第45話『嘘』
嘘をついてはならない。
果たして本当に俺が言葉にしないことは嘘と呼ばれるものなのだろうか。
本当は、こんな葛藤紛いのものも意味をなさない。俺にしては珍しくそう断言できる。いくら考えても出てくる答えは一つであり、そしてその答えありきで思考は再始動する。ひたすら循環しているだけのサーキットに過ぎない。これを思考と呼ぶならば、俺はもはや天才だ。
ならばこの回路に別の道を用意してやればいい。
そう言われるのはわかっていたし、いつか自分でそうしなければならないのだと気付いていた。
嘘は時と場合において使え分けなければならない。
大人の世界ではきっとこうなんだろう。
もし本当に俺の考えが正しいのならば、俺は大人と子どもの境にあるとても中途半端なぬるま湯の快楽に埋もれているだけなのかもしれない。
◆
唐突に世界が変われば、何かしら摩擦というかいざこざというか、そういうことが起こるのが世の常で、それはこの街でも変わらない。悲しみを取り戻したことは皆に瞬時に知れ渡った。それも不思議なもので、ウエスタンヒルと原異形から出された情報によって市民に知らされることになった。そしてそれへの対応にかられている。悲しみを取り戻したあの日から、学校は一時休みになっていたが、それも昨日まで。今日からはまた普段通りの授業が始まる。
では、部活は?
異妖がこの街から消えたのに、あの部活なんて存在する意味があるのだろうか。もし、それがないとすれば…いいや、きっとあるんだ。ないだなんて思っていると本当になくなってしまう。きっと、ある。
6限目が終わり7限との間の10分休みに入ると、教室全体に疲れが漂う。まるでここだけ重力が増したように体が重たい。背筋を伸ばしているのもしんどくなり、そのまま机に突っ伏した。
体の重みを全て机に任せたからか、口から大きなため息が漏れる。
俺の机は窓際列の最前なのだが、ここは教室端にあるエアコンの風が直にくる。結露から推測される外気温など想像できないレベルでほかほかして頭がぼーっとしてくる。少し疲れた体にそれが心地よくて、腕枕に埋めていた顔を右に向ける。すると、ぼんやりとした教室の風景に現れる輝き。眠気まなこでもよくわかる。その色の明るい茶髪の少女は教室を覗き込んでいる。
眠気なんぞぶっ飛んだ。
急に視界が鮮明になり、こんな姿を見られたかもしれないと思うと体が暑くなる。ブレザーを脱いで第一ボタンを外した。
仁戸優夏は心配そうに眉をひそめながら教室内を廊下側から見渡していたが、やがて俺と目が合い、その顔が一気に晴れ渡る。
モッ、と言ったが、そのあだ名を口にするのが少し恥ずかしかったのか、仁戸ちゃんはキュッと縮こまり、教室内をチラと見て胸の前で小さく手招きした。
少し不審な挙動か、はたまたその容貌からか、クラスの生徒たちの目線は彼女に注がれる。俺もチラと彼らに目をやりつつ、すり足ナンバのごとく無音でかつ速く彼女の元へ向かう。そんな俺を見てか、仁戸ちゃんは窮屈そうに縮こまっていた背筋をピンと伸ばし、笑った。それを見て俺も笑ってみせた。
「えっと、どしたの?」
彼女を直視出来ず教室の中へ首を向ける。
ほんの一瞬目をやった時に見えた彼女の頬の線というかその髪というかその鼻というか軽く微笑んだ口元というか、全てが可愛くて綺麗で、恋しい。すぐにまたインナーの中が煮えるように暑くなって教室の中に目線を戻した。
「いえ、太田先生からの伝言を受け取っていたので、伝えに来ました……モッキ先輩?」
自分のでもわかるほどに目力を失っていたのだろう、怪訝そうに俺の顔を覗き込む。
「あ、いやなんでもない。それでどんな?」
仁戸ちゃんは咳払いして答えた。
「今日は部活あります、とのことです」
そうか、とだけ返事をしてみたが、なんとも落ち着かない。それをわざわざ仁戸ちゃんに来させなくたっていいじゃないか。まぁ、嬉しいんだけど。いや部活があるってことが、ね。
変に終わらせてしまった話をどう取り繕うか迷っていると、ブレザーの襟が掴まれ、ぐいと寄せられる。彼女はすこし背伸びして俺の耳元に口を寄せた。俺が首を動かせば、きっと鼻と鼻が当たってしまうのではないか。それにもう耳には彼女の髪が触れる感覚がある。そんな距離。心持ちいい匂いがする。そうして彼女は小声で囁く。
「今日の部活終わり、暇ですか?」
たったこれだけのことなのに、あまりにも仁戸ちゃんがあざといせいで、肌を凍らせてしまうほどの寒さは何処かへ行ってしまった。インナーが肌に張り付くようで落ち着かない。耳の奥からどくどくと音がする。素早く一歩距離を置き、出来るだけ平静を装う。
「お、おう。俺に忙しい日なんてないからな」
おぼつかない返事が面白かったのか、意地悪な笑みを浮かべる。
「では、部活終わりに鍵を返しに行くのついていきます」
「…了解」
ピクリと動きかけたくちびるを噛み締めた。
なんで、こんなことになってしまったのだろう。
◆
針で刺すような寒さが右手にまとわりついて離れてくれない。風が吹くとその針はさらに俺の肌を執拗に攻撃してくる。
目の前のドアに掛けられた『closed』が、二度とひっくり返らないような気がしてならない。俺が裏返せば良いのだろうが、それだけはなんとも気が引けた。
「何してるの?」
不意に横から声がした。北上は眼鏡をくいと押し上げると、腕組みをして訝しげな目で俺を見つめる。
「鍵、持ってるのよね?」
「ああ」
「はぁ…」
小さくため息をつくと、北上は俺の手から鍵を奪い、俺の顔の前でチャラチャラと回してみせる。
「開けるわよ?」
「じゃあ…」
北上は鍵を捻りながら問う。
「じゃあ?」
「俺が札ひっくり返しておくよ」
「うん。お願い」
重そうな扉が開き、相変わらずほんの少し漂う理科室の匂いが漏れだした。それがなんとも懐かしいというか不思議な感覚で、北上もそうだったのか俺の方を向いて笑った。俺も多分、笑っているんだと思う。
『closed』の札を、『対異妖生徒相談部やってます。』にひっくり返して、ドアを閉めた。
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次回更新は10月7日午前1時です!
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<次回予告>
「もう、あたしの中では事件は終わりです」
容疑者としての基木多。
復讐者としての仁戸。
その関係の終焉は、彼の感情を加速させる。
次回2月編第3話「恋」
それは、たった一言のために。




