第46話『恋』
世の中が変わっても、変わらず依頼はやってくる。それでも、だんだんとこの街の色が抜けていくのがよくわかった。次第に対異部はお悩み相談部になってきた。さっきなんて数学がわけわかりませんとか言ってきたし。うん、それは俺もなんだけどなぁ。
そうこうしているうちに辺りは真っ暗になっていた。グラウンドから校舎の反響によってこの部屋に舞い込む金属バットの高い音も、正門付近でリズムを刻み続けるメトロノームも、まるで秒針の音のように正確だ。スマホのニュースアプリを眺めるのにもそろそろ飽きてきた。ロック画面に戻すと、時刻は午後5時40分。
「そろそろでるか」
「そうね。はぁ、数学だけはやめてほしい…」
そう言って北上はもう一度ため息をついた。
いつもよりどっと疲れが押し寄せる。俺たちの中でも、まだこの変化についていけないのかもしれない。いつもの違う感覚には、すぐに慣れようとしないほうがいいな。
チラと仁戸ちゃんを見る。仁戸ちゃんもこちらを見ていたようで、こくりと頷いた。持っていたスマホをブレザーのポケットにしまい込んだ。
「鍵は俺が返すから。じゃあ、おつかれさま」
皆が鞄を持って出ていく。その中で1番後ろにいた仁戸ちゃんは、俺をチラと見て、その口を動かす。
わかってるって。それに、これは俺にとっても好都合だ。どういった話を持ち出されるのかは知らないが、俺と彼女が2人きりになれる貴重なタイミングであることに変わりはない。伝えるならこれがベターだ。
ドアの鍵を閉めてしまえば、暖かみのない薄暗い廊下と向かいの校舎で電気が付いている三年生の教室だけが浮かんでいる。
ドアの表札をひっくり返したところで、右肘のあたりを引っ張られらた。
「さ、行きましょうか」
にっこり笑ってそう言う仁戸ちゃん。薄暗いせいで余計に引き込まれてしまいそうになる。誰もいない廊下に少し反響した彼女の声が耳に入るたび、これから俺は一種の勝負をするのだと、心臓の鼓動がうるさくなる。
なんとか平生を保たなければ。
鍵を太田先生に返して、そのまま駐輪場までは無言の時間が続いた。お互いがお互いに何かを言いたいような状況。気まずいような、それでいてずっとこのままがいいような、辺りが暗いからなのか、そんな奇妙な感覚が喉の奥にへばりついて離れない。
トタン屋根の下だけが薄暗い蛍光灯に照らされている。そんな中で、彼女は足を止めた。
「モッキ先輩、いや、基木多先輩」
耳に入るその声の冷たさは、きっと寒さのせいだけではないだろう。それでも、俺は臆さない。ちゃんと決めたことはやる質なんだ。
どうした、と聞き返すと、今度は笑ってみせた。けれど、寒いまま。
「やっぱり、先輩だったんですね。化け物の正体」
心臓のどこかを何かがえぐった。とてつもなく荒い武器か何かで、削られているかのような痛み。胸に手をやっても、ブレザーがしわくちゃになっただけで痛みは引かない。
「ああ。黙ってて悪かった」
そう言うしかない。なぜなら、反論の余地がないこともあるが、俺は伝えなければならないからだ。
いかにして話を運ぶかに思考を巡らせていると、はあ、と短い吐息が聞こえた。
「私からは以上です。もう、深くは聞きません。この間見たことが、おそらく全てですから。先輩が異妖みたいな目で、咆哮で、ハヤタとか言うあの人と対峙したあと、なぜかあたしたちから能力が完全に消えていたんです。聞いていた通りでした。でも、もういいです。あたしの頭の中にあったたがが外れたような感覚でわかりました。きっと義一もこれで壊れたんだって。あたしは、知りたかっただけなんです。初めこそ復讐でしたが、次第にそれがなんとも嫌になって…」
淡々と言葉を紡いでいく仁戸ちゃんも、俺も、ただ地面を眺めてはチラと相手を見る。
「だから。あなたは晴れて、容疑者から犯人に変わりました。もう、あたしの中では事件は終わりです」
そう言って、白い歯を見せた。まっすぐ俺の目を見て。
だめだ。だめなんだ仁戸ちゃん。俺が君と終わってしまえば、君の中で俺が終わってしまえば、俺が君のそばにいる理由がなくなる。だから俺は、ほんの少し心の中で謝りながら、汗ばむ右手を握りしめた。
これは俺のエゴでしかない。
それでもここにいる理由の一つなのだから。
「仁戸ちゃん!」
声が反響する。
「はい、なんでしょう」
その輪郭さえぼんやりとしたものにしてしまう夜とは恐ろしいものだと、ふと思った。
鼻を覆い尽くすような冷たさが演出する静寂が、喉につっかえていたものの温度を上げていく。それを舌に乗せて解き放った。
俺は、君が好きだ。
<次回予告>
「悲しいかい?」
かわった世界。
変化しない自身の心。
変化してもなお続く関係と日常。
基木多が作り上げた状況は、ひとつの依頼を発端として唐突に終わりをつげる。
物語は、最終局面へ。
次回、2月編第4話「終結者」
それは、死神のようなもの。




