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第54話『後始末』

 

 満員電車を降りた瞬間に身を包む寒さが、いつもよりほんの心持ち穏やかになっていた気がした。改札を出て大通りを歩き始める。すると、背負っている鞄が何かに引っかかったような感じを抱き、俺の歩みを止める。振り返ると、誰もいない。だがずっと鞄は引っ張られたままだ。それに、何やら声が聞こえる。


「ふふん、わたしは君の脳に直接語りかけているからここにはいないのだよ」


 脳に語りかけている割には息遣いとステップを踏む音が耳に入るが、そこは目を瞑って話に乗るとしよう。


「俺、疲れてんのかなぁ...」

「ではこの私の姿を見て元気をだしなさい」


 そう言って軽やかな足取りで俺の前に姿を現した逢坂さんにひとつツッコミをいれてあげよう。


「ここにいないんじゃないの?」

「ふふん、わたしレベルになれば瞬間移動だって可能なのだよ」

「わー、すげぇ」

「あの、これわたしもある程度恥ずかしいんだけど」


 ならやらなきゃいいのに。

 あぁ、なんだろう、気が楽になる。


「逢坂さん」

「ん?どした?」

「今度、コート借りてテニスやろう」

「お、おう!ふふん、わたしはこれでも現役だからね、再起不能にしてあげよう」

「幻なめんな」


 そんなたわいもない話をしていたら、あっという間に校門の前にいた。

 ほんとに瞬間移動でもしたのかと思う速さだった。


 ◆


 着信音がなったのは昨日の夜。ウガァと唸りながらスマホの画面を見ると、ハヤタさんからだった。


「...はい」


 今にも溶けていきそうなだらしない声が出たが、それがどうだとかは思わなかった。別に余裕があったとか予知していたとかそういうのではない。単に眠かった。何せ日付が変わってすぐ。俺は11時以降は勉強しないと決めているし、12時には寝る。じゃないと次の日がしんどい。そんな、寝ぼけた状態で電話に出た俺とは逆に、ハヤタさんは何やら息が上がっているように感じた。そのとき俺の胸の中でバックドラフトのようなものが発生した。

 僅かな息遣いで俺の覚醒を察したのか、「おそらく君の思うとおりだ」と少し上擦ったような声が聞こえた。

 思わず、息を呑んだ。


「玉置さん、ですか?」


 あぁ、と抑えつけたような悲痛な声が脳にこだました。

 ハヤタさんは咳払いをして続けた。


「次郎の居場所が特定できた。明日...いやもう今日か。今日の朝...いや放課後に、原異形まで来てくれるかな?」


 思ったより驚かなかった。眠たかったのもあるかもしれないが、それよりも、悲しさというか虚しさというか、なんとも言えない気持ち悪いものが内臓に漂っていた。多分、覚悟が出来ていなかったんだろう。

 大きく息を吸って、凍りつくような空気に喉をやられて咳をした。それをなんとか誤魔化して、相手に見えないとはわかっていて首を縦に振った。


「わかりまし―」

「おっと危ない。これは、対異部に連絡してってことだからね」

「...わかりました」


 納得しきれないことはあったけれど、その時はただ首を縦に振るしかなかった。いや、今でもそうかもしれない。

 胃の中を這う黒くて気持ち悪いものはまだ残っている。あの後一睡も出来なかったせいだけじゃないことだけが、気持ちいいぐらいわかっていた。


 ◆


 思えばこの街はそんなに大きくなくて、八人乗りの車に揺られて見える車窓の景色は、どこかで見たことがあるようなものばかりだ。俺がどうこうできる世界なんて、案外ちっぽけなものなのかもしれない。それでも脳を焼くようなチリチリとした痛みが時間が経つにつれ強くなっているのもたしかだ。玉置さんに、向かっている。

 俺たち対異部一行は、ハヤタさんが手配した原異形の自動車に乗っていた。ハヤタさんが運転し、俺は助手席、後ろには何故か学年順に2人ずつ座っている。

 ハヤタさんによると、これから玉置さんの居場所へ向かうという。

 俺の真後ろで北上が咳払いをした。


「玉置先輩が拠点を移していなければ良いのだけれど...」


 するとハヤタさんがいつものように笑って答える。


「それなら大丈夫だよ」

「どうしてです?」


 波野が問う。

 ハヤタさんは前を向いたまま、口だけを動かした。


「うーん、どうしてと言われてもねぇ。わかるんだよ。これでも長い間協力者をやってもらってたからね。まぁ、その逆も然りなんだけど。まぁ十中八九、次郎は基木多君と一戦交えるつもりだろう」


 車内が凍てつくように静かになった。ふりむくと、皆一様に錆びたように渋い面持ちだ。まだ、納得いかないのかもしれない。

 その氷のような空気が、仁戸ちゃんの声で割られる。


「でも万が一ってこともあるんじゃ...」


 車内に流れていたラジオの司会が別れの挨拶を告げる。そして次の番組が始まるまでのコマーシャルが入る。そこで車内のBGMはラジオから何かの曲のイントロに代わった。CDに切り替えたのだろう。静かな曲の一瞬の間を消すように、ハヤタさんが乾いた笑い声を上げた。


「はっはっはっ。君は心配性なんだね。それについても大丈夫だよ。彼も、独自で居場所を突き止めていたみたいだからね」

「彼?」

「ああ、太田先生だよ」

「太田先生が…」


 その仁戸ちゃんの返事に、いつものような柔らかい響きはない。

 また車内は静まりかえる。アップテンポな曲だけが、虚しくエールを送っていた。

 ただただ景色は流れて行くのを見ていると、車は道路脇で減速していた。曲は最後のサビに入った。

 ハヤタさんに促され皆が車を降りる。車が止められたのは雑木林の入り口のようなところ。薄暗いのと周りにはなにもないので驚くほど静かだ。

 首を鳴らしていると、大きく手を振りながら太田先生が駆け寄ってくる。ハヤタさんに会釈して、先生は俺の肩に手を置く。その手から感じる重みはまるで2人から手を置かれているようで、全身に震えが走る。


「次郎は林道の奥にいる。ちゃんと、終わらせてやってくれ。たぶんこれは、俺がやるべきことじゃないんだ」


 そう言って先生は優しく微笑んだ。


「はい」


 先生の手を肩から離して、こちらから握る。


「化け物は、僕だけで結構ですから」


 先生が頷いたのを見て、手を離す。振り返って足を進めた。もう、振り返りはしない。

 この街の後始末は、俺がしなくちゃならないのだから。

 こめかみを抑えて、大きく息を吐いた。


次回更新は12月9日午前1時です!

更新情報などなどつぶやいておりますので、ツイッターのフォローもよろしくお願いします!


<次回予告>

「お前だってさ、もう化け物なんてやだろ?」


玉置次郎が待つため池に沿う林道の先。

共鳴とも呼べる頭痛のする方向へ、基木多は歩みを進めていく。

そうして、彼はそこにいた。

明かされる、異妖の正体。

基木多は、始まりの言葉を得る。


次回、2月編最終話「ふたりの化け物」

それは、戒めと責任。

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