第30話『4色の壁』
誰かが指を鳴らした。
それに押し上げられるように瞼を開けると、そこは先程見た混沌の部屋。天井は黒くて、床は色んな色が複雑に入り混じっている。法則なんてすっとばして、互いを消しあっている。足を動かすたびに、ベチャッと気持ちの悪い音がした。1件4.5畳程の四角い部屋だが、いつまで経っても壁には辿り着けない。それでも、見るからにこの部屋は一定の大きさを保っている。
背後で絵の具を踏む音がした。
「ほらやっぱり。言わんこっちゃない」
振り向くと、坂西が額を抑え俯いていた。軽い口調に呆れた表情。ふと記憶が蘇る。こいつはたしか、鍵を開けた。俺は悲しみを伝えたくて、気付けばここにいて、何かを叫んで、あの金髪2人を―まさか、俺は、また過ちを犯したのか。俺は化け物となり暴れたのか。俺は悲しみを伝えたのか。
なら、逢坂さんは?
逢坂さんはどうした。俺の隣にいたはずだ。それで、俺を止めようとしていた。彼女には俺の化け物の姿がわからない。
「おい、あいつらは一体どうなった!」
「あいつら?」
ここに来てまたその軽々しい笑みを見せるのか、坂西。
「とぼけるな!俺はあの金髪に何かをしたはずなんだ。それで、逢坂さんにも危害が...」
「あぁなんだその事か」
坂西は、至極当然のことを言うように手を広げ肩を竦めた。
「そりゃもちろん、金髪の少女達は無事悲しみに明け暮れていますよ。で、なんでしたっけ?あぁ、あの無能力の女の子ね。彼女は保護されましたよ。君、強制停止させられたんです。その後ちゃんとね」
「無事なのか?」
「さぁ知りません。僕はあくまで引き金。君との対話のためにいるんです。だから君の異妖化が終われば僕は君とまたおしゃべりを楽しむだけですから。外には興味ありません」
膝をついた。絵の具を踏む音がした。
気持ち悪い。
俺は悲しみを伝えたかっただけだ。そして、悲しみに悶えているなら、本望だろ。なのに、なんとも晴れない。
天井は真っ黒いまま、俺に覆いかぶさっている。
そうだ。逢坂さんを見に行かなくちゃ。
「坂西、ここからだしてくれ。俺は逢坂さんの友人なんだよ。これでも。だから俺には知る権利がある。いや、俺は知らなくちゃならない」
「まぁまぁいいじゃありませんか。もう少しおしゃべりを楽しみましょうよ」
坂西はどこから出てきたか分からないは椅子に座った。木製の椅子で、あの部室の椅子に似ている。
坂西が手を差し出した。どうやら座れということらしい。
席につき、しばらく坂西を睨む。ただ沈黙がこの部屋に滲んでいく。その間も、相変わらずこの部屋はぐちゃぐちゃで、シンプルで、とても、綺麗で気持ち悪かった。
「そう言えば、聞かないんですね」
「え?」
あまりにも唐突だったのと油断していたのとで、体が跳ねる。脳みそを稼働させて検索すると、1件ヒットした。
あの、金髪2人のことか。
ハッとした。少し忘れていた。そう言えばあの人らはどうなったんだろう。
「いや、別に聞かないって言うか、まぁ逢坂さんの方が...ね?」
「違うでしょ。どうでもよかったんじゃないんですか?別に悪い事じゃない。どうでもいい人のことは普通は聞きませんよ」
「いや、だから別に...」
「別に?」
言葉が詰まった。出てこなくなった。
別に、いいじゃないか。あいつらのことなんざ知らない。知りたくもない。逢坂さんの安否確認さえできればそれでいい。
下を向いていた顔を無理やりあげた。坂西だって言ったじゃないか。
「悪い事じゃ、ないんだろ?」
「いえ、最低ですよ」
「は?」
話が違う。どうでもいい人間は、どうでもいいままでいいだろ。何が最低だと言うのだ。
「君さ、彼女らに何したか分かってます?」
「そりゃまぁ...いやでも俺は、ただ悲しみを伝えたくて...」
なんだよ、これじゃあ俺が悪いみたいじゃないか。俺が化け物なのが悪い事みたいじゃないか。俺は悪くないだろ。お前と、俺の敵が悪い。つまり、俺を取り巻く環境が悪いだけだ。
「はぁ。だから君は高乃ちゃんに愚か者だって言われるんだよ。事実そうだしね」
「そんなことわかってるよ」
俺はたしかに愚か者だ。自分の心を騙し、自らの目的を放棄し、あまつさえ忘れていたのだから。そうして他人を欺く者は、たしかに愚か者だと言える。自分の肩書きも、能力も、使命も、忘れたいことは忘れる。そんなのを愚か者と呼ばずしてなんと呼ぶのだろう。
だが坂西は、まっすぐ俺を見て放った。軽々しい雰囲気など、微塵も感じさせない声音で。
「いいや、わかってない」
◆
「なにがわかってないんだよ」
俺は愚か者。それは変わらない。自らの為すべきことを忘却の彼方へと葬り、仁戸ちゃんに想いを寄せた、無知で無能の惨めな男だ。それはよくわかってる。ちゃんと分かっている。
自分の素材を、俺はわかっている。
はずだ。
「質問を変えようか。この街をどうしたい?」
この街。この腐ったユートピアをどうしたいかなんて、なんで今更聞くのだろうか。わかりきっている。むしろそれ以外に道はないし、道を作る気もない。
答えはすぐに巡ってくる。
「俺はこの理想郷を壊す。そうして元通りにする。悲しい街を、悲しめる街に変える」
「はいそれ」
「......は?」
坂西はビシッと指をさしたままニヤリと、愉悦に浸った表情をしている。
「僕は、この街を壊せなんて一言も言ってないし、この街はそう簡単にいじっちゃいけないって言いましたよね?」
体をなにかが貫いた。そうして貫いた傷から何かドロドロしたものが滲み出して、体の内側で燻っている。それが喉まで上がってきて、そして喉に張り付き、胸焼けのような痛みを生んでいる。ぼやけていた視界が、今度は目を見開いたせいか鮮明になっていく。相変わらずこの部屋は訳が分からないほど色が混じっている。
「一方的にぶつけようとするから、君は理性を失うし、相手は心を壊される。彼らにかかったリミットを外して、心の奥に刷り込んでやるだけでいいんです。それで、いいんです」
下を向いた。慰められている気がする。背中を優しく撫でられるような温もりが、微かに頬を伝う。
俺は、間違ってるのか?いや、問うまでもない。間違ってる。欺瞞で傲慢で擬態で稚拙な人間なのはもうここまでくれば分かりきっている。
なら、なんで、この頬は温かいのだろう。
「だから、ちゃんと学びませんか?僕はちゃんと教えるって言いましたから。あとは先輩がどうするかだけですよ」
2度目の勧誘。いやこれは英語で言えば why don't you の構文になるのだろうか。
その瞳には俺に逆説を言わせることを認めないものが光っていた。無論、俺もこれを拒む気はもうない。
前みたいに、心に刺さらない。俺は多分、あの時怒っていたのだと思う。相手の無知に、怒っていた。たいまつを相手にそのまま投げつけたのだ。でも、違う。俺は相手の手元にある薪に、火をくべてやるだけでいい。相手を擁護するような目を開けばいい。
全部、俺ができること何じゃないだろうか。
なら、いつでも答えはひとつ。変わらない。すべきことは、するのが当然のことなのだから。
「やるよ」
坂西はフッと肩を下ろした。その頬に安堵の表情が浮かぶ。そしてこれまでないくらい爽やかの微笑をたたえた。
「みっちり教え込んでやりますからね」
「ああ、頼む」
「あ、最後にひとつ、クイズです」
「ん?」
「突然ですけど、この部屋は君の世界なんです。君の心と見えてる世界です。そこで君に問います。この4色しかこの部屋にはないんです。何故か、わかりますか?」
「え?ん......」
4色で出来てる割には、天井真っ黒だし、この床はいろんな色の絵の具をぶちまけたみたいな色をしている。にわかに信じ難い。それにここが、俺の見ている心の世界だなんて余計にだ。
「いや、わからん」
「でしょうね」
「は?」
「...いや、別になんでも。ちょいと問題が難しすぎたかなと」
「おいおい...」
ちょっとイラッと来るぜこいつめ。まぁ、いつもの坂西との会話だ。意味深発言みたいなものしかこいつは口に出さない。意味の無いことは、多分言ってない。ホントのとこらはわからないわけなのだけれど。
「さてと。そろそろお時間ですね。逢坂さんは大丈夫なはずです。問題は君がこれから耐えられるかですけど...」
「できるよ。俺にはお前がついてる」
「何も出てきませんよ?...さぁ、ではこれにて」
坂西が指を鳴らす。
瞑目した。ぎゅっと瞼を下ろした。少年が、何か言った気がしたのだ。
そして勢いよく目を開いた。
「結局、君は悲しい化け物なんだね」
なぁ、俺は何を間違ってるっていうんだよ。
こんにちは、蛸中文理です!
読んでいただきありがとうございます。
次回更新は6月10日の予定です。
<次回予告>
「それは坂西がそうしろと言ったからか?」
中学時代の事件の時のように暴走してしまった基木多道大。
その後会うことがない逢坂彩葉。
そして、化け物を自覚した基木多に接する仁戸優夏。
力の強さを知った彼に、選択などできるのか。
次回、師走編第5話『謝罪』
それは、彼らの冬への入り口。




