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第7話『北上鷹乃』

 

 放課後のグラウンド。

 野球部が普段使っているこのグラウンドで体育祭が行われるため、体育祭まであと2日の今日は事前準備となっている。

 佐戸高校の体育祭事前準備は、各部活動に割り振られており、今日は対異部が担当の部活に含まれているため、俺たちは生徒会と共にグラウンドにて本部の設営を手伝っている。

 今日は波野も委員会がないらしく、全員揃って活動。という訳にはいかず、玉置さんは部室に引きこもっている。普段から依頼や相談には関わろうとしない玉置さんではあるが、今回に関しては昨日PCを没収するぞと暗に脅されたから生徒会長と顔を合わせたくないのだと思う。いや、子どもかよ。

 だがまぁ俺も人のことを言ってられない。

 グラウンドから見える閉鎖されたテニスコートをつい目が言ってしまうのだ。

 先日、北上が討伐できなかった狼犬の異妖が原因でテニスコートは閉鎖されている。

 真っ黒なスーツを着たハヤタも名乗る男が言うには、あの狼犬は「異妖化」と呼ばれる現象により「異妖に成った」動物なのだという。

 つまり、その体は動物のそれであり、一種の幽霊のような扱いの異妖とは似て非なるものなのだ。SWHに感染した動物に起きる現象であり、ストレスを溜め込んだ結果らしい。

 異妖化は滅多に起こることがないため、テニスコートは2週間の封鎖。テニス部にも事情聴取が行われた。

 だが、それよりも俺には気がかりなことがある。

 逢坂彩葉が見せた、俺への表情。

 呆れと絶望と安堵と悲しみが混じったそれは、きっとこの街で彼女以外にはできない表情だった。

 俺と冬樹の友情に亀裂が走るきっかけとなった彼女は、現状を打破するため、あるいは現状を諦めるために、俺に何かを期待していたのかもしれない。

 ただそれが、俺には分からない。

 彼女がおかしいだなんて言わない。俺が馬鹿なのはわかっている。

 それでも、逢坂彩葉を救いたかった。

 なら俺は、あの時彼女になんて言えばよかったのだろう。

 理解者になれるだなんて愚かしいこと以外に、俺には何も浮かばなかったし、今も浮かばない。


「基木多君?どうしたの?」

「え?」


 北上が眉を顰める。


「いやなんでもないよ。じゃあ引くぞ、せーの」


 掛け声をして俺、北上、葉矢海、仁戸ちゃんでテントの脚を引いていく。


「指挟むなよ〜痛っ」


 3人が呆れ笑いを浮かべ、俺は赤くなる顔を背ける。

 テントを置いて、今日の仕事はひとまず終わり。生徒会の人達に挨拶して、俺たちはグラウンドを後にする。

 鞄を校門に置いていたため、ここで各々解散となった。

 波野は委員会の仕事があるため、部活が終わったことを報告し、葉矢海と仁戸ちゃんがは仲良く帰路に着く。

 さぁ俺も帰るか。

 駐輪場に足を向けた時、俺のカッターシャツが引っ張られる。


「ちょっと待って」


 北上は、真面目な顔でじっと俺を見る。

 オレンジに燃える夕日を反射する黒縁眼鏡の奥で、彼女が俺を部に誘ったあの日のように瞳が揺れている。

 真っ白な肌に、無防備に風になびいた黒髪がまとわりつく。普段、こんな感じで風に吹かれる北上なんてめったに見たいものだから、不意に見とれてしまった。

 でも、そんな思考はいらない。

 彼女の瞳が意味するそれが何かはわかっている。


「食堂、行くか」

「そうね、それがいいわ」


 この時間、食堂には人がいない。

 自販機が2台と製氷機が1台あるだけだ。

 それに、きっと缶コーヒーなしじゃ向き合えないから。


 ◆


 ちょっとジャンプすれば届きそうな天井に一定間隔で並ぶ暗い蛍光灯は、年季の入ったコンクリート造の暗さをより一層際立たせる。

 ゴトッと自販機で缶コーヒーが落ちる音がして、俺は先に買った暖かい白の缶コーヒーのタブを弾いた。

 長机の対面に北上が座り、彼女は黒い缶コーヒーを机に置いた。

 カチャっと、ふたつの栓が開く。


「どうせ、逢坂さんのことなんだろ?」


 俺は飲み口からほんの少しだけ見えるベージュに目を落とす。

 前からは、普段の落ち着いた声からはイメージ出来ない高い声の咳払いが聞こえる。少し視線をあげると、スラリと伸びる指が黒の缶コーヒーをキュッと包み込んでいる。


「えぇ、そうよ」


 自販機の稼働音がやけに大きく感じる。

 視界から黒の缶コーヒーが消える。

 紺色のサマーセーターが僅かに膨らむ胸元の黒髪が揺れ、小さなため息が漏れた。


「何があったの?」


 俺はゆっくりと顔を上げていく。

 やがて眼鏡の奥の瞳を捉えた俺に、彼女は頬杖をついて目を細めた。


「テニスコートでの1件から、ずっとぼうっとしてるんだもの」


 いつもの鋭さではなく、包み込むように、また拗ねるようにそう言う。


「……北上、お前はどこまで知ってんだよ、俺と逢坂さんのこと」


 北上は眼鏡を押しあげると、ゆっくりと背筋を伸ばす。


「あなたと逢坂さんの仲を妬んだ松雪冬樹があなたを攻撃しはじめた、ということくらいしか知らないわ」


 北上は時折俺を見るが、基本は手元の黒い缶コーヒーに向けられている。

 お前も、俺と同じ白いのにすればよかったのに。


「ほぼその通りだよ。逢坂さんとは、なんとなく話が合った。その時の俺は、逢坂さんが俺のこと好きなのかななんて思ったりもしたよ。でも今考えれば、全部、彼女が無能力者だってことが原因だったんだな」


 笑って見せる。

 北上はほんの少し目を見開いて、1度首を横に振った。再度俺を見て、彼女は顔をしかめる。


「逢坂さんが、無能力者?」

「あぁ、だから、俺と似て非なる存在なんだよ」


 北上はゆっくりとまた缶コーヒーに視線を落とす。すっかり温かくなってしまったであろうそれをぎゅっと握りしめる。


「それで、何があったの?」


 少し棘のある声。


「あ、いや……」


 黒髪が舞うのを気にもせず、北上は顔を上げる。


「言って。私は、ちゃんとあなたの過去と過去からつながる今に向き合わなくちゃならないの。それが私の贖罪、なのだから」


 まただ。

『私の贖罪、なのだから』

 高校に入り北上と知り合ってから、俺はこの言葉を幾多と聞いている。

 この部に俺を引き入れたのも北上だった。

 あれは去年の入学式の日。

 北上は、中庭の桜を眺めていた俺に後ろから声をかけた。


 基木多君よね?対異妖生徒相談部って知ってるかしら。知らない?なら一緒に行きましょう。…行かせてほしいの。えぇ、貴方が犯した罪のために。


 そんなこと言われたらもう断ることなんて出来なかった。その頃の俺は助けが必要だったのだ。誰かの手を握って掴んでいたかったのだ。

 だが俺にはまだ、なぜ北上がそうして俺をこの部に引き入れたかがわからない。

 同じ中学だからって、特に関わりがあった訳では無い。

 でもだからこそ、北上がその言葉を口にしたとき、俺は首を縦に振る。彼女にとって俺の過去と過去からつながる今に何らかの関わりがあるのなら、俺はそうするしかないのだ。

 だから、俺は、語る。

 あの日、逢坂彩葉に語ったことを。

 ひと通りを話を終えて、俺は缶を持ち上げた。そして初めて、その中身がもうないことに気がつく。


「理解者、ね」


 はらりと黒髪が胸の校章を隠した。

 眼鏡を押し上げてとっくに空になった黒の缶に視線を落とす。


「わからない人ね」


 前髪の隙から僅かに見える瞳は、レンズ越しだからかはっきりとその動きを見ることができない。だがしかし、きつく結ばれたその口元からは怒りや悔しさが滲み出ていた。

 それは果たして、逢坂彩葉に対するものか、それとも俺か、はたまた彼女自身か。

 俺には、わからない。


<次回予告>

 「そうか、お前は、そういうやつだったな」


基木多が休憩で訪れた食堂。

玉置次郎は彼をじっと睨む。


体育祭編第3話「黒の缶コーヒー」

それは、真っ黒な感情。

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