第四話
「帰る場所がないのなら、ここで魔法使いにならないか?」
アグリィは理解できなくて首を傾げた。
「つまり、私の弟子にならんかということだ。もちろん君が良ければだが」
「でも、わたしは魔法なんて使えない。です」
「それを教えるからこその弟子だ。幸い、才能はあるようだからな」
「さいのう?」
「ああ」
オースティンズはベッドを指差した。アグリィは忘れてしまっていたが、ベッドにはトカゲが丸まっていた。
「そいつは火蜥蜴という。火を司る精霊の一種で、悪霊を追い払うときに力を借りた。それから君のことを気に入ったようでな、眠っている間も側に付いていた」
話を聞いたのか火蜥蜴が顔を上げた。丸いルビーの瞳でじっとアグリィを見上げてくる。赤く透き通ったその瞳は恐ろしくはあったけれど、怖くはなかった。動物はアグリィを殴ったりしないからだ。
「彼ら精霊は魔力を持つ人間を好むが、そこまで懐かれるのは珍しい。魔法は精霊の力を借りることが多いから、彼らに好かれるのは魔法使いの大切な才能だ」
「魔力、わたしが……?」
「そうだ。悪霊達が君を狙っていたのは魔力を持っていたからだ。奴らは魔力を持つ人間を好んで襲う。そう言った存在は他にも多い」
だから、魔法を学ぶのは自分の身を守るためでもあるのだとオースティンズは言った。
「魔法使いならば自衛の方法は持っている。だが、そう言った知識を持たぬ者、特に子供は狙われやすい。君自身の安全のためにも魔法を学ぶことをお勧めしよう」
「……それは、命令ですか?」
「ん?」
「弟子になれというのは、命令ですか?」
アグリィがオースティンズを見つめる。暗く淀んだ瞳は感情を読み取りづらいが、オースティンズにはどこか困惑しているように見えた。
「違う。これは命令ではないし、君に強制するつもりもない」
「……」
黙り込んだアグリィは事実困っていた。魔法がどんなものか分からない。オースティンズが信用できるか分からない。そういった理由は『一切関係がなかった』。
今までアグリィは命令されて生きてきた。命令された仕事をこなすことだけが彼女のやるべきことであり、命令されていないことはしない、考えない。それは奴隷としてはごくありふれた性質だった。
彼女には自分で決めていいことなど何一つなかった。生まれて初めて自分で決めろと言われて、アグリィは困ってしまった。
オースティンズもそのことは理解していた。奴隷として育てられた彼女は、自分で何かを決定する経験が与えられなかったのだろうということも。そしてそれは彼女の責任ではないことも。
しかし、こればっかりは彼女自身の意思で決めてもらわなければならない。魔法使いにとって何より大事なものは二つ。『意思』と『知識』だ。魔法使いは自分の意思を見失ってはいけない。それは魔の物と深く関わる魔法使いが、魔に魅入られないための教えだった。
だからオースティンズは、アグリィが選べなかった時は弟子に取ることはしないと決めていた。彼女が必要ないと言っても、彼女がいた屋敷を見つけて連絡を取るか、近隣で彼女を引き取ってくれる相手を探すつもりだった。
「わたしは……分からない。です。どうしたらいいのか……」
「……そうか」
「魔法は、よく分からない。です。わたしはきっと、うまく……できない」
「……」
オースティンズは静かに息を吐いた。駄目かもしれないとは予想していた。けれど予想していた以上に落胆が大きかった。
「でも……」
「ん?」
「もし、魔法を使えるようになったら、わたしは……」
必要とされる人になれますか。
その言葉は、結局音になることはなかった。代わりに口から出たのは、なんとも間抜けな言葉だった。
「……ごはんが、食べられますか?」
「……ご飯?」
「また、さっきの……いえ、あんなに、おいしくなくても、その……」
ちらちらと空になった皿に目をやるアグリィに、オースティンズは笑いを抑えきれなかった。くつくつと笑いながら、不安そうに彼を見るアグリィのために必死に笑いを噛み殺していた。まさか、魔法を学ぶかと尋ねてご飯が食べられるかと問い解されるとは思っても見なかったのだった。
「ああ……ああ、そうだな。弟子となればこの家に住み込むことになるだろうし、食事はきちんと用意するとも」
「そう。ですか。それなら……魔法使いに、なります」
未だ笑いの余韻の残るオースティンズは、アグリィに手を差し出した。
「では、これからよろしく。アグリィ。君が神秘の底を垣間見る手助けになれればと思う」
「はい、よろしく。です。オースティンズさま」
「様はよして欲しい。あんまりにも仰々しいからな」
「じゃあ……どう呼べば」
「師匠と呼んでくれれば良い」
「はい。師匠」
アグリィはオースティンズの手を恐る恐る握った。シワの刻まれた手はしかし温かく、力強くアグリィの手を握ったのだった。