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10.領地に向けて出発

 急に出発することになっても、執事のダビドは顔色一つ変えない。親の代からルシエンテス公爵家に仕えている彼は、エドガルドに同行して、新たにファリアス伯爵領となった場所へと向かうことが決まっていた。


「傷薬や痛み止め、粉乳、栄養価の高い豆類をできるだけ多く手に入れてくれ。それから、リネンもいるな。それがあれば包帯やシーツ、簡単な服も作れるだろう。品質は問わない。質より量だ」

「畏まりました。傷薬と痛み止め、粉乳は既に入手済みでございます。残りの物品もすぐに手配をいたします」

 エドガルドの命令に、ダビドは恭しく頭を下げる。

 エドガルドから有り金を預かっていたダビドは、必要なものを予め購入しておいた。エドガルドはリカルダに確認してからと言っていたが、リカルダは拒否しないと思ったのだ。万が一、リカルダがエドガルドの金を領地のために使うことを拒否すれば、娘に甘い公爵に出させるつもりであった。


 リカルダの持参金と王家の祝い金は元々ダビドが管理している。そして、トニアのお金もダビドに託されていたのだ。

 それらの金があればかなりの物品を手に入れることができ、多くの領民を助けることができるだろう。

 自分の有り金を提供すると申し出た心優しいトニアを見て、ダビドはリカルダの侍女として彼女を採用して良かったと心から思えた。修道女だったトニアが、リカルダに寄り添いその心の傷を癒してくれたからこそ、こうして結婚を選択することができるほど立ち直ったのだ。


 夫を亡くして修道女となっていたトニアは、奉仕活動に来ていたリカルダと教会で知り合ったとダビドは聞いている。リカルダ誘拐事件の後、彼女を支えたいと公爵家までやって来たトニアを、侍女として傍にいてほしいと求めたのはリカルダだ。

 もちろんダビドは身元を調べるため修道院に問い合わせをし、トニアは二年前から修道院にいることが確認された。実はリカルダが事前に工作を行っていたのだった。

 暴力を振るう夫から逃がすため公爵家の侍女として雇いたいので、修道女だったとの証言をしてほしいと、リカルダは奉仕活動で知り合った修道院の院長に頼み込んでおいた。修道女の中には夫から虐げられて逃げてきた者も多く、院長は疑いもせずその言葉を信じた。修道院へ入ろうと思っていたリカルダが多額の寄進を行っていたことも大きい。


 リカルダが求めたこともあり、ダビドはそれ以上調査することもなくトニアの採用を決めた。その際、トニアは信用を得るため、持ち金を夫の遺産金だと偽ってダビドに預けていたのだった。


「急を要するであろう薬類と粉乳は、馬に乗せることができる量を我々が直接持っていく。残りは馬車で送ってくれ」

 領地までは馬車を使うと十日以上もかかる。エドガルドに与えられた結婚休暇は一か月。馬車で往復する時間はないので、五人の護衛とダビドだけを連れて馬で領地へ向かう予定だ。護衛の人選も済んでいる。


「旅の準備は殆ど調っておりますので、午前中にも出発が可能でございます」

 エドガルドはとても優秀であると、ダビドはルシエンテス公爵から聞かされていた。しかし、平凡で挙動不審ぎみの彼を見て、本当に有能なのかと疑問に思っている。とにかく、大切な主家のお嬢様の結婚相手としては、役者不足も甚だしいと感じていた。

 しかし、反抗するつもりはない。領地は伯爵夫人となったリカルダのものでもある。彼女がエドガルドとの結婚を決めたのは、困窮している領民を救いたいとの思いがあったからだ。それを知っているダビドは、全力を尽くしエドガルドに仕えるつもりにしている。

 

「さすが、公爵家に仕える執事だな。閣下が推挙するはずだ」

 とにかく円滑に話が進む。エドガルドは予定を早めるかもしれないと事前に伝えておいたが、これほど早く出発できるとは思わなかった。


 それから慌ただしく旅の準備をし、二時間ほどで用意を終えたエドガルドたちは、昼食もとらずに出発することになった。

「旦那様、どうかお気をつけて」

 玄関ホールで一行を見送るリカルダは、心配そうな顔を見せていた。同行する五人の護衛は皆筋肉質の体をしておりとても強そうだ。三十代後半のダビドも執事とは思えないほど立派な体躯をしている。騎士と言われれば信じてしまいそうなくらいだ。それに比べて、エドガルドは標準的な体形で弱々しく見える。

 実はかなり鍛えているので、裸体を見ればエドガルドが弱いとは思わなかっただろうが、もちろん、初夜を無視されたリカルダにそんな機会はなかった。


「一か月後、リカルダ様の十八歳の誕生日までは戻りますので。それまでどうにか目途をつけてきます」

「わたしくしの誕生日をご存じなのですか?」

 長期の結婚休暇をとるために、エドガルドは公爵の筆頭秘書官としてかなりの仕事量をこなしていた。そのため、結婚するまでリカルダは彼と殆ど顔を合わせることができなかった。誕生日の話などした記憶はない。


「大切な日にはなるべく公務を入れないようにとの公爵閣下のご希望ですので、ご家族の誕生日や結婚記念日は全部把握しております」

 家族と疎遠になってしまっていたエドガルドは、公爵の家庭を羨ましいとずっと思っていた。だから、彼も公爵のように妻であるリカルダの誕生日を一緒に祝いたい。リカルダはそれを望まないかもしれないが、それでも縁あって夫婦となったのだ。彼女が産まれてきたことを感謝したかった。


「父はわたくしたち家族を大切に思ってくれていたのですね」

 外国へ出かけ不在の時が多く、国内にいても殆ど王宮に詰めている父は、家族より仕事の方が好きなのだとだとリカルダは思っていた。それでも不思議と誕生日に父と過ごした記憶がある。それは、父が望んでくれたからなのだ。そう思うとリカルダの心が温かくなった。そして、父を騙しその権力を利用したことに更に罪悪感を深めてしまう。父への恩を返すには、伯爵夫人として立派に務めることだと彼女は改めて決意していた。



「あの……」

 トニアは旅立つ皆に『領地をよろしくお願いします』と声をかけそうになり、思わず口を噤んだ。伯爵家の使用人である彼女が、自らの領地に向かう主人へかける言葉ではない。


 旧サルディバル子爵領はとても小さく、しかも大きな湖があり土地も殆ど湿原なので、農地は僅かしかなく、領民は湖で漁をして暮らしている。そんな税収もそれほどない地味な領地だが、サルディバル子爵にとっては大切な場所だった。領民のことをいつも考えていて、彼らのために遅くまで執務をしていた父のことをトニアは覚えている。

 そんな領地へ旅立つ彼らに、トニアは領民のことをお願いしたかった。どうか彼らを救ってほしいと。


「心配しなくても大丈夫です。トニアから預かったお金を返済できるように頑張りますから」

 お金の心配などしていないトニアだが、それでも、エドガルドが頑張ると口にしてくれたのでとても嬉しく感じていた。

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