第55話『ふたりの化け物』
無造作に立つにも関わらず、まるで塀のように囲まれた木々が揺れる。ため池を囲むような林道を進むと、やがてすこし道の広いところにでた。
そこにかすかに揺れる黒い影。
制服のままの玉置さんは、空を眺めている。
玉置さんは首を動かさず俺を呼ぶ。
「基木多か。だよな、来ると思ってた。まぁ来てもらわなくちゃこっちが困るんだけど」
「そりゃ、来ますよ」
だろうな、と玉置さんは笑う。ようやくこちらを向いた。暗闇でよく俺がわかったな、なんて思った俺が間違っていた。もう、彼の目の奥には黄緑色の光が薄く揺れていた。頭痛は先程より鋭くなっている。
月明りに照らされる玉置さんはまだ笑顔のままだ。しかしそれは先程とは違い、自分に対する呆れが見て取れる。
「悪いな、みんなには迷惑かけた。でも、やらなくちゃならない事だから」
思わず拳を強く握り締めた、
「悲しみを、無くすことがですか?」
玉置さんは特に驚く素振りもせず、首を縦に振った。
「厳密に言えば、悲しみと異能力の根絶って感じかな」
当たり前の事のように淡々と語る玉置さんの瞳は黄緑色に輝いている。既に、発動している。
何か言わなければ。何かアクションを起こさなければ、奪われる。でも今は、下手に動いた方が危険だ。そんなのわかってるのに、頭痛のせいもあるだろうが、どうしても感情が俺の背中を押す。内側の黒く蠢くものが、今にも俺の足を、口を、手を、動かそうとしている。歯を食いしばって、それを止めた。
玉置さんはと言うと、どこか試すような目を向けている。
「基木多、お前異妖がどういう存在か知ってるか?」
ほんの少し間を置いて答える。
「人の負の感情が形として見えるようになったもの、ですよね」
安堵にも似た表情を浮かべた玉置さんは二、三度首を縦に振る。
「うん、そのとおり。ならどうしてあんなに凶暴で悲しげな獣の姿をしてるのか。どうして人の姿じゃないのか。わかる?」
「いえ」
何かを悟ったように語る玉置さんは俺を見ていると言うよりも、俺の内側を透かして見ているかのようだ。その眉が呆れたように八の字に垂れる。
「元から人の姿じゃないからだよ。異妖は人の負の感情の結晶だと言う人もいるが、今お前が言った通り、形になっただけだ。元から人の中にいて、それは体の中で育っていく。この街の人間は、それを外側に解放した。本来あったものはなかったことには出来ないのがこの世のルールだろ?だからこの街の人間には異妖を視認する力が宿った。まぁつまり、異妖は誰しもの心の中にいたわけさ」
異妖は誰しもの中にいた。なら、と改めて思う。俺達が討伐していたのは、誰かの悲しみ。誰かの感情。俺達は、この街の原異形系統の組織は、それを痛めつけたり捕縛したり殺したりしていたんだ。
結局俺は、助けるだと守るだと言っておきながら、誰かの悲しみを消していたんだ。
俺はやっぱり...化け物なんだ。
「なんつーか、皮肉なもんだよな」
玉置さんが呆れたように肩を竦める。
「玉置さんはそんなこと俺に言ってどうするつもりなんです?」
目を見て問う。黄緑に光るその目を見て。
「まぁそうだなぁ...」
腰に手を当て、また天を仰ぐ。再び俺を見た時、もう玉置さんのその瞳に光は宿っていない。
「俺と、手を組もう」
「...嫌だと言ったら?」
気づけば俺は両拳を握りしめていた。真っ暗闇に、黄緑の2点が浮かび上がる。
「悪いがその力を消す」
気付かれないようにゆっくりと右足を引いていく。すると玉置さんは首を振って『開眼』を解除した。
「だけど、俺としては後輩にそんな真似はしたくない。この街を救うには、それしかない。もう散々壊して狂っちゃったから。後始末は俺に任せてくれよ」
もうすっかりは辺りは暗い。枝だけの木々が俺に詰め寄ってくるようにざわめく。マフラーがなびいて、俺を違うどこかへ連れていこうとする。
しかし。
だがしかし。
納得いかない。無理だ、はい、とは言えない。言いたくない。
「お前だってさ、もう化け物なんてやだろ?」
その一言だった。そうだ、俺は何を戸惑っていたのだろう。初めに俺が言ったんじゃないか。その名で呼ばれる権利は俺のものだ、と。
俺の中で、何かの筋が通り、それが何かを切った。
握りしめていた拳をゆっくりと開く。
「すいません、玉置さん。俺は...協力できません!」
「...そうか」
暗くてよく見えないが、細く低い冷たい声が聞こえた。刹那、彼の目に黄緑が灯る。
「悪いな、でも苦痛はないからさ。そこにいてくれよな」
そのふたつの光が揺れる。一定のリズムを縦に刻んでいる。今、もう1人の偽物は、こちらに迫って来ている。
まだだ、まだ能力を出しちゃいけない。今はやられる。もっと待つんだ。
坂西がそう言っている。
ゆらりと残像の線を引きながら彼はもう俺から1mのところにいた。
足が、すくんで動かない。
悲痛に歪んだ玉置さんの顔が、微かな灯りの中に浮かぶ。その頬にキラリと滴るのは涙。
「本当に、いいんですか?」
「悪いな。じっとしてろよ」
「考え直してください!これは僕の責任なんです!僕が勝手に作り直そうだなんてしなければ、誰かの悲しみが消えることもなかったんですよね!?だから、これは僕がやるべき事なんです!見守らなくちゃならないんだ!だから―」
その化け物は僕のものだ。
そう言おうとして口を開いた時、耳元に静電気が走ったような痛みを覚える。
「えっ?」
一瞬だった。
玉置さんの右肩に黄緑色の稲妻を纏う対異妖ナイフが深々と突き刺さり、彼の上半身が時計回りに回転するように仰け反る。その目は不思議と穏やかに細められている。揺れた瞳に宿るかすかな光の灯は点滅してやがて消えた。
玉置さんの右肩で光を放つナイフを目で追っていると、俺と玉置さんの間に黄緑色の上昇気流が発生する。その小さな竜巻の中に、茶髪で背の低い少年が浮遊していた。坂西だ。坂西は俺に背を向けたまま、今までに聞いたことがないほど低く重い声で玉置さんに囁く。
「玉置次郎。ずっと君に会いたかったんだ」
「坂西...智幸...!!」
玉置さんが唇を噛み締めながらその瞳にもう一度光を灯す。
「お前のせいでこの街は!!」
獣のように叫び、肩を押さえながら起き上がろうとする。それを制するように坂西がゆっくりと優しく玉置さんに掌を向ける。
「悪いね、君のその力は封印させてもらうよ」
掌が小さく緑色に光った。それと同時に玉置さんの瞳から光が消え、力なく膝をつく。
坂西はこちらを見て、微笑みかけてくる。
「いまだぁ!!!」
背後から波野の怒号。思考が追いつかないまま、体だけが動いた。倒れ込む玉置さんの胸に、その体を抱え込むようにして手を添える。
「くっそ…」
「すいません...」
俺は1度目を閉じ、『開眼』を発動させる。
玉置さんから俺の左手を通して全身に濁った黄緑色のようなものが流れ込み、俺の内側に染み込んでいく。
いつしか彼は仰向けに倒れていた。気を失ったようだ。素早く駆け寄ったハヤタさんが玉置さんを抱える。
「ありがとう、辛い仕事だったよね」
「いえ、僕が始めたことですから」
そうか、とハヤタさんは林道の入り口に止めてあるワンボックスカーの後部座席に玉置さんを乗せた。
「これから、どうなるんですか!」
ちぎれそうな喉で問う。
ハヤタさんは首を2回縦に振った。まかせてくれと、大丈夫だと、そう言っているのだろう。
バタンとドアが締まり、低いエンジンを響かせながら、ハヤタさんの車は去っていく。
「これでやっと、化け物になったよ、坂西...」
真っ暗な空にのしかかる雲に向かってそう呟く。彼の笑い声が聞こえた。いつもの、冗談めかした笑い声。
「ありがとう」
彼がそう言って俺の頭を撫でた気がした。だから、振り向かないで、皆の元へ行こう。
1歩踏み出そうとして、体が傾くのがわかった。皆が俺を呼ぶ。
目の前には一面の黒が迫っていた。
次回更新は12月16日午前1時です!
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<次回予告>
「後悔、してるんですか?」
3月1日。
桜はまだ咲かない。それでも春はやってくる。
ふたりの化け物が相対した夜から時は過ぎ、佐戸高校の卒業式が挙行されようとしていた。
いまだ自身の行いの正しさに揺れる基木多を置いて。
次回3月編第1話『卒業式』
それは、変化した世界。




