謎の敵影
万能肉のストックはかなり溜まってきた。
ユウキはフレッシュゴーレムから回収した万能肉を、塔の一階奥にある冷凍庫に入れた。
そのとき今夜の襲撃を知らせる警報が鳴り響いた。
警報システムは、黒闇石のかけらと、塔一階の作業所に転がる各種の素材を組み合わせて、先日シオンが作り上げたものである。
叡智のクリスタルが感知範囲内に敵影を捉えると、塔の各階に素朴なビープ音が響くという簡易的なシステムであった。
だがそれによってシオンは、大声でわめいて敵襲を皆に知らせるというかなり気力を消費する仕事から解放されていた。
ビープ音が鳴る中、各戦闘員は粛々と武器を持って塔の外へと出ていった。ユウキは塔を駆け上り、六階の司令室で指揮をとった。
昨日よりも敵の数は増えていたが、なんなく勝利を収めることができた。
戦闘後にはまた数キロの万能肉や各種の素材や武具を回収できた。
「そろそろ何に使うか考えないとね」
万能肉を冷凍庫に運びながらシオンが呟いた。
ゾンゲイルは骸骨兵が落とした刀剣を、『ソーラルで現金に換えるもの』のカゴに入れた。
ここ数日、ユウキの魂力も勢いよくチャージされており、結果としてかなりの量の魔力をストックできている。
毎日の戦闘というアクティビティによって各階のクリスタルも多くの経験値を得ている。
この調子で塔を強化していけば永遠に勝ち続けられるのではないか。
そんな楽観的な気分で眠りに落ちた。
だが翌日は少し気分が鬱っぽかった。
昨夜のナンパ活動の反動である。
自分がエルフに為した各種の行動に罪悪感が募る。
千年、キスひとつしたことなかったエルフに、半ば強引にキスしてしまった。
ファンタジックかつ清らかな伝説的存在を、オレの肉欲によって汚してしまった気がする。
(なんか悪いことしたな……)
だがユウキは各種スキルを駆使して罪悪感を可能な限りスルーした。
それでも気分はすぐにはよくならず、ソーラルに出かける気にもなれなかったが、こういう鬱気分は時間が経てば自然に解決するものである。
前向きな気分、鬱っぽい気分、それは潮の満ち引きのように繰り返しやってくるものである。
鬱なときは無理にそれを解決しようとせず、ほどほどにやり過ごしながら、そのときのコンディションでやれることをやっていけばいいのだ。
そんなわけでユウキは塔内でダラダラ過ごした。
スマホでマンガを読んだり、少しブログを更新したり。
体を動かしたくなったら塔の周りを散歩してみたり。
「…………」
天気の良い午後の日差しを浴びながら塔の裏手に回ってみると、ゾンゲイル家事用ボディがノコギリを持って大工仕事をしていた。
「何作ってるんだ?」
「脱衣場」
「手伝おうか?」
「ダメ。ここに座って見てて」
ゾンゲイルは丸太を野天風呂の脇に置くとユウキをそこに座らせた。
その前でゾンゲイル家事用ボディはテキパキとDIY作業を続けた。
ゾンゲイルは街訪問用ボディでソーラルを訪問しているため、二体同時に操縦しているはずだが、大工仕事などという細かい手作業も精密にこなせている。
「同時操縦、慣れてきたの。練習すればもう一体、増やせそう」
ゾンゲイルは金槌で釘を打ちながらそう言った。
カンカン、ギコギコという大工仕事の音に耳を傾けつつ、少しずつ組み上がっていく脱衣場を眺めながら、ユウキはたまにスマホをいじりつつ時間を潰した。
夕暮れ時には迷いの森からケロールが塔にやってきた。
今日は少女の姿ではなく本来の巨大カエルの姿である。
「近いうちにまた遊びに来てほしいケロ。森の主がユウキに会いたがってるケロ」
「わかった。ええと……」ユウキはスマホでスケジュールを確認した。
「土曜はラゾナと会う予定だから、日曜だな。日曜に遊びに行くよ」
「必ず来るケロ」
そう言い残して巨大カエルは迷いの森へと帰っていった。
夜の戦闘は、昨日よりも敵の数が増えていたが、やはり難なく勝利することができた。有用な資材もまた手に入れることができた。
その翌日もユウキは鬱気分が抜けなかった。明日あたりには鬱気分は終わりそうな予感がしたが、今日はまだ塔でゴロゴロして過ごしたい。
塔の裏で、カンカン、ギコギコという大工仕事の音を聞きながらブログを書く。
「ふう……なんだか平和だな」
「退屈?」ノコギリを手にしたゾンゲイルがユウキを見た。
「いや。やることはいろいろあるからな」
『鬱期を乗り切るための10の戦略』という記事をスマホで書きながら答える。
そうこうしていると、『有料記事が売れた』という通知がふいにスマホに表示された。
「ま、まじかよ……オレが書いた文章が五百円で売れただと……」
一呼吸置いてかつて感じたことのない嬉しさと、大量の魂力がユウキになみなみとチャージされ、それは魔力に変換され塔に蓄えられていった。
しばらくしてシオンが駆けつけてきた。
彼は最近ずっと、アトーレの指示で塔の周りに罠を作る土木作業に従事している。
「今、すごい量の魔力が塔にチャージされたよ! これなら大規模攻撃魔法を何発も打てるよ!」
「よかったな」
「ああ……なんて気持ちいいんだ、魔力が僕の全身を駆け巡ってるよ……」土で汚れた顔を恍惚とさせて、手からバチバチと火花を発している。
「おい、魔力を無駄遣いするなよ。余裕ができたときこそ引き締めていけ」
そう言いつつもユウキの頬も緩んでいる。
よくよく思い返してみれば、オレのナンパ活動も、確かに前へと進んでいる気がする。
オレのライフワークであるブログ執筆でも、有料記事販売というかつてない成功を収めることができた。
ゾンゲイルは脱衣場を作ってくれているし、これがあれば風呂に入るのがかなり楽になる。
いい感じだ。
*
夕飯も美味しそうだった。
「今日は少し高い食材、買ってきたの。余裕が出てきたから」
夜、ソーラルから帰ってきたゾンゲイル街訪問用ボディは、台所で大量の魚をさばいていた。ソーラルの運河で捕れるソーラルナマズとのことだ。
ソーラルナマズは揚げ物と塩焼きに姿を変えて食卓に出てきた。
「美味しいです! 美味しいです、これ!」
アトーレが叫んだ。シオンと共に土木作業に従事しているためか、タンクトップから出た肩や二の腕が健康的に日焼けしている。
「ぷはー。労働で疲れた体に染みるべ」
ラチネッタは発泡酒を飲んでいる。先日まで飲み物は裏の川から汲んだ水のみだったのだが、今は経済的余裕が出てきたため、樽で買ってきた発泡酒が台所に置かれている。
「おい、このあと戦闘だぞ。大丈夫なのか?」
「大丈夫だべ! ユウキさんも飲んでみるべ」
そういうわけでユウキも一口、発泡酒を飲んだ。
ビールは苦いから嫌いなのだが、この酒はホップとは違う植物で香りが付けられていて、風味が柔らかく飲みやすかった。アルコール度数も低めなので、コップ一杯ぐらいであれば戦闘には影響は出ないだろう。
ユウキの会食恐怖は、軽いアルコールで和んだ場の空気のおかげか、その夜は出なかった。
各自の作業の進捗状況などを報告しながら、夕食の席は長く続いた。
いつもであれば敵の襲撃を知らせる警報が鳴る頃合いになっても、いつまでもビープ音は鳴らなかった。
その夜、敵襲は無かった。
「もう近くに魔物はいないのかもしれないべ!」
「ふふっ。油断はできないけど、僕たち、掃討な数の魔物を倒してきたからね」
かつてない平和な気分でその日は寝た。
翌日の金曜にはユウキのコンディションはほぼ回復していた。
朝、ソーラルに出て軽くナンパ活動した。
朝の噴水広場でうろうろしている女性に声をかけてみる。
「あ、おはよう」
「え? おはよう」
「今日はいい天気だな」
「そうね……あんた街の人?」
「まあそんなとこかな」
「この辺で朝ごはん食べられる場所、知らない?」
「そこの喫茶店、安くて美味しいぞ。一緒に食うか?」
「いいわね」
見ず知らずの旅人と喫茶ファウンテンで朝食を摂った。
スキル『世間話』を発動しつつも、何度も沈黙が訪れた。
だがスキル『沈黙』があったため、言葉のない時間は緊張よりも、むしろくつろぎをもたらした。
旅人は朝食後すぐ席を立った。
商隊に混ざって故郷のハイドラに帰るとのことだったが、その前にユウキと石版を同期した。
「いつかまたソーラルに来たら連絡するかも。いい?」
「ああ。もちろん」
旅人はハイドラへと旅立っていった。
ナンパ後には大穴でバイトをし、昼には星歌亭のランチ営業を手伝い、夜にはゾンゲイルのライブを裏方としてサポートした。
ライブ後、星歌亭のカウンターで魔力的な効果のある酒を作っているラゾナが言った。
「明日は土曜よ。私との約束、覚えてる?」
「ああ、練習するんだろ。あの本の」
本のタイトルを口に出すことは恥ずかしくてできなかった。
ラゾナも照れを感じているのか頬を赤らめながら、酒と怪しげな材料をシェイクして客に出していた。
*
夜、塔に帰り、皆と夕食を摂っていると警報が鳴った。
食卓のシオンは軽く目を閉じて遠隔的に叡智のクリスタルと繋がると、敵影を確認した。
「ふふっ。やっぱり僕たち、近隣の敵をすべて掃討してしまったのかもしれないね。今夜の敵の数は……たったの一人だよ」
「まじかよ。楽勝だな」
ユウキは武装して塔を出ていく戦闘員を見送ると、自分は塔の六階、司令室に駆け上がった。
叡智のクリスタルを起動し、祭壇と壁面のディスプレイに状況を表示する。
といっても今日は特になにも指揮することはないだろう。
敵影はたったひとつだけだ。
おそらく塔の周りにいくつも設置されている罠にはまって自滅して終わりだ。
ユウキは鼻歌を歌いながら祭壇の椅子に座り、敵を表す祭壇の光点を眺めた。
だが……ここで異変に気づいた。
敵影の塔への進行スピードが異様に速い。
なんだこりゃ。
『死してなお動く野犬』の三倍以上のスピードで塔にまっすぐ向かってくる。
新種の敵か。
ユウキは緊張に手に汗をにじませた。
だが間もなく罠ゾーンだ。
落とし穴に落ちることは必至である。
しかしその予想は外れた。
なんとその新種の敵は罠ゾーンの手前で軌道を変え、各種の罠の隙間を縫うようにジグザグに走りながら塔に向かってきたのである。
「ば、馬鹿な!」
ユウキは思わず立ち上がり祭壇に手をついた。
これまでの敵はその全員が人工無脳のような直線的な動きで塔に近づいてきた。
このような知性的な動きで罠を避ける敵などいなかった。
しかし今、謎の敵は複雑に弧を描き罠を避けながらも最短ルートで塔に肉薄しつつある。
その動きに明らかに知性を感じる。
「何者なんだ?」
だが敵の姿は闇に紛れておりディスプレイを拡大しても確認できない。
「シオン、炎の矢だ!」とりあえずユウキは敵の座標をシオンに送り攻撃を指示した。
「わかったよ! 炎の矢よ、敵に突き刺され!」
誘導性能を持つ炎の矢がシオンの手から放たれ、一直線に敵へと向かっていく。だが急加速した敵はやすやすとそれを躱した。
「連射しろ!」ユウキはシオンに炎の矢の連射を指示した。
暗闇の中に十本の炎の矢が浮かび上がり、次々と発射される。だが敵は緩急あるステップで矢を左右にバラけさせてその隙間を縫った。一本も当たらない。
「まじかよ。こうなったら火の玉だ。足下で爆発させろ!」
シオンは指示通り、広範囲への攻撃能力がある火の玉を回避不能な地点へと投射した。
瞬間、謎の敵はまっすぐ火の玉に向かって加速したかと思うと、爆発前の火球に鋭い剣戟を加えた。
火の玉は左右に割れ、敵のはるか後方で弱く爆発するにとどまった。敵は全くのノーダメージで、まっすぐ塔に肉薄してきた。
反応できないラチネッタ、鎧の重みで対処が間に合わないアトーレを躱し、敵は凄まじい速度で塔の入り口に迫ってきた。
防衛が間に合う範囲に配置されているのはゾンゲイル家事用ボディだけである。
「体当たりだ!」ユウキはゾンゲイル家事用ボディに敵の座標を伝えた。
瞬間、整備万全の家事用ボディは爆発的な加速を見せ、土を蹴りながら謎の敵めがけてショルダータックルした。
その灰色の肩に手をついて、軽やかに空中で一回転した敵影を、そのとき月光が照らした。
マントを翻し、繊細な意匠のレイピアを片手に握る彼女の耳は長く、その額では青い宝玉が埋め込まれたサークレットが輝いていた。
「エクシーラ……」司令室のユウキは絶句した。
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次回更新は来週月曜です。
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