18.旦那様がいない
リカルダの誕生日の前日、昼をいくらか過ぎた頃に領地へ赴いていた一行が無事戻ってきた。
少しでも早くエドガルドたちを労いたいとの思いで、使用人たちと一緒にリカルダも玄関ホールで出迎えることにする。
エドガルドから手紙の返事が何度か届いたので、彼が無事であることも、領地が順調に復興しつつあることもリカルダは知っている。それでも、エドガルドの顔を直接確認するまで安心できなかった。
エドガルドに同行したのは屈強な男たち。ルシエンテス公爵家の護衛から厳選された優秀な者たちだ。彼らと同じ行動をするためには、文官のエドガルドはかなり無理をしたのではないかとリカルダは思っている。
リカルダがエドガルドとの結婚を決めたのは、結婚に価値を見出すためだ。困窮する領地を救うためという大義名分がどうしても必要だった。嫁ぎ先に困り、妥協して意味のない結婚をするなど受け入れることができなかったから。それくらいなら修道院へ行った方がましだと考えていた。
エドガルドが荒れる地へ行ったのは、リカルダが領地を救ってほしいと願ったからだ。ほとんど顔を合わせることもなく夫婦となり、体さえ重ねていない。そんな書類上の関係とはいえ、妻の願いを叶えようと努力する夫を気遣うのは当然だった。
「リカルダ様、ただいま戻りました」
家令がドアを開けると、先頭に立っていたのはダビドであった。その後ろには十人の護衛。先だって領地に入っていた二十人の護衛の半数が戻ってきていた。残りの者は領地の治安維持に当たるために残っている。
「旦那様は?」
リカルダが目を凝らしても、エドガルドの姿はどこにもない。
まさか、エドガルドの身に何かあったのか? 怪我や病気なら彼を放ってダビドと護衛だけが戻ってくるはずない。もっと深刻な事態なのかと、リカルダは真っ青な顔になる。
「リカルダ様、ご安心ください。エドガルド様は王都まではご一緒でした。気になることがあるので調べたいと、単身で調査に向かわれたのです。リカルダ様の誕生日である明日には必ず戻るとおっしゃっておいででした」
「そうなのね? 良かった。気になることって、王宮の方のお仕事かしら?」
エドガルドが無事だと聞いて、リカルダの緊張が一気に緩んだ。そして、結婚前も激務だったと聞いているのに、結婚休暇中にも働かせるつもりなら、エドガルドの上司である父に抗議してやるとリカルダは決意していた。
「おそらくは、サルディバル子爵殿の件ではないかと思われます。エドガルド様は、三年前に起こった謀叛事件がパスクアルの謀であったと証明するおつもりのようです」
期せずして父の名を聞き、リカルダの後ろに控えていたトニアは声を上げそうになるが、何とかこらえた。トニアがサルディバル子爵の娘であると知っているリカルダも驚く。一体領地で何があったのだろうか?
しかし、玄関先でする話でもなく、疲れているだろうダビドや護衛たちを立ちっぱなしにすることもできない。
「本当にご苦労様でした。十分に体を休めてくださいね」
リカルダは護衛たちを労い、その場を解散した
サロンに移動したリカルダはダビドから詳しい話を聞くことにした。普通使用人が主人と同席することはないが、長旅を終えてきたダビドを気遣い、リカルダは着席を命じる。しばらく躊躇していたダビドだが、長い報告になるだろうと思い、素直に座ることにした。
トニアは二人分の茶の用意を始める。
「誠に鮮やかな手腕でした。エドガルド様は領地に入ってすぐに反乱兵を率いていた頭目を味方につけ、翌日には奪略を繰り返していたパスクアルの私兵たちすべてを捕らえました。たった二日で勝負を決めてしまわれたのです。あのお姿故か、警戒されることなく懐に入り込むことができるのです。しかし、必要な時には毅然とした態度で他を圧倒いたします。旦那様がエドガルド様をお選びになった理由がよく理解できました」
ダビドが言う旦那様とはルシエンテス公爵のことである。しかし、エドガルドからファリアス伯爵家の執事としてリカルダを守ってほしいと頼まれたので、今後はエドガルドが主人となるだろうと考えている。
「私兵たちは多くの女性を攫い、自分たちの世話をさせておりました。心も体も傷ついた彼女たちに、エドガルド様は複数の選択肢を示されました。家へ戻っても良いし、修道女として俗世と隔絶して暮らすことも可能。そのため、修道院の建設を進めております。その他にも、女性が自活できる仕事を彼女たちに与えたのです」
ダビドの報告は続く。いつしか、エドガルドの自慢話の様相を呈し始めていた。
「自活できる仕事ですか?」
リカルダは不思議に思い聞き返した。教養のある貴族女性でも自立は難しく、未婚を選択するには修道院へ入るしかないと思っていた。
「湖で貝を獲ったり、加工したりする仕事なのです。詳しくはエドガルド様からお話があると思いますが、彼女たちが自分たちだけの収入で生活できるのは確かです」
エドガルドが子どもたちに貰った真珠をリカルダへの贈り物にするつもりにしているので、ダビドは真珠のことを内緒にしておこうと考えていた。その方がリカルダの喜びも大きいだろうから。
乱獲と絶滅を防ぐため、エドガルドは貝の採取を認可制にして、密漁を行えば罰を与えることにした。
採取した真珠はそのまま売るのではなく、領地内で加工して高級宝飾品として国内外の貴族に売ることを考えている。そうして、領地の特産品として貴重性と付加価値をつけようとしていた。
潜ることさえできれば子どもでも採取可能な貝だ。もちろん女性にできないはずはない。潜水が得意でなくても、真珠に穴をあけたり、金属を加工したりと、女性にできる仕事はいくらでもある。そして、順調にいけばかなりの収入が見込めるだろう。
しかし、エドガルドは宝飾品のこのなどわからない。もちろん貧しい暮らしをしていた領地の女たちにも、貴族が手にするような宝飾品の知識を持つはずもない。
そのため、エドガルドは真珠をそのままリカルダに渡そうと考えていた。リカルダの好みに加工してもらい、それを参考にして領地で製品を作らすつもりでいる。
「女性が一人でも経済的に自立できる職があるというのは、とても素晴らしいことですね。急に夫から離縁されてしまっても、路頭に迷わずに済むのですから」
リカルダは婚家から身一つで追い出されたというトニアのことを思っていた。彼女は侍女として身を立てることができたが、そうでなければ身を売る事態になっていたかもしれない。
「本当にそうだと思います。選択の自由というのは、希望と同義なのでしょうね。領民が活き活きとしているのですよ。雄大な湖を抱えるあの領地はこれから大いに発展することでしょう」
「それはとても楽しみですね。ところで、サルディバル卿のことなのですが」
後ろに控えているトニアがとても気にしているのがわかっているので、リカルダは話題を変えサルディバル子爵のことを訊いてみた。
「領地に住んでいたサルディバル子爵殿の縁の者たちは、反乱の罪を着せられ処刑されたり、領地から追い出され行方不明になったりと、誰も残っていないと思っていましたが、なんと、ご嫡男のオレガリオ殿はご無事だったのです。名をオラシオと変えて仲間を募り、反乱兵として暴虐を尽くす私兵たちに抵抗していたのです」
その言葉を聞いて、トニアが目を見開いた。その様子はダビドからも見えたが、あえて無視することにした。
トニアがオラシオと似ていることはダビドも気がついている。しかし、エドガルドからトニアを採用した経緯を詳しく訊かれたので、必要ならばエドガルドが聞き出すだろうと思い、オラシオが生きている事実だけを伝えることにした。
「まあ! オレガリオ様が生きていらしたのですね。本当に良かった」
リカルダはオラシオと直接会ったことはなかったが、トニアの弟なので行方をずっと気にしていた。それが無事だったのだ。まるで我がことのように喜ばしい。
「エドガルド様はオラシオ殿を暫定の代官として任命され、領地を任せております。もう少し領地が落ち着きましたら、一度王都にお呼びする予定のようです」
『オレガリオに会える』
トニアは生きていて本当に良かったと思うが、リカルダ誘拐の顛末が発覚すれば、彼に迷惑をかけてしまうのではないかと、胸に不安が広がっていく。




