第52話『井の中の蛙』
ガスの元栓を捻り、改めて身震いした。
外は雪が降っていて、それが体感温度をさらに下げる。
深呼吸をひとつしたとき、ガラガラと音を立ててドアが開かれた。
「おっす、北上」
「こんにちは。今日は珍しく早いのね」
「まぁな」
この教室は普段使われておらず、放課後に対異部が使うだけのため、最初に来た人はこうして机の設置やストーブや換気などをするというルールが存在する。それが面倒だとまでは言わないが、今までそれを避けてきた。
北上が先にいたからだ。
俺は、彼女と2人きりで対面するということを避けたかったのかもしれない。
でも、今日はそうはいかない。
「北上、話がある」
準備室に荷物を置いて、机を移動し始めた北上を呼ぶと、チラと俺を見てまた机を動かす。
「告白なら仁戸さんにしなさい」
「もうしたよ…」
そしてふられたよ。
だがそんな話をしたいわけじゃない。
どうにも話を繋ぎにくくなり、黙り込んでいると、北上が咳払いした。
「机はこんなとこかしら。いつもどおりでいいでしょ?」
「ああ」
俺の空返事に手招きするような仕草で了承の意を返すと、そのまま準備室のドアノブを握った。
「もしも!」
北上の動きがピタリと止まる。
「もしも俺が、もう一度異妖化の力を使うことになるとしたら、北上は、その、賛同して、くれるか?」
勢いよく言ったはいいが徐々に言葉が繋がらなくなる。最後なんてねだる子犬みたいに弱々しくて強情になってしまった。はは、基木多犬か、可愛くねぇ。
俺の咳払いだけが耳にこべりつく。北上をじっと見ていたせいか、北上がいつもより小さく、そして遠く思えた。長机一個分は離れているだろうが、そのせいではないだろう。
その北上は、固く握ったドアノブを眺めている。
眼鏡の奥の目が、ほんの一瞬俺の方を向いた。そして、ため息ひとつ。
「もう、決まったことなんでしょう?なら私はついていく。言ったじゃない。これは贖罪なの」
それだけ言って準備室に入ってしまった。
「ありがとう」
おそらく聞こえていない。それでも、聞こえていたらいいなと思った。
◆
仁戸ちゃんと波野兄妹にも説明すると、仁戸ちゃんは「そうですか、協力します」と一言。波野兄妹は、2人して「はぁ!?」と大声をあげると、俺に怒声を浴びせ始めた。
「お前、それがどういうことかわかってんのか!?」
「兄貴の言うとおりっすよ、制御できるかわかんないって言ってたじゃないすか!」
同じように胸ぐらを掴み迫る2人に、思わず頬が緩む。すると2人とも、パッと手を離した。
「お兄ちゃん、なんか笑ってるよ…」
「道大お前…」
心配そうな葉矢海とは対照的に、波野唯臣は歯を食いしばったように下を向いた。
「悪い、あまりにも似てたからさ」
いつもなら食いつきそうな波野は、下を向いたままだ。
「なんで俺たちがこうなってるか、わかってるのか?」
「悪い、わからん…」
すると波野は顔を上げる。呆然と俺を見て、悲しそうに再び下を向いた。辛そうに唇を噛み、握り締めた手は微かに震えている。
「そうかよ。お前が一番わかってるんじゃないのかよ……俺、先帰るわ」
吐き捨てるように言って、波野は準備室に置いた荷物を取りに行く。
「ちょっ、お兄ちゃん」
あっけにとられたように突っ立っていた葉矢海も、準備室の扉を乱暴に開け、相談室の扉に手をかける兄を呼ぶ。
「……」
バン、と扉が轟音を立てて閉められる。
怯えるようにピクリと跳ねた葉矢海は、振り返って俺を睨む。普段から睨みを効かせることはあるが、それはあくまで冗談。その目には微笑ましささえうかがえるが、今のは違う。これは、本気で睨んでいる。
生唾を呑んだ。
脳内でぐるぐる回る言葉が全て喉の奥でつっかえる。
「あ、いや、その……」
絞り出した声がそれだ。
葉矢海は準備室に駆け込むと、ドタバタと音を立てながら荷物を引っさげ、一瞬、北上の方を見て、乱暴に相談室のドアを開ける。
今にも壊れてしまいそうなほど大きな音を立てて、ドアが閉まった。
「基木多君、今のは良くないわね」
「流石のあたしでもちょっと腹が立ちましたよぉ」
2人して苦笑い。仁戸ちゃんがすっと表情を無にすると、冷ややかな声が俺を刺した。
「モッキ先輩、あたしが死ぬかもしれないことをやると言ったらどうします?」
「あ?止めるけど…」
「なぜです?」
「え?」
「なぜ、止めるんですか?」
「だって、死ぬかもしれないなら、俺はそんな危険なこと、して欲しく……あぁ」
そういうことです、と仁戸ちゃんは儚げに微笑む。
波野は以前、俺のことを友達だと言った。葉矢海だって、兄の友達という捉え方をしているだろう。
俺は、また見下して軽く見ていたのか。また俺の中だけで完結して、それが世界の常識だと勘違いしていたのか。そしてそれを振りまいて悟ったやつを気取って、ヒーローぶっていたのか。
なんと馬鹿馬鹿しいことか。
なんと愚かしいことか。
幾度となく繰り返して、ようやく得た答えに則ったつもりでいたからこうなるのだ。誰にも何も言わなかった。北上が賛同してくれたが、本当は波野と同じ気持ちもあるのではないのか。仁戸ちゃんだってそうかもしれない。
なら俺は、部長なのか。
皆のサポートをしたかった。
守りたかった。
助けたかった。
その全てを成し遂げる存在こそが俺という特異妖者、すなわち悲しむ化け物ならば、俺は何になっていたのだろう。勝手に世界を変えて悲しみを取り戻させてまで出来上がったものは、俺の未熟さゆえの不完全な世界だけだ。
誰のサポートもできていない。ならば、俺は生きてなどいなかった。必死に生きる者の真似事をしていただけだ。
「基木多君、ちゃんと、謝りましょう。あなたにしか出来ないことには変わりないのだもの」
「そうですよ!ほんと、どうして信じてあげられないんでしょうか」
笑えなかった。
仁戸ちゃんの言葉は俺へ向けたものにしか聞こえない。全くどうして信じてやれないのか。改めてそんなこと言わなくたって、もうわかっている。俺がいけないのだ。
いやまて、何を考えている。そんな言い訳、俺が楽になるだけだ。そうだ、とりあえず、謝ろう。きっちりと頭を下げて、話をして、聞いて、それで決めよう。
そう決めても、笑えなかった。
次回更新は11月25日です。
<次回予告>
「友達なんだからさ」
波野唯臣は怒りを見せた。
それに戸惑いを隠せない基木多を、波野葉矢海が導く。
どうしようもない人なんです、と彼女は語りかける。
次回2月編10話「友達」
それは、たった一人を指す言葉。




