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第31話『謝罪』

 

「も......た...お」


 声が聞こえる。


「もと...た...い!」


 次第にその音が鮮明になっていく。そして鼓膜を叩く振動が意味をなした瞬間、俺は目を開けた。


「基木多!」


 ピントがあっていくにつれ、彼の顔立ちがくっきりしてくる。特別美麗な訳でもなく、かと言って残念な感じでもなく、平凡を具現化したような当たり障りのないパーツを取り集めた顔立ち。まぁ、中の上くらいか。

 太田流零先生が、俺の肩を揺らしていた。


「ん、...ん?あ...はぁ」

「顧問をみて開口一番ため息とはどういう意味だよ!ずっとずっと見てたんだぞ!」


 なんだよ怖ぇよ!ずっとずっと見られてたのかよ!

 重くてだるい体を起こし、あたりを確認する。

 壁は先程のような4色ではなく、褪せた白を基調とした至って殺風景な部屋。10畳程の一面には畳が敷かれており、それらもところどころ傷んでいる。年数は立っているようだ。コーヒーのシミもいくつか見て取れる。

 シンクが壁に添えられており、なるほどここはアパートかなにかの一室か。

 で、なんで俺はここにいるの?


「俺は、どうしたんですか」


 すると太田先生は、苦悶の表情を浮かべた。


 ◆


 太田先生いわく俺は予想通り異妖化していた。先生は俺が異妖化について知っていたことに驚いていたが、坂西の名前を出すと、大きく目を見開き、懐かしむようにそっと目を閉じた。


「そっか。じゃあもう、いいよな」


 そう言って太田流零は語り出した。

 先生の高校時代、彼の友人が俺と同じ化け物だったこと。そして、そこで坂西とハヤタさんに知り合ったこと。そして坂西の正体、彼の友人のすべきことを知ったこと。そして彼の友人はその力を抑えられず暴走し、討伐されたこと。先生が俺の通う高校のOBであることも、初めて聞いた。そして、対異研に入っていたことも。

 また、あの時―つまり俺が鍵を開けられ、目を開けた時、俺からはパルス信号のようなものが発せられていたそうだ。

 おそらく、それは以前ハヤタさんが言っていたものと同じだろう。なら、もう間違いない。

 俺は、化け物になっていたのだ。

 では、暴走する怪物をどうやってここに戻したのか。

 太田先生もこれは少し言葉を詰まらせながらではあったが、ちゃんと説明してくれた。

 玉置さんが、俺の力を転写し、俺を止めたのだという。

 それが、化け物なのか、それとも元来た道を戻る力なのかはわからない。聞くつもりも、ない。

 俺のために、聞かない。

 俺が玉置さんに会いたいと言うと、太田先生は目を細めた。


「基木多、お前は...」

「分かってます。化け物なのは、分かってます」

「それは坂西がそうしろと言ったからか?」

「違います...」

「そうか」


 言って彼は本棚から1冊本を取り出し、俺の手元へ音も立てずに置いた。


「まぁ、これでも読んで今はゆっくりしていればいいさ」


 表紙の文字に俺は思わず頬を緩めた。

 この人本当にブレない。


『食パンダッシュで骨折しろ!』


 そう言えば、まだ読んでないの、対異部で俺だけなのかな。


 ◆


 食パンダッシュで骨折する話かと思えば、思ったよりも内容が濃くて、かと言って難しすぎるわけでもなく、手頃で読みやすい1冊だった。

 よく見ればなにかの賞も貰っている。なるほど俺以外の人間が皆知ってるわけだ。いや、でもちょっとうちの部は知名度高すぎませんか?高すぎませんか。そうですか。はい。

 ただ、俺はそれはもう拍子抜けしたような感覚を抱いていた。

 大まかなあらすじを述べると、至って普通の高校生がいたって普通の人たちを軽蔑し続け、やがて自らの過ちを理解し、己の意思で生きようとするという、まさかの食パンダッシュがあまり関係ない模様。笑いあり、涙あり、シリアスありの、青春群像劇。

 面食らった。めーん!

 主人公がカップル達を軽蔑し続ける。それも、とても軽蔑とは思えない言葉が、蔑みの目を向ける槍に読み取れる。多分、客観的にみた侮蔑、尻目に置いた感覚がこの奥にある。

 序章のそれは、はっきり言って、すごく、気持ち悪かった。俺には語彙力がないので、気持ち悪かったとしか言いようがないが、なんだろう、別に言葉を使うなら、抉った。

 プライドみたいな何かを、抉られた気分だった。

 何かこれが、俺の道を示すようで、少し怖かった。それでも、最後の一節を読み終えた時には、俺はストーリーにのめり込んでいたのだから、まぁちゃんと落ち着いて読めたと言えるのではないだろうか。

 本を閉じる。顔を上げると、外はもう夜だった。明るかったのは、この部屋の電気を最近LEDに変えたからだろう。できればLEDにするとかよりも、まずこの準備室と隣の相談室の内装を綺麗にしてもらいたいが、まぁこれはこれで愛着があるので、ため息ひとつつくだけにしておく。

 今日の相談は俺と仁戸ちゃん。仁戸ちゃんは少し席を外している。

 ふと思った。

 俺も、この本の彼と同じなのではないか。

 彼も、悲しい化け物なのではないか。

 あの日からもう5日経つ。坂西の最後にはなった言葉は、実像を持ちつつあった。

 なら俺は、どうやって化け物になればいいのだろう。心の底に刷り込ませることのできる技もない。

 俺は、どうやって軽蔑と向き合えばいいのだろう。

 机に本を置くと同時に、相談室の扉が開けられる。


「帰ってきたぞー!」

「教室か?」


 仁戸優夏は目一杯の笑顔をつくり、小さく手を振る。


「いえいえ。ちょっとお呼ばれされたものですから」

「ん?誰に?」

「ハヤタっていう爽やかなおっさんに」

「...なにか言われた?いや、言われてないならいいんだけど」


 ハヤタでもおっさんの歳なのか。あの人すごく若そうに見えるから以外だったのだが、もうそろそろ40歳というところらしい。厳密に言えば、35歳。だった気がする。太田先生がこの間言っていたのを覚えている。

 少し黒ずんだ床から目を離し、仁戸ちゃんをみると、彼女もまた床を見ていた。


「あ、その...ふ…冬樹のこと、なんですけど」


 変だな。そんな感覚がふと頭を過った。珍しく表情をこわばらせる。恐れているのだろうか。いつもはあんなにも、殺意に似た目を向けてくるのに。


「俺が、化け物だった話?」


 問うと仁戸ちゃんはチラと俺を見て今度は俺の背後に置かれた本棚に目をやった。返事はとても、苦しそうだ。


「え、あ、はい...」


 だけどなにか、やけに俺は冷静でいられている。たしかに、心做しか体の内側が冷たい。内部から氷が作られていくような感覚はある。

 でも、それまでなのだ。体を貫かれることも、それに支配されることも、俺が凍ることもない。

 あくまで、襲われるだけで、恐怖感はない。

 だから、今ならいける気がする。


「仁戸ちゃん、俺は化け物だったんだよ」

「え?」

松雪(マツユキ)を壊したのは俺以外の誰でもないし、こないだ暴走したのも俺以外の何者でもない。全部、俺なんだよ」

「いやでも...別にそれでどうしろって…」


 仁戸ちゃんは困惑の表情を浮かべている。

 どうしたんだよ。いつもはもっと、もっと…

 頼む。わかってくれ。じゃないと、俺は、俺は仁戸ちゃんに―


「俺は仁戸ちゃんにちゃんと知って欲しい。俺が何者かを、ちゃんと。仁戸ちゃんは元はと言えば俺に復讐するためにここに来たはずだ。なら、本望だろ?なぁ仁戸ちゃん。俺は化け物だ。松雪を壊し、自らの過ちを忘れ、忘れようとした愚か者だよ。だから―」


 そこまで言ったとき、目の前のペンが大きな音と共に机上で跳ねた。

 彼女は首を横に振りながら叫ぶ。


「だから、なんなんですか!」

「…え?」


その小さな方が小刻みに揺れ、震える唇からかすかに息が漏れる。


「いまさら、そんなこと言われたって、どうしようもないじゃないですか!」


確かにそうだ。でも、それでも知ってほしい。俺が、耐えられない。

彼女は乱暴に鞄を手に取ると、相談室のドアに手をかけた。


「あたしは先に帰りますから」

「待って!」


彼女は振りかえらない。その代わりにドアに触れている手がほんの少し跳ねた。


「俺に、謝らせてほしい」


彼女が大きく息を吸ったのがわかった。


「…謝って…謝って何になるんですか!」

「それは...」


 仁戸ちゃんははっきりと俺を見た。そしてその潤んだ瞳は、離さない。

 離してよ。見ないでくれよ。俺は、もう嫌なんだよ。もう見たくないんだ。

 だから、君の容疑者でいさせてくれ。


こんにちは、蛸中文理です!

読んでいただきありがとうございます。

次回更新は6月17日の予定です。


<次回予告>

「えーっと、ご、ご飯食べに行くとか、どうっすか?」


クリスマス。

世は煌めき、それは人々の心を包み込んでいく。

聖夜ぐらいは、いつものように。

聖夜ぐらいは、やさしく。

聖夜だからこそ、もっとみんなと。

聖夜だからこそ、特別なことを。


次回、師走編第6話『クリスマス』

それは、鳴り響くベルの音によって。

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