第53話『友達』
6限終了を知らせるチャイムが鳴った。
今朝、今週は駐輪場の自転車がやけに少ないと思って北上に聞くと、「基木多君知らなかったの?3年生は週一のロングホームルームしか来なくていいのよ」と意外そうな顔をしていた。
もう、卒業式まで2週間もない。それが終わってしまえばとうとう玉置さんの足が掴めなくなるのではないか、そんなことがよぎった。
今日は木曜日。
来週が、決行の時だ。
波野が怒って帰った翌日、波野は普段と何食わぬ顔で部活にやってきた。俺が謝ると優しく笑って、こう言った。
「もう、決めたんだろ?」
どうせなら死んだ魚のような目で言ってくれれば耐えられたのに、俺は完全に虚をつかれたようになって口ごもった謝罪しかできなかった。謝ってしまった以上、もう、取り返しはつかない。決まったことだと認めてしまった。
今回も俺だけでやることにすれば、迷惑も心配もかけずに済むのだろうか。
もうそれで行くしか道はない。
担任のSHR終了の声に弾かれて席を立とうとした時、廊下から俺を呼ぶ声がした。見ると葉矢海が胸の前で小さく手招きしている。もう、どうして葉矢海はこういう時に限って恥ずかしがるのかなぁ。呼ばれるこっちの周囲からの目も気にしていただきたいものですよ。
「で、どうしたの」
場所は変わり食堂。
この学校は敷地自体がそれほど大きくないので、無論食堂も大きくない。定員が4人の正方形の机がフードコートのように置かれていて、広さは教室2つほど。アニメだとかでよく見る食堂というよりは、本当にフードコートに近い。
6限が終わってすぐということもあり、ほとんど人はいない。部活や帰宅に勤しむものがドアの外にみえる。
「先日は、ほんとすいません」
「え?あ、いやあれは俺が考えなしに言ったばかりに…」
気がつけばみえるのは机のシミだけだった。カーンという金属バットの音、メトロノームの音、自転車を押す者たちの笑い声。その中に、俺たち2人の会話はない。
「道大先輩」
「ん?」
「兄は、どうしようもない人です」
「は?」
「兄貴は、どうしようもないんです。どうしようもないぐらい、道大先輩が大切なんっすよ」
「そんなこと、わかってるよ」
葉矢海は困ったように笑う。
「兄貴、ああ見えて中学までは友達らしい友達、いなかったんっすよ」
それは少し以外だ。あんなにも優しくて、かっこよくて、いいキャラしてるあいつが、いわば俺と同じような時間を過ごしていたなんて。
いや、思えばそうだ。
俺は、波野が俺たち以外の人たちと仲良くしている様子を見たことがない。ずっと、俺たちと同じ時間を過ごしている。
「だからきっと、兄貴は道大先輩たちを信じてるんです。大切な人だから」
俺と、波野と、北上の3人は、ずっと3人で過ごしてきた。余りにも当たり前だったから、わからなかったのだ。
あいつの居場所が、この対異部だったということに。
「だから道大先輩も、兄貴を、信じてあげてくれませんか」
俺が入部して間もない春。
波野はわざわざ俺のいる教室まで来て、俺に質問した。
名前、なんていうの?
基木多道大、と答えた。
へぇ、道大か。道大は、部活とか入るのか?
なんでお前にそんなことを?なんて言って睨みつける。
大丈夫、俺のことは信じていいぜ?
どうしてあんなこと言ったのか、今の今までわからなかったのだ。
でも、今ならなんとなくわかる。あいつは少し自分勝手で、だけど優しい。
あのとき、あいつは誰ともいなかった。
どうして俺を見つけたのかわからない。
でも、少なくとも。
この佐戸高校で、あいつの友人と言える間柄なのは、俺だ。俺が一番、長い時間をあいつとともに過ごしている。
「そうだな。俺とあいつは、親友なんだ」
葉矢海は嬉しそうに口角をあげる。
「よくもまぁどうどうとそんなこと言えますね」
どうして、あいつがかつて1人だったのか。
そんなことは聞かない。
聞かなくたっていい。
大事なのは、
俺が今、
このとき、
現在、
基木多道大と波野唯臣が親友であるということ。
あいつは俺を信じてくれる。
だから、怒ってくれた。
「はずかしいに決まってんだろ」
大したことじゃない。
ほんの少しの真実と、既存の事実があっただけ。
「兄貴はどうしようもない馬鹿だから。きっといつか道大先輩を困らせます」
ほんの少し、うつむいていた顔をあげた。
「でも大丈夫っすから。あのバカ兄貴のことを、信じてあげてください」
葉矢海はこう言って、照れ隠しのように微笑む。きっと、愛だとかそういう類のものは、この笑みの源のことを言うのだろう。
◆
所々で梅が花を咲かせている。そんな春の兆しに油断した首元に刺すような寒さが襲いかかり、急いでマフラーを巻き直した。とはいえ、春の兆候は梅だけではない。日の出の時刻がほんの少しではあるが早まっている。急がねば、本当に何も出来ずに玉置さんは去っていってしまう。出会いの季節と名高い春は、同時に別れの季節でもあるのだ。
いつもは投稿すると真っ先に教室に行くが、俺はまたしても部室へ向かった。ドアを開けると、案の定、亜麻色の髪の少年はそこにいた。
「はぁ、なんだ?こんな朝早くに呼び出して。鍵借りるの、大変だったんだぞ?」
そう言って少しむくれる波野だったが、浅いため息をついて悲しげに目を伏せる。
「決めた、ことなんだろ?」
「あぁ」
「じゃあ、それでいいんじゃないのか」
「いいや良くない」
波野は顔を伏せたまま視線だけを俺にやる。
つららのように冷たく鋭利なそれは、深く突き刺さって俺を磔にしてしまう。それでも言わねばならない。一歩下がってしまいそうな右足を踏ん張り、大きく息を吸う。
「俺はたしかにこの方法しか取れない。それだけはわかって欲しい。でも俺は、お前と友達でありたい。俺は波野を、みんなを信じる。だから信じてくれないか。そんで、助けてほしい」
息とともに吐き出した言葉を出し切ると、もう喉に残るのはなにかがつっかえたような感覚だけ。それが邪魔をして唾さえ飲み込めない。寒さなんて忘れてしまうほどシャツの中には熱がこもっている。
波野は少し意外そうな顔をしたものの、またすぐに目を伏せる。
「自分勝手なのはわかってる」
言うと間髪入れず波野が閉ざしていた口を開く。
「おいおい今までわかってなかったのか?」
波野は肩を竦める。その顔は優しく微笑んでいた。
「まったく、どうしようもないやつだよほんと」
「わかってくれるのか?」
「あぁ...でも」
俺が首を傾げると、表情ひとつ変えずに、まるで当たり前のことを言うように波野は俺を見る。
「俺に力を返してくれないか」
「は?」とも「へ?」とも似つかない呻き声だけが部室の中に響いた。そんなに大きな声は出ていないはずなのに、俺の鼓膜はこういう音をよく拾うのだから質が悪い。
しばらく波野の顔を見れないでいると、呆れたようなため息が聞こえた。
「友達なんだからさ」
はっとして顔を上げる。波野は眉を八の字にして苦笑いを浮かべてたが、1度瞑目すると、真っ直ぐ俺を見た。逆光でその瞳の奥に煌めくものを観ることはできないが、きっと、一つだけ言えることがある。
「だから基木多、俺はお前を1人にはさせない」
そう言って波野は恥ずかしそうに口ごもりながら前髪をいじる。
言えることは、その姿がやけに眩しいのはきっと、逆光のせいだけではないということだろう。
次回更新は12月2日です!
<次回予告>
「原異形まで来てくれるかな?」
深夜に基木多の部屋に鳴り響く着信音。
波野との友情を確認し、彼らは玉置次郎のもとへ向かう。
次回、2月編第11話「後始末」
それは、決意の証明。




