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第4話『違和感』

 

 10月にも差し掛かれば、ひんやりとした秋の空にでもなるかと思っていたが、そんなことは無く、このやたら暑い中を、俺はバインダー片手に後輩を応援している。

 桃色の髪の後輩は、えい、とコートに居座る猿型異妖の背中をトンと押した。

 すると、まるで氷の上を滑走するかのように、グラウンドをちゅるちゅると移動していく。

 異妖の向かう先には、亜麻色のお下げ髪に少し眠たそうな目の後輩、波野葉矢海が腰を軽く落とし、右手を前に、左手を腰に引いている。


「…この辺かな」


 葉矢海のつぶやきが聞こえた。

 刹那、ゆっくりとその力強いとは思えない左腕が前方に突き出される。

 そしてそれが伸びきった瞬間、猿型異妖が葉矢海の拳と衝突した。


「ぐぎゃぁぁぁぁぁぁぁ!?!!」


 頭を掻き回すようなその咆哮に、思わず耳を塞いでしまう。

 異妖は負の感情の塊だ。だから、その咆哮は、負の感情の叫びなのである。

 目を細めながらコート端を見た。

 スクランブルな叫びの中で、ただ俺には聞こえた嘆きがあったからだ。

 

 みんな、何してんの?


 テニス部部長逢坂彩葉は、ただ耳を塞ぐ対異部をはじめ、テニス部の他の部員を冷めた目で眺めている。

 その口が歪められた。


「あぁ、異妖ってやつなのかな」


 なるほど。

 その蔑みが、全てを語っている。

 では。

 そうなのであるとすれば、少女は俺と似ているのかもしれない。

 そんなことを思っていると、ふとその叫びが止んだ。

 しばしの沈黙の後、ドッと歓声が沸いた。

 彼女たちもそれに照れ笑いを浮かべつつ、軽やかにこちらへと戻ってくる。


「い、いやぁ。照れるねはやちゃん」

「う、うん。でも、さ。ほら、部長さんは白けてるみたいだし、別にすごい事じゃないよ」


 そう言いつつも、その手はむず痒そうに胸のあたりをきゅっと握っている。


「そんなことないわ」


 それを見ていたのかは知らないが、眼鏡を押し上げながら北上が1歩詰め寄った。そのまま、優しく微笑む。


「そこの部長(仮)はただ耳を塞いでいただけだもの。だから、あなた達はちゃんとやってくれているわ」

「え、何?俺、仮の部長なの?そうなの!?」

「さぁ」


 眼鏡を右手人差し指押し上げて、すっと目を伏せた。だが、その口は微かながら緩んでいて、苛立っているわけではなさそうだ。

 そんなこんな部内会話をしていると、仁戸ちゃんが思い出したようにポンと手を打った。


「あっ!忘れてました。狼犬も、このまま行っちゃいましょう!」


 言われて、コートを見直した。

 退屈そうに欠伸をする2体の狼犬が、じっとこちらを見つめていた。


 ◆


 行っちゃいましょう!と言っても、俺はバインダーをパチンと鳴らし、様子を見守ることぐらいしかできない。

 仁戸ちゃんも少し休憩。葉矢海は肩で息をしながらも、威嚇してくる狼犬に向かい先ほどのように半身になって腰を落としている。


「基木多君、少し下がっていて頂戴」

「あいよ」


 俺の空返事を頷いて返すと、拭き終わった眼鏡を装着し、ローファーをならしながら北上はコートに入った。

 その瞳は、黄色に輝いて見える。


「はぁ、いつまで経っても終わらないのに……」


 その嘆きとともに握りしめていた拳をゆっくりと開き、それらを前に出した。

 と、北上の眼に引かれたように狼の一体が地を蹴った。

 細身の少女に飛びかかる獣。

 それが、彼女の手に触れた刹那、黄緑色の稲妻とともに異妖が大きく後ろに吹き飛んだ。

 まるで、もう一体の自分とぶつかったように。

 狼犬はもう一体の居座るネット付近で着地し、パタリと膝を折った。


「つ、強ぇ…」


 嘆息を漏らしていると、北上が黄色の光を放つ瞳のまま、焦り気味でこちらを向いた。


「あ?どうし」

「おかしい」

「あ?」

「異妖が、消滅しないのよ」

「……ぇ」


 思わず息を呑んだ。

 そんなこと今まで無かったからだ。

 異妖は本来、討伐されれば黄緑色の稲妻とともに光の粒のようなものとなり消滅する。

 だが、さっき北上が攻撃した狼はぐったりと横たわっている。


「北上、お前の攻撃が弱かったってのはないのか」


 問うと副部長は、カチャリと眼鏡を押し上げ、首を横に振る。


「何言ってるのよ、そんなことないわ!だって、あの異妖の攻撃は、明らかに一撃で終わらしに来ていたもの。私を消しにかかった攻撃よ?狼犬は消滅するに決まっているじゃない」


 屁理屈の気もするんだけど…。

 でも、それは確実だろう。北上の『跳ね返す』能力は自分にかかる力をそのままそっくり跳ね返す。狼は、異妖だったとしても所詮狼犬だ。そう簡単に防御力が上がったりすることはない。

 第一、あんだけ飛ばされりゃ消えるわな。

 でも、そうなら…


「じゃあ一体」


 何なんだ、と言おうとした時、轟々とコートの扉が放たれた。


「そこどけ基木多ぁぁ!」


 声を荒らげ叫んだ男は左腕につけたリストバンドを手首まで下ろし、その瞳に黄色の光を灯した。

 そのポケットから小型のナイフを取り出すと、完璧なフットワークでそれを投げた。

 こちらに向かって。

 キーンと音を立ててこちらに飛んでくるそれは、明らかに並のスピードではない。

 は、何?俺このまま死ぬの?

 ただ眺めるしかない。見つめるしかない。足が竦む。気がつけば目と鼻の先に黄緑色の稲妻を発しながら縦回転のナイフが迫っている。

 刹那、ヒュンと耳の横で風が切れる音がした。

 振り向くと、それはもう異妖の前。その勢いのまま、狼の脳天近くに突き刺さった。そして風に飛ばされるのうに宙を舞う。


「ぐががぁぁぁぁゔぁぁぁぁぁ!!」


 先程よりも耳障りな咆哮が鳴り響き、狼犬はテニスコートとキスをした。


「…っ」


 頬に違和感を感じ、そっと撫でる。


「……あぁ。あ、あ?はぁ!?」


 赤黒い液体で濡れた指を見て、俺は思わず叫んでいた。

 そして視界が下がり、膝が地面につく。勢いはあったはずなのに、不思議なことに、痛いとは感じない。

 もう訳わかんねぇし。あ、やべぇ。

 体に力が、入んねぇ。


「モトキタクンッ!?」


 徐々にぼやけている視界の隅で俺を呼んでいるであろう声も、もはやくぐもった音にしか聞こえない。


 ◆


 そっと目を開ける。

 見覚えのある公園。

 骨組みだけのブランコに、錆びついたシーソー。

 俺は、ゆっくりと足元に目を向ける。

 やめろ、向くな、見るな…

 だが、そんな声は届かない。

 なぜなら、これはきっと記憶だから。

 あの日の記憶。すべてが終わったあの日の記憶。

 俺の足元には、横たわる一人の少年。

 その腕には血が滴っている。

 心臓の鼓動がその速度を上げていく。

 そして俺は、違和感のある両手に目をやった。

 その手は赤く染まっている。


「ああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!!!」


 痛い。

 そして違う。


「ば、化け物…」


 痛い痛い。

 だから違うんだよ。


「近寄るなよ」


 痛い痛い痛い。

 いい加減にしてくれ、違うんだって。


「やめてよ、わたしと一緒にしないでよ」


 痛い痛い痛い痛い。

 やめてくれ、違うって言ってるじゃないか。


「もっとマシな嘘をつけないのかよ」

「図に乗るな加害者め」

「いつまでたっても変わらないね」

「君も俺とおんなじなんだな」

「やめて、寄らないで」

「お前のせいで冬樹が!」


 痛い痛い痛い痛い痛いー心が、痛い。

 俺は、違うんだよ。



「そっか。君は……」


 ひたすらそれは、悲しかった。

 俺はお前たちとは違うんだ!そうじゃないんだ!

 でも、違ってなんか…


 ◆


「…違ってなん、か…」


 自分の声で目が覚めた。

 見慣れない、防音設備の証拠である穴が空いた天井に違和感を覚えつつ、重い頭をゆっくりとあげた。


「…っ」


 まだ頭が痛い。いや、どちらかといえば胸のほうが痛みはつよい。

 少し汚れたカーテンをあけ、ベッドの横に置いてあったスリッパを履く。

 ふと、頬を撫でた時に何かが指に当たった。

 恐る恐る鏡を見ると、少し血の滲んだガーゼが頬にあてられていた。

 あぁ、そうか。俺はあのまま気を失ったのか。

 あの、黄緑色の稲妻を発する高速飛行ナイフで頬を切られたことによって。

 なっさけねぇよ。

 そう呟いた時、鈍い音を立ててドアが開かれた。


「やぁ、君が基木多君だね」

「はぁ、そうですが…」


 細身で長身なそのシルエットに、真っ黒な背広、更に腰に付けられたウエストポーチとホルスターが、ただの人間でないことを表していた。

 何処かで見たような気がするが、名前は思い出せない。

 ただ、見覚えがあり、向こうも俺の名を知っているとすれば、それは…

 男はこちらに笑顔を向けたまま、ネクタイを緩める。


「相変わらずだなぁ。そんなに緊張しなくたっていいんだよ?」

「ハヤタさん、速く」

「あぁごめん」


 ふと男の後ろに目を向けると、太田先生が普段とは似ても似つかない、苦虫を噛み潰したような顔をしている。

 と、そんな俺の視線に気がついたのか、名前がまだだったね、と口を開いた。


「ハヤタと呼んでくれ。原異形の教育課所属だ」

「……」


 言葉が出てこない俺に微笑みを返したハヤタは、そのままの声で言った。


「突然だけど、単刀直入に聞くね」

「あ、はい」

「君、特異妖者だね?」


 は?どういう事だ?

 特異妖者?なんだそれ。いや、もしそれが俺の異なるところと同じものを指すのであるとしても、何故、この男は俺のそれを知っているのだろう。

 太田先生と北上、仁戸ちゃん以外知らないはずだ。


「え、どういう…」


 そう答えるしかない。


「流零君の投げたナイフ、あれは、異妖にしか効果を示さないんだよ。人間に当たったとしても、気絶する程じゃないしね」

「え…」


 俺が声を漏らし、言葉を呑んだのを、じっとまっているハヤタの後ろで、太田先生はばつが悪そうに組んだ腕をじっと眺めている。

 ほんの少し、背中に撫でられるような寒気が走った。

 俺が、悲しむのにも関わらず能力もある現状。

 今、答えろと言うのか。それはあまりにも、唐突で酷ではないか。まだ、俺は答えを出したくない。


「…い、今、僕が答えなければなりませんか」


 言うと、ハヤタは少し口をすぼめ、嘆息を漏らしながら後頭部に手をやった。


「はぁ、まぁいいよ。ただし」


 すっと空気が凍りついた。ちらと見たその目から、視線が外せない。

 暗く射抜くような眼光をじっと俺に向け、長身の男は口だけを動かした。


「君は考えておかなきゃならないよ。自分の答えを。こうなった以上はもう『知らない』じゃ済まないからね」


 じゃあ、と頬を緩めて靴を鳴らし、くるりと向きを変えた。

 斜陽に照らされた背中は、朱が差しているのに、どこか薄ら寒い。

 と、その背中が向きを変えた。

 ハヤタは、ぽんと太田先生の肩に手を置いた。


「じゃあ、ちゃんと頼むよ?流零君」

「…わかってますよ」


 ほのかに肩を震わせ、唇を噛む太田先生から手を離し、男はふらりと保健室を去った。


「す、すまん基木多。お前を責めたいわけじゃないんだ」

「わかってます。わかってるんです」


 責められてるなんて感じていない。

 俺が感じたのは、たった一つ。

 確信に近づいた恐怖だ。

 俺が何なのか、何故悲しむのか、特異妖者とは何か、ハヤタと太田先生の関係は。

 後半こそ曖昧だが、前半は何か確信に近いものが喉の奥に滞っている。

 もし、これが言葉として喉からするりと出てしまったら。俺は一体、何になってしまうのだろう。

 2年前の怪物が、もし、ハヤタの言うそれならば。

 俺は一体、何になればいいのだろう。


「そんなこと、死ぬほど考えてきたよ」


 ふと呟いた。

 朱をさす悔しそうな顧問の顔が、ナイフを投げた時先生の隣にいた黄色い目の玉置さんが、酷く悲しく思う。

 俺はまた、誰の何にもなれなくなるのか。

 また、ひとりになるのか。


 …いや、まてよ?


 彼女は?


 彼女も俺と、同じようなものでは無いのだろうか。異なっていることを拒み、偽ってきた彼女は、俺と、もしかすれば俺と、理解者として関わり合うことが出来るのかもしれない。

 斜陽はいつしか赤みをなくし、ただの光になりかけている。今ならまだきっと間に合う。

 彼女を、彼女の孤独を、俺ならきっと理解できる。


<次回予告>

「誰か来るかなって思ってはいたよ。まぁ、幸いそれが基木多くんだった訳だけどね」


ひとりテニスコートで夜空を見上げる逢坂彩葉。

彼女の秘密に気づいた今、基木多は語りかける。


神無月編第5話「理解者」

それは、どうしようもなく彼の言葉。

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