から急に力が抜けたようにふらつく。そんなリカルダをどうにか支えた侍女は、茫然としているフアニートを振り返った。

「馬車を待たせてあります。ついてきてください」

「ちょっと待て! リカルダをどこへ連れて行く気だ。アルマからそんなことは聞いていないぞ!」

 突然の侍女の行いに焦ったフアニートは、思わず大声を出してしまっていた。しかし、リカルダは驚く素振りも見せず、ぐったりとして侍女にもたれかかっている。


「フアニート様、お静かにしてください。人が来れば面倒なことになります。とにかく、さっさとこの女を連れ出しますよ。舞踏会で気分が悪くなった女性を送ると言えば、王宮の門番もすんなりと通すでしょう」

 侍女は感情のこもらない冷たい声でフアニートを促した。事情はわからないものの、ここで騒ぎ立てるのは不味いことだけは理解したフアニートは侍女の後に続く。



 三人は王宮の門番に怪しまれることもなく無事外に出ることができた。

 門近くには黒い馬車が停められていて、侍女がリカルダを抱えるようにして乗り込んだ。

 馬車までは侍女に肩を貸してもらいどうにか歩いていたリカルダだったが、馬車の座席に座らせられた途端に気を失うように横になった。急に目が覚めて逃げ出すことを阻止するためか、侍女が横に座ってリカルダの頭を膝に乗せる。

「早く乗ってください」

 どうしようかと迷っていたフアニートだったが、侍女に促され馬車に乗り、リカルダたちの前の座席に腰を下ろす。

 すると、馬車が静かに動き出した。

 


「どこへ行くつもりだ?」

 不安そうな面持ちでフアニートが侍女に聞いた。全くの想定外の事態に思考が追い付いていない。

「お嬢様が用意した古い館がございます」

 何の感情も見せずに侍女は答える。

 お嬢様とはアルマのことだと理解できたが、なぜ彼女がこんなことをするのかフアニートには想像もできなかった。

 確かに、婚約者以外の男と一夜を共にしたとなれば、リカルダは王太子妃となる資格を失ってしまうだろう。しかし、下手をするとフアニートは婦女誘拐の嫌疑をかけられてしまうのだ。リカルダから誘われたと言い募っても、信じてもらえるかはわからない。

たとえ世間に信じてもらえたとしても、リカルダからは確実に嫌われるだろう。同意もなしに薬物を使って攫ってきたのだから。


 だが、どんな理由があろうとも、このまま一夜を明かしたのなら、リカルダにはもう自分と結婚する以外の道は残されていない。これで良かったのかもしれない。フアニートは不安な気持ちに蓋をして、そう自分に言い聞かせていた。



 夜道を慎重に進んでいた馬車は、日付も変わろうという時間にやっと停止した。

 馬車を降りたフアニートの目の前には、侍女の言葉通り古い館があった。長期間使われていなかったらしく、庭には背の高い雑草が生い茂っている。しかし、堅牢に作られているのか建物自体はそれほど傷んではいない。


 馬車が止まったせいでリカルダは目が覚めたらしく、侍女に助けられながら馬車を降りてきた。まだ意識がはっきりとしていないのか、足元はおぼつかない。フアニートはリカルダの手助けをしようとしたが、侍女はそれを拒否するように、リカルダを支えながらさっさと歩き出す。

「ランプをお願いします」

 立ち止まったままのフアニートに侍女が声をかけると、彼は慌てて馬車にかけられていたランプを持ち、侍女に続いて古い館に入っていく。


 一階の客間らしい部屋に置かれたベッドには、あらかじめ侍女が用意していたのか真新しいシーツがかけられていた。古びた室内でそこだけが新しく、かなり異質に感じさせていた。

 侍女はそのベッドにリカルダを横たえさせる。まだ薬物が効いているのか、リカルダは再び目を閉じた。


 ランプを壁にかけたフアニートは、所在なさげに古いソファに腰をかけた。

 侍女は何も喋らない。しかし、この部屋を出ていくことはなく、ベッド脇にあった木の椅子をベッドと並行に置きなおした。そこに座るとリカルダとフアニートの両方を監視できる位置だ。

 侍女が前もって用意していたのか、ベッドヘッドボードに置かれていた短剣を手にして椅子に座る。



 静寂の中、リカルダの小さな寝息だけが聞こえていた。

 

 フアニートはどうしたものかと悩んでいた。

 じっとこちらを睨んでいる侍女の隙をついてリカルダを助けるのは無理なようだ。侍女と争いにでもなれば、手にした短剣でリカルダを傷つけるかもしれない。そうなれば彼の罪も重くなる。それに、自身が傷を負うのも嫌だった。

 だからといって、このままここから逃げてしまえば、リカルダ誘拐の首謀者にされかねない。

 こんな事態を引き起こしたアルマに内心で毒つきながら、フアニートは座ったまま動けないでいた。


 


 どれほどの時間が経ったのだろう。ようやく薬物の効果が切れたらしく、リカルダがゆっくりと目を開ける。やがて、その緑色に輝く美しい目に光が戻り、リカルダは薄汚れた部屋を見渡した。たったそれだけで、事情を察したらしく、リカルダはフアニートの方に目を向けた。

「あの休憩室にいらした方ですわね。わたしくしを汚すように頼まれましたの? 命じたのは殿下と噂になっているあのお方でしょうか? わたくしを呼び出した殿下もご存じなのですね」

 辛そうに閉じられた目から一筋の涙が流れ、リカルダの頬を伝っていく。

「いや、違う! 確かに命じたのはアルマだが、僕は君を汚すつもりなどないから! 殿下に裏切られた貴女を救いたかっただけだ」

 ランプの薄暗い中でも、リカルダの美しさは損なわれていなかった。美少女の涙に目を奪われながら、フアニートはとにかく必死でリカルダに訴えた。


「お気の毒に。愛しい女性のためとはいえ、犯罪に手を染めてしまうなんて。でも、命を捧けるほどの情熱的な愛、少し羨ましいですわね。わたくしは、婚約者にさえこうして裏切られてしまいましたのに」

 横になったまま、リカルダは痛ましいものでも見るような眼差しをフアニートに向けた。

「い、いや、命を捧げるようなつもりはないが」

 フアニートは慌てて首を横に振る。死ぬつもりなどない。

「でも、ご存じだとは思いますが、わたくしは公爵家の娘ですのよ。誘拐してただで済むとお考えになったわけではありませんでしょう?」

「ち、違う。君を攫ったのはそこにいる侍女で、僕は巻き込まれただけなんだ」

 フアニートは誘拐したことを慌てて否定した。どうにかして誘拐に関わっていないとリカルダに信じさせることができないかと考えを巡らせている。


「私はお嬢様とフアニート様に命じられ貴女をここまでお連れしただけです」

 声を震わすこともなく、侍女は冷静に答える。

「でしょうね。見ず知らずの侍女が私を誘拐する理由はありませもの。それに、はっきりとは覚えていませんが、彼女は私を大切に扱ってくれましたから」

 侍女の言葉を信じたように、リカルダは大きく頷いた。

「本当に違うんだ。その女に命じたのはアルマで、悪いのは全てアルマだ! とにかく人を呼んでくるから待っていろ。僕は君を助けるからな」

 攫った侍女と攫われたリカルダを二人残すことに躊躇いも見せず、フアニートは部屋を出ていく。


 フアニートが外に出ると、玄関に停まっていたはずの馬車は見当たらず、辺りは闇に包まれていた。それでもフアニートは走り出す。とにかく誘拐犯に仕立て上げられるのは避けなくてはならない。

 自分はアルマに嵌められたのだ。こうなれば騎士団に行ってアルマの罪を告発して、自分は無関係だと証明するしかない。その思いで王宮の方角を目指してフアニートはひたすら走った。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ