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第58話『エピローグ1 引き金として』

 

 10年前のあの日、僕がとんでもない欠点を見出してしまったあの日。僕は確実に彼らの運命を変えてしまった。

 悲しみがなくなれば世界の歪みは緩和される。その日の生放送の番組で僕はそう言った。夕刻の情報番組だったから、主婦や小中学生の視聴者が多かったようで、批判が殺到した。それと同時に、讃える声が耳に入ったりもした。

 番組の生放送を終えて会社に戻ると、基木多千歳研究員がエントランスで僕を待っていた。


「社長これを見てください!」


 彼女は鬼気迫る表情で僕に紙束を渡した。それは今でいう『特異妖者』についてだった。自らが異妖そのものとなり、他者の悲しみを取り戻す能力を与えるSWHが発見されたのだ。これだ、とほぼ直感で僕はその研究結果を握りしめていた。


「これで、もしものための一手が打てる...!」


 そこからはあっという間だった。翌年の秋に薬品の接種を開始させ、社内では極秘に『特異妖者』のためのSWHを3人の少年に投与した。それが、研究室の3人のメンバーの子どもだった。当初北上研究員の娘に投与するはずが、体調不良からそれができなくなり、急遽基木多千歳研究員の一人息子の道大君に投与することになった。

 全ては、僕が保険の一手を打つためのエゴだった。

 少年少女達をそれに巻き込んだ僕こそが、今思えば化け物なのだ。

 その日を境に、街は悲しめなくなった。僕は満足だった。悲哀に飲み込まれ心を壊す者を見なくなった。街は変わったのだ。そう思った。

 異妖の対処については、ウエスタンヒル直属の対異妖組織『原異形』を設立した。あっという間に、いとも簡単に、この街は変貌を遂げた。そして半年が経った。

 原異形に対異妖活動を任せていたある日、その知らせはやってきた。

 原異形が創部させた部活動が異妖を討伐している。

 耳を疑った。異妖は人の悲しみそのもの。討伐すれば、それは二度と戻ってこない。誰かの感情を消滅させることを意味する。原異形にもそのことは強く釘を刺したはずだ。


「甘いですよ。どうせ変えるなら、二度と引き返せないという事実と覚悟がないといけないと思いませんか」


 そう言ったのは設立と同時にウエスタンヒル本社から原異形に転属した早田智幸だった。彼はSWHを接種していない『無能力者』だったが、僕が異妖を視覚化できるコンタクトレンズを開発した直後からその身体能力と頭脳で原異形では教育面を担当する部署に籍を置いていたエリートだった。同時に、独自に研究を進めているという話を聞くこともあっただけに、目を離してはならない存在だということは認識していた。結局、彼には監視を置いて様子を見ることにした。しかし、それが甘かった。

 彼はどういう道で知ったのか、特異妖者を1人見つけていたのだ。確かに、悲しみを持つ能力者はわかりやすいのかもしれない。そういう所も全て、甘かった。

 知らせが入ってからは、まさに光陰矢の如しだった。

 次々と異妖が消えていく。街が、壊れていく。僕の作りたかった結論だけが誰かの予期せぬ行動によって顕著に浮かび上がる感覚がなんとも気持ち悪かった。食事をとっても味わう気にすらなれなかった。全て、粘土を舌の上で転がしたような食感がして、毎度毎度吐き気がした。

 そんなある日、僕は思いついた。

 僕が特異妖者の引き金になればいい、と。

 僕は思い立つと物事をあっという間に進める性質の人間だった。特異妖者の薬品サンプルから派生させた、異妖になるためのSWHを開発した。勿論、賭け以外の何でもなかった。それでも僕は注射器を自分の腕に向けた。誰かに完成させられるくらいなら、誰かに悪用されるくらいなら、僕が引き金を引いてリセットしたかった。彼らは、人々の悲しみを消すために生み出されたのではない。異妖をおびきよせるための囮ではない。

 注射を打ってすぐ僕は意識を失った。

 目が覚めると、僕は浮いていた。足の先が平常より近くにあった。腕は短く肌にはハリがあった。四肢が軽い代わりに、少し頭が重かった。鏡を見て驚愕した。

 僕は、中学一年生程の少年の容姿をしていた。

 不思議と、自分の出来ることはわかった。彼らの心に入り込み、引き金を引いてあげること。異妖としての能力も備わっていた。それだけじゃない。異妖の体を乗っ取ることだってできた。そうして近づいた1人目の特異妖者―玉置創治郎に、僕は決定的な間違いをおかした。彼を、死なせてしまった。

 強引に異妖化を促したかもしれないという後悔よりも、早田智幸が生徒を使ってくることを予測できなかった自分への腹立たしさに頭を抱えた。なんと、甘いのだろう。創治郎と、その友人達を、僕が深く傷つけたという結果を残しただけだった。


「この街を、みんなを、頼むよ...智幸さん」


 創治郎の最期の言葉に、何も答えられず、いっそ殺してくれとさえ考えた。しかしそれは叶わなかった。創治郎の能力影響下でなければ、僕の姿は特異妖者にしか見えなかった。

 会社は僕が引き金になってからすぐに原異形に乗っ取られる形になった。

 何も考えられなくなった僕は、どこにも居場所がなくなり、異妖の体を転々とする生活が6年間続いた。


 ◆


 その瞬間は、まるで無くしていた鍵がポケットから出てきたかのようにやってきた。強い異妖化を感知したのだ。猫型異妖の体を借りて駆け付けると、少年が自力で特異妖者としての能力を覚醒させていた。

 彼なら、やってくれるかもしれない。

 長い長いトンネルの出口が見えた。いや、もう出口に立っていたと言っても過言ではなかった。

 だが、話はそう簡単ではなかった。

 高校に入学した彼は、対異妖相談部に入部し、異妖に関する相談事を解決することに時間を費やしていた。そこの担当官の名を見て目を見張った。

 ハヤタ、とそう書いてあった。

 ひと目でわかった。早田智幸は僕の同じ名であることを消したのだ、と。

 ハヤタは異妖をまとめて消滅させる方法を研究していた。そしてそれは、実行に移されようとしていた。だから僕は2人目の特異妖者―基木多道大にコンタクトを取った。彼は優柔不断で他人任せ、そのくせ頑固でマイナス思考。だが責任感だけは誰よりも強かった。異質な程に、強固な責任を背負える背中をしていた。

 厳しく、まるで八つ当たりでもするかのように彼に接してきて、彼がほんの少しずつ周りの環境とともに変わっていくのが分かった。具体的にいえば、彼は責任を語り始めた。背負ってこなかった責任を、自分のものにするようになった。だから僕は改めて彼の引き金になろうと決めた。心の中の感情の色を知ってもらうために、意識をこちらにリンクさせたりもした。

 そして、彼は成し遂げた。これで僕はもう用無し。あとは彼に消してもらうのを待つだけだった。だが、僕はどこまでも甘かったらしい。玉置創治郎の弟である、玉置次郎が特異妖者の力を応用し、それを悲しみの奪取のために使い始めた。

 彼の言葉は正しかった。異妖は悲しみをまるごと外に放したものである。その性質はよくわかっていた。それでも僕は、もうこの街をどうにかしたくなかった。少年たちに、さらなる責任を負わせたくなかった。僕だけが負いたかった。

 玉置次郎の能力を封印し、基木多道大の方に振り返った時、彼はとても悲しい顔をしていたように見えた。だから僕は、その悲しい化け物を、背負うことにする。


 ◆


 3月も半ば。もうすっかり景色も風も春のものだ。それを代弁するかのような桜が美しい公園で、彼はキャッチボールをしていた。相変わらずコントロールが定まらなくて、波野唯臣を困らせている。しばらく見ていると、彼の投じた球が波野唯臣の頭上はるか上を行き、波野唯臣は「まじかよ!」と叫びながらそれを追いかけて行った。タイミングを見計らって彼に近づく。そっと肩を叩くと、彼は素早く振り返った。そして目を見開く。


「さ、坂西...」


 彼は、僕の正体を知らないのかもしれない。玉置次郎が言った言葉の意味を分かっていないのかもしれない。でもそれでいい。僕は引き金としての坂西なのだ。


「君はもう充分やってくれたよ。だから、その力をもらいに来た」


 言うと彼はまた、あの夜のように自分の唇を噛んだ。


「違うんだ坂西。俺は、こうじゃなきゃいけないんだ。化け物でなくちゃならないんだ。俺がそうでなくなったら、俺は死んだのと同じなんだよ」


 彼は片時も僕から目を離さなかった。そこには諦めだとか悲哀だとかそういうものはなく、ただ決意と覚悟だけが宿っていた。

 僕は何も言えず、ただ首を縦に振った。

 なら僕も、さまようことにするか。

 そっと彼から距離をとる。

 彼は最後に、笑顔で僕に手を振った。

 なるほど彼は、化け物だった。


<次回予告>

ウエスタンヒル屋上。

かつて彼は、いつもそこから町を眺めていた。

そして今、少年の姿でそこに立つ。

強力な力の行使には、確たる願いが必要だった。


次回、最終話『エピローグ2 ゼロ』

そして、彼以外の願いが終わる物語。

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