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第11話『昼休憩と午後の部』

 

「報告しない?」


 北上が眉を顰める。


「ああ、言わない」

「なにか理由があるのよね?」


 眼鏡を押し上げて俺にじっと視線を送る。


「これが六崎さんにとって最善の策だと思う」


 俺の言葉に全員が目を剥いた。

 当たり前だろう。俺はあくまで対異部の部長。生徒会長の心情や体育祭の成功なんかに手を貸すべきではない。しかし、それでも俺はこの体育祭を成功させたい。頑張っている人を、いや、俺と同じ境遇の頑張っている人が成功するのを、俺は見たい。


「ま、いいんじゃないか?基木多がこんなに懇願することなんてないだろ?」


 ちゃっかり部室で弁当を食べていた玉置さんが箸の先をちょいちょいと俺に向ける。


「ね、いいよね、流零くん?」


 そう言って教卓の太田先生のほうへ首を向ける。

 太田先生は大きく息を吐く。


「隠すなら、隠せよ」

「はいっ!」


 俺の動きは決まった。彼女にどう思われているかは定かではない。たぶん嫌われている。でも、きっと嫌われているからこそ、できる。


「昼からも頑張ろう」


 弁当をしまいながら、俺は部室のみんなに笑顔を見せた。


 ◆


 時刻は午後2時過ぎ。

 歓声が少しずつその熱を冷ましていき、グラウンドには空の青さとは対照的に灰が積もったようなかったるさを覚える。

 俺の午後の担当は校舎の正門前。

 この佐戸高校はおかしな敷地をしており、校舎とグラウンドの間に細い公道が走っている。世の中には校舎からグラウンドに歩道橋を経由していかないといけない場所もあるというが、それとも違う。

 この市より外にはほぼ出たことがないが、きっとこの学校の構造は珍しいものなのだろう。

 今はそうでもないが、もともとこの学校の付近が住宅地であったことや佐戸高校が古い中学校かなにかを改修したかなにかによるものだと聞く。

 まぁそんなことは今はどうでもよくて、仁戸ちゃんが相方になっているという事実がここにはある。そしてそれだけが現在この世界を構築している唯一無二の存在となっていることは言うまでもない。

 そんな彼女は、鼻歌まじりに体育祭の競技を見ている。体とともに明るいオレンジの髪が揺れ、折り返されたジャージの襟の向こうには、かすかにうなじが覗く。まるで吸い込まれるようなそれからなんとか目を逸らした。別になにかが過ったわけではないが、人間どうしてか女の子のうなじにドキッとしてしまう。なんでなんだろう。俺も案外ぼーっといきてたんだな。怒られちゃう。


「なあ、仁戸ちゃん」

「なんですかぁ?」


 コテッと首をかしげる。


「仁戸ちゃんさ、この体育祭、楽しんでる?」

「え、なんですか急に…ああ」

「ああ?」


 その口元がゆっくりと緩んでいく。

 うわ、なんか嫌な予感。


「あ、もしやモッキ先輩、六崎先輩に気があったりしますぅ?」

「はいはい、わかってたよ!そういう流れになるのわかってたよ!」

「で、どうなんです?」


 ニヤリと笑って俺の顔を覗き込む。

 はぁ、かわいい。


「ただ、気になっただけだよ」

「ほほう、気になっただけですかぁ」

「そ。なんかさ、六崎さん、全部自分で背負い込むタイプだろうし、なんか心配で」


 仁戸ちゃんは意外そうに目を丸くした。

 だがそれは一瞬。不気味なほどゆっくりと目が伏せられ、それとは反対に口端が吊り上がっていく。


「へえ、先輩、そんなこというんですね」


 その一言に背筋が凍る。

 仁戸優夏が俺のことを「先輩」と呼ぶとき、それは彼女が俺への復讐者としての側面を見せる時だ。

 だから俺は、ばれないように目を背ける。一度見ると決して逃れなれないから。


「それで、報告はしない、と」


 彼女は腰に手をあて、俺に詰め寄る。背後は壁。

 足音も立てず、俺が逃げる隙すら与えず、ほんの少しも俺に触れないままで、俺は動きを封じられてしまった。


「いいこと教えてあげましょうか、先輩」

「え、いや…」


 要らない。なんて口にする前に、明るいオレンジの髪が視界に舞う。そしてかすかに甘い香りが漂い、両肩に重みがかかる。左耳から頬にかけてが確かな熱を感知してくすぐったい。

 蠱惑な吐息が耳にかかる。

 甘美なそれは、ひどく俺の心臓を強く掴んだ。


「それぇ」


 そして仁戸優夏は、告げる。



「大きなお世話って言うんですよ?」



 時間と音と感覚の一部が、停止した。

 聞こえるのは、彼女の吐息。それと、今にも破裂しそうな心臓の音。そのふたつだけ。

 俺の肩を突き放すようにして2、3歩下がった仁戸ちゃんは笑っていた。

 学校指定のジャージの袖で口元を隠しながら。


「さ、そうこうしている間に、モッキ先輩の種目、はじまりますよ?」

「あ、あぁ、そんな時間か。じゃ、なにかあったら太田先生を呼んでくれ」


 ビシッと敬礼姿勢を取る。


「了解でありますっ」


 とてもかわいらしいその仕草は、やはりとても恐ろしい。

 どこかまだ、高揚している俺がいた。


 ◆


 腕時計の短針が3に差し掛かろうとしていた。

 体育祭もいよいよ大詰め。部活動リレーからの色別リレーからのクラスリレー決勝からの学年対抗リレーと、まさにリレーパラダイス。いやまじで、そんなに走りたい?なんなの?人とのつながり感じたいの?それはもれなく俺もだけどさ。走りたくはありません。と、ここまで走ることに全否定の姿勢でいると「基木多走るの?」と勘違いされるかもしれないので、ここで断っておくと、俺はリレーには出ません。

 学年で足の速いやつがハチマキを巻いてスタートラインに立つ姿に、グラウンドの歓声はまさに最高潮を迎えていた。

 ここで違和感を覚えたなら、きっと小学5年生より頭いい。そう、俺は校舎の裏にいたはずなのに、グラウンドの様子が見えている。なぜなら、俺がいまグラウンドにいるからである。

 俺が棒引きを終えて撤収中だったこともあるが、もっと大きな理由がある。

 我が対異部の部員が走るのだ。

 出場するのは、仁戸ちゃん・波野兄妹・玉置さん・太田先生。先生は先生軍団で走るらしい。去年も走ってたな。なんでか知らないけどあの人めっちゃ速いんだよなぁ。

 ちなみにここに北上がいないのは、お察しのとおり、足が速くないから以外に理由はない。そういうところで変に期待を裏切らないのが対異部副部長北上鷹乃という女子である。

 スターターがピストルを掲げる。

 渇いた銃声とともに、グラウンドが揺れそうなほどの声援に包まれる。第一走者がバトンを渡し、そして走りだしたのは仁戸ちゃんだ。ゆるゆるふわふわないつもの感じとは違い、綺麗なフォームで地面を駆けていく。仁戸ちゃんは現在トップ。コーナーを曲がり、第3走者へ。しかし、他学年の第3走者にじわじわ距離を詰められていく。

 苦悶の表情を浮かべる第3走者。

 1年生はその後順位を下げていき、アンカー手前では三位。三年生、二年生、一年生、教員の順だ。そしてその4者がコーナーに差し掛かると、グラウンドにひときわ大きな歓声が上がった。

 アンカーは、玉置さん、波野、葉矢海、太田先生。

 一見全体に歓声が上がっている気がするが、そうではない。玉置次郎が走る。その光景に対して歓声が沸いているのだ。学校でも有名な玉置次郎。才色兼備な玉置さんは、部室ではいつもふざけているが、部室を出るとまったく印象は異なる。他者を寄せ付けないその立ち振る舞いは、まるでなにかに取りつかれているかのほどのものだ。しかし、それがかえって校内での人気に火をつけている。

 高嶺の花ほど、じっと見てしまうものなのかもしれない。


「お疲れ様」


 そう言って横に並んだのは北上だ。どうやら持ち場が山を越えたらしい。


「お疲れさん」


 俺は陸上トラックに目を向けながら答える。


「ねぇ、基木多くん」


 1位のバトンが差し出される。

 それに続いて順にバトンがつながっていく。


「あなたは…」


 まるで陸上大会のような苛烈さを見せるアンカー達がコーナーに差し掛かる。


「あなたは」


 そして玉置さんに波野が並んだ。


「あなたは、誰を見ているの?」


 思わず声のほうに首を向ける。

 風になびく黒髪と眼鏡が、その表情の大事な部分を誤魔化し、歓声が彼女の声をかき消さんとしていた。でもこれはわかる。なぜなら、俺も同じことをよくするから。

 そうこれは、俺への問いではない。

 その証拠に、彼女は眼鏡の奥の瞳を幸福と懺悔で濡らしていた。

 グラウンドで動くひとりを目で追いながら。


「私は、波野くんから、目が離せない」


 良かったな、波野。

 嫉妬とは違うなにかがうごめくのを感じながら、俺はもう一度走る彼らに目をやった。

 波野に次いで、玉置さんがゴールした。


<次回予告>

「目を離すと君たちはいつもこうだ。なにかに押しつぶされて、最後には自分でそのつっかえを外してつぶされる」


北上の一言に困惑する基木多。

そんな彼が部室に戻ると、閉会式を終えた六崎遥が挨拶にやってきた。

彼の行動が、彼自身を追い込んでいく。


体育祭編第7話「閉会式」

それは、誰が起こした嵐か。


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