15.制圧完了
「これで、万が一私兵たちを逃してしまっても領民を守ることができる。まあ、一人も逃がすつもりはないが」
エドガルドは不敵に笑ったが、あまり迫力はない。あくまでも平凡な好青年風なのだ。
『なるほど。相手に警戒心を抱かせないような容姿をしているのだな。まさしく羊の皮を被った狼だ。油断ならないにもほどがある』
飄々と森から出てきたエドガルドを、半ば呆れながらダビドがそう評していた。護衛たちも侮ってはならない相手だと思っている。
「馬も十分休養が取れただろうし、皆と合流して旧領主館へと向かうぞ」
一行は颯爽と馬に乗って駆け出した。
前もって領地に入っていた二十人の護衛は、大きな荷馬車を伴ってエドガルドたちとの合流地点へとやって来た。荷馬車の中には高級ワインを満たした大きな樽がいくつも乗せられている。それらは捕らえた代官が隠し持っていたものだ。護衛たちはそのワインを旧パスクアル領から旧サルディバル領までわざわざ運んできた。
「これでよろしいでしょうか?」
ワインを運んできた護衛の一人がエドガルドに尋ねる。予め連絡を受けていたが、これだけの量のワインがなぜ必要かは知らされていない。荷運びのように使われた男たちは少々不満げであった。
「重い荷物を運ばせて申し訳なかった。だが、このワインは私兵たちを捕らえるのに役立ってくれるだろう。君たちの苦労は必ず報われるはずだ」
武芸に秀でた二十人でも手を出せなかった私兵たちなのだ。優男の文官ごときに何ができるのだろうかと、護衛たちは疑いの目を向けている。その鋭い眼差しをエドガルドは微笑みながら受け流した。
「君たちの顔は知られているかもしれない。領主館へは、同行してきた五人とダビド、それに私だけで向かう。夜明け前に奴らを捕らえる予定なので、その頃に領主館まで来てほしい。それまで身を隠しながら近くで待機しておいてくれ。万が一逃げ出す私兵がいれば捕らえよ。ただし、なるべく殺さないでほしい。彼らは貴重な労働力だから」
そう護衛たちに命じて、エドガルドは出発することにした。
ダビドが荷馬車の御者を務めることになり、木でできた硬い御者台に座る。重い樽を積んでいるので速度は出せない。エドガルドと護衛たちは荷馬車に合わせてゆっくりと馬を進ませた。
空が朱に染まる頃、一行はようやく領主館に着いた。
「止まれ! お前たちは何者だ!」
門番を務めていた私兵が、近づいてくるエドガルドたちを慌てて止める。
「私はエドガルド・ファリアス。新しく伯爵を拝命しこの地の領主となった者だ。君たちも知っているとは思うが、パスクアル伯爵は脱税や虚偽の告発が発覚し、有罪となり廃爵された」
「その新しい領主様が俺たちに何用だ」
当然門番たちはエドガルドを警戒した。しかし、たった七名相手に負けるはずはない。最悪、弱そうな領主を脅して自分たちの言うことを聞かせようと考えていた。
「御覧の通り、我々はたった七名しかいない。新造の伯爵家なので、急には人を募ることができなかった。これでは領地を治めることはできないだろう? 君たちはパスクアル伯爵の時からこの地の統治に関わっていると聞いている。これからも引き続き私の私兵として協力してほしいんだ。今日は挨拶代わりにワインを持ってきた。私の領主就任を一緒に祝ってくれないか?」
気弱そうな笑顔を浮かべて、必死にそう訴えるエドガルド。門番はパスクアル伯爵よりも与し易いとほくそ笑んだ。しかし、気になることもある。
「前に代官や俺たちの仲間を捕らえた奴らはどうした?」
たった二十人だが、かなり強い男ばかりである。きつい作業が嫌で逃げ出した農民や職人くずれの私兵とは違う。今はこうして数の力で私兵側が圧倒しているが、それでも脅威に感じていた。
「それは暫定的に王宮から領地の管理を任されていた公爵閣下の手の者だな。私が領主に就任したので王都に戻ったはずだ。私たちは先にこっちにやって来たので、その者たちのことはよくわからない」
エドガルドの言葉を聞いて門番は安心し、たった七人、恐れることはないと判断する。
一応荷馬車の中を確かめた門番は、エドガルドの言葉通り樽の中身が良質なワインであることを知り、舌なめずりを始めた。
奪略を繰り返したこの地ではもう良い酒など手に入らない。しかし、パスクアル伯爵領の様子がわからず、ここを捨てて戻る勇気もなく、品質の悪い酒でずっと我慢していたのだ。
ワインの樽は広いダンスホールに運び込まれた。天井には大型のシャンデリアが吊るされていて、いくつもの蝋燭に火がともされる。壁に掛けられたランプにも火をつけると、室内は一気に明るくなった。
酒があると聞きつけ、次々と私兵たちがダンスホールにやって来る。広かったダンスホールだが、二百人ほどが入ると手狭に感じるほどだ。
「この地を共に治める仲間を得た祝いだ。とりあえず乾杯しよう」
まずはエドガルドがワインを飲んでみせると、私兵たちは警戒もせずワインを一気に飲み干した。そして、各々樽からワインを汲んでいる。
「新領主就に乾杯!」
「本当に目出度い!」
私兵たちが今まで飲んだこともないような良質のワインだ。杯はいくらでも進んだ。
「そうだ。女を呼んで来い! 酌をさせよう」
頭目らしい私兵が若い男に命じると、数人の私兵たちがダンスホールを出ていった。
「領主様も好きな女を選べばいい。俺たちがじっくりと仕込んだからな、中々楽しめるはずだ」
久し振りに良質のワインを飲んで機嫌がとても良い頭目は、エドガルドに攫ってきた女を提供しようと持ちかけた。一瞬不快そうにエドガルドの顔は歪められたが、すぐに笑みを浮かべる。
「いいや。女は間に合っている。私は新婚だから」
「そうなのか? 律儀なのだな」
やっぱり新領主は意気地なしだと、頭目は益々エドガルドを侮っていく。
ダンスホールには疲れ切った二十人ほどの女たちが連れてこられた。
「新しい領主様は、俺たちの力が必要だってさ。今夜は力を合わせてこの領地を治めていく祝いの席だ。さあ、領主様に酌をしろ!」
そんな私兵の言葉を聞いて、女たちの顔に絶望の色が浮かんだ。中には泣き出す者もいる。パスクアル伯爵が追放されたと聞いて、サルディバル子爵が再び領主になり、この無法者たちを追い出してくれるのではないかと、彼女たちは希望を捨てずに今まで耐えてきたのだ。
それが見たこともない若い男が領主となり、しかも強奪や誘拐などの無法を繰り返している私兵たちと手を組むというのだ。そこにはもう絶望しかない。
「おまえら、泣いていないで酌をしろ」
一人の私兵が泣き崩れる女性の髪を引っ張り、無理やり顔を上げさせようとする。
「駄目だよ。領民は大切にしなければね。パスクアル伯爵はどうだったか知らないけれど、今は私に従ってもらわないと」
エドガルドはかなりの力で私兵の手頸を掴んだ。かなり酔っている私兵はその強さを不快に感じたが、今日だけはワインに免じて許してやろうと女性の髪から手を離す。
そして、酒盛りは続き、夜も随分と更けてしまった。久しぶりに大量の酒を飲み、既にいびきをかいて寝てしまっている者もいる。
「もう深夜になってしまった。女性たちには寝てもらわなければね。遅くまで起きていると美容に悪いらしいから。ダビド、彼女たちを部屋に案内して」
エドガルドもかなりの杯を重ねていたはずだが、酔っている様子はなかった。酒に飲まれるようでは、公爵の秘書官など務まらない。
「畏まりました」
ダビドが女性たちを連れ出そうとするが、どこへ連れていかれるのか不安過ぎて、皆首を横に振るばかりだ。
「あのね、私はオレガリオ殿の知り合いだから何も心配はいらない。安心して彼について行って」
そう優しく声をかけたエドガルドを、女たちは驚いて見ていた。オレガリオ・サルディバル。かつてこの地の領主だったサルディバル子爵の長男だ。本当だろうかと疑ったが、もうこれ以上状況は悪くならない。何より、エドガルドはとても誠実に感じる。
立ち上がりのろのろと歩き出す女性たち。そして、ゆっくりとダビドの後について行く。
それからも酒盛りは続いた。
うっすらと明るくなってきた頃、二十人の護衛たちが領主館に到着する。しかし、その頃にはすべてが終わっていた。
ダンスホールには、縄で拘束された私兵たちが陸にあげられた魚のように横たえられていて、足の踏み場もなくなっていた。




