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第43話『確たる願い』

 

 引きちぎられそうな意識を唇を噛んでなんとか繋いだ。そうしてグッとこちらに引き寄せる。

 一瞬持っていかれそうになって吠えては見たが、それでも体を動かすのがやっとだ。

 来い、もっと、もっと俺の中に来い。

 仁戸ちゃんが口を押さえ、波野が苦そうに目を閉じ、北上が潤んだ目でこちらを見つめる。

 俺が一歩近づくと、今度はむしろ近づいてくれた。が、それも先生が間に入って阻止する。


「基木多、なんで…」


 そう言ってまたしても目をそらした先生の目が大きく開かれた。そちらに首を向けたちょうどそのタイミングで銃にマガジンを装填した音が聞こえた。

 距離はさして遠くない。コートを羽織った青っぽい背広の男が、いつになく真剣な面持ちでこちらにその黒光りする鉄塊の穴を向けていた。

 その穴に目をやった瞬間、それが轟音と共に赤く光った。弾丸が銃口の先2メートルのほどのところに浮かぶ。右膝の力を抜き体を落とした。反時計回りに体を捻ると黄緑と黒の混じったような弾丸が俺の鼻の先を通過していく。

 男の方を見ると、またしてもその指はトリガーに添えられていた。

 ダメだこれじゃ撃たれる。

 夕焼けに作られた男の影に入り込むように姿勢を低くし、左足で強く地面を蹴る。

 彼の膝元まで低空飛行のごとく、力のすべてを尽くした速さで入り込む。

 脚を掴もうと手を伸ばす。しかしそこにはさっきまであったはずの彼の左足はない。

 コンマ数秒の困惑の間に、俺の右頬に黒いものが現れた。

 ガッ、という鈍い音と共に首が強制的に左へ向けられる。そのまま体は鋭いゴロのように地面を滑った。ゴキリとなる首に鞭打ちながらハヤタの方を見た。

 しっかりとそのトリガーに指はかかっている。

 血が混じる唾を吐き、立ち上がる。

 俺にはやるべきことがあるんだ。


「いやぁ、しぶといねぇ」

「まだ、ここでくたばる訳にはいきませんから」


 すると彼は銃を下ろし笑ってみせた。


「誰かを守りたくでもなったのかな?だが残念だけどその力は誰かを守るためのものじゃない。言ったはずだよ基木多君。僕達に協力すればこの街を、救える。そんなリスクを追わなくとも、だ」


 顔は笑っているが目が笑っていない。だからこそ余計に膝が震えた。それでも立たなきゃいけないのは、俺が助けると決めたからだ。


「もしもハヤタさんの方法で僕が力を出せば、たしかに楽でしょうね。でも、その分の異妖の対処も、皆の悲しみも、全て、異妖が持っていくんです。この街は悲しまなくちゃいけないんだ。だから僕は僕なりにやろうとしてるんです」


 ハヤタさんが眉を寄せる。俺は1歩踏み出して稲妻の走る左手をポケットに突っ込んだ。


「俺の力だ。使うのは俺の勝手だろ」


 誰に向けてなのかは自分でもわからない。

 皆を一瞥する。その中で首を止める。

 薄い桃色のような髪が肩のあたりで揺れている。澄んだ瞳はこちらを見つめている。目があって思わず頬を緩めた。

 仁戸ちゃん。

 ちゃんと、俺と同じで俺と、なんて、考えたっていいよな。

 言葉には、できないでいる。

 だから動くしかないんだ。


「ごめんなさい、先生、ハヤタさん」


 呟いて俺は高々と左手を天に掲げた。


 ◆


 俺は何をしたいのか。

 皆をサポートしたいだけだ。それ以外には何もいらない。今まで散々迷惑かけてきた。だからその償いと言ってはなんだが、俺には体がある。使える柔軟な頭はなくとも、俺には動かせる優秀な身体があるのだ。幻と呼ばれ、畏怖を集めたこの身体があるのだ。

 だから、この体で償う。

 だから俺は皆を後ろから、サポートする。部長は顔だと先生は言った。それが本当なら、俺は決して間違ってはいないはずだ。俺にしかない力を駆使して、誰にでも使える薬になればいい、つまり、無理やりにでも笑顔を作っていれば、きっと内側もいずれ暖かくなってくるということだ。

 だから。

 だから俺は間違ってなどいない。


 ◆


「君は本当に愚かで怠惰だ」


 その声に弾かれるように目を開けると、ここは四つ壁のある部屋。あいかわらず床と天井以外はシンプルだ。壁は、今は黄緑のようなそんな色主体で、部屋の中央には椅子が置かれている。あの相談室の木製の椅子だ。

 椅子に座ると、またしても声が聞こえた。


「まぁ、ちゃんと成し遂げたんです。だからそれに関しては不問にしておきますけどね」


 背後に振り返ると、小柄な茶髪の少年が安堵とも取れるため息をついていた。

 俺は席に座ったまま、背筋を伸ばす。


「あのあと、どうなったんだよ」

「ええ、あなたの作りたかったものになりましたよ」

「そうか」


 坂西は俺の返事が意外だったか、俺の顔を覗き込む。その瞳が俺の目に映るのが嫌で、俺はぐちゃぐちゃな床を眺めた。


「やけに反応が薄いですね。元気ないんですか?」

「そういうわけじゃないよ」


 ただ、現実味がないだけだ。

 この部屋には慣れた。これで4回目になる。だからこの部屋に対する現実味ではないだろう。綿菓子を食べた後のような、高級な和菓子を食べた時のような、テニスにおいてペアのプレーで試合に勝った時のような。そんな、ふわふわとしてとても曖昧でそれでも事実としてそこにあって、ちゃんと俺の歴史にはなっているような不安定さがある。

 きっと眼が覚めると世界は俺と同じ部屋の色を持つものになっているだろう。見た目も行動も大して変わらないのに、内側にあるものだけが、大きく変わっている。もしかしたら、人格自体を変えてしまうような、そんな大きなリミットを外してしまうようなことをしたのかもしれない。

 それでも、これ以上異妖により何かが侵されることもない。

 俺は、サポートしたかっただけなのだ。

 これは別に言い訳なんかじゃない。


「先輩」

「へ??」


 しばらくぶりに聞いた呼び名に声が鼻から抜けた。少年は優しく微笑んでいる。いっその事軽い笑みを浮かべてくれた方が楽なのに。それじゃまるで。

 逸らしかけた俺の目を、彼の少し潤んだ瞳が掴んだ。もう、首も動かせない。


「先輩の中には、まだ力は残っています。恐らく、ずっと残り続けるでしょう。この先も先輩はある種化け物であり続けることになるんです」

「わかってるよ」


 彼の眉がピクリと動いたら。それでも、微笑みは崩さない。


「俺がリミットを外すんだ、俺が最後まで力を持ってなくちゃならない」


 フッと短い息を漏らして、今度は高く笑った。


「ははは、責任はとるってことかい?本当に、君は変わらないね。おっと、別に馬鹿にしてるわけじゃないからね?」


 でも、と彼は表情を固めた。


「いいのかい?君のその化け物という肩書きは変わらない。僕なら君の力を奪うことだってできる」


 痛いところをついてくる。

 でもこれが、俺のできることだというのなら。


「俺の力だ。化け物も全部ひっくるめて、俺の力だから。だから俺はこのままでいい」


 そうですね、と彼は笑った。その頬の緩みも白い歯も、全てがとても晴れやかで澄んでいて、思わず俺の頬も緩んでしまう。


「では、僕はここで。しばらく会えないでしょうが、くれぐれも異妖化には気をつけて」

「ああ」


 彼は少し俺から退くと、一礼して右手を掲げた。

 さようなら、とも、ありがとう、とも言えず言われず、この部屋は瞬く間に真っ暗な無限になった。



<次回予告>

「嘘、か」


基木多道大は世界を変えた。

この街の悲しみを取り戻した。

彼の周りには平穏な日常が再び流れる。

まるで彼による世界の変化が、あってもなくても同じだったかのように。

そうして、基木多にとって最も長い2月が幕を開ける。


次回、2月編第1話『2月』

それは、覚悟の結果。

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