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シオンの発情

 塔の財政状況は破綻寸前だった。


 食事を要する者が増えたのに、塔の貯蓄はほぼゼロだ。


 朝の食卓でラチネッタが言った。


「おらは塔を心からお助けしたいべ! おら、大きなもののために身を粉にして働きたいべ! だからおら、塔にお金を入れるべ!」


 だがシオンが首を振った。


「ありがたいけど、受け取れないよ。そんな博愛的精神に溢れた資金流入は、塔の力を弱める可能性があるからね」


「ゾンさんもある種、博愛的な気持ちから塔にお金を入れてるべ! それならおらだってお金を入れても平気だべ」


「ふふっ、ゾンゲイルはいいんだよ。塔に完全に同調してるからね」


「おらももうこの塔で数日寝泊まりさせていただいたべ。おらも同調してるはずだべ」


「ううん……塔は体で繋がった者以外には、誰にも心を開かないんだ。なぜなら、第四クリスタルチェンバーにあった『ハートのクリスタル』が、今は失われているからね」


「どこに行ったんだべか? そのハートのクリスタルは?」


「今はラチネッタ君の村、猫人郷にあるそうだね。君の先祖が塔から盗んでいったんだよ」


「ひええええええ! お許しを!」


 ラチネッタは平伏した。シオンは気にせず呟いた。


「これまでずっと歴代塔主とゾンゲイルだけでこの塔を守ってきたんだ。かつての魔力に溢れていた時代なら、塔は心を閉ざしていても問題なかった。むしろその孤独が闇の魔力を強化したんだ」


「…………」


「でも……今のこの状態では、外部の助けを借りるしかないね。そうなると今後、必要になってくるかもしれない。塔の心を開くための『ハートのクリスタル』が」


 だがその『ハートのクリスタル』とやらは猫人郷の秘所に厳重保管されており、春祭りでのみ一般公開されるという。


 その秘所から無理やりクリスタルを奪うには、猫人郷全体を殲滅する必要があり、それは現実的ではない。


 よって春祭りに猫人郷に潜入し、ハートのクリスタルを祭り会場から盗み出すこと。それがもっともスマートなプランであるとラチネッタは語った。


「村の人に頼んで返してもらえないのか?」ユウキは聞いた。


「難しいべ。おらが村はハートのクリスタルに執着してるべ。おらの親である村長以下、全員、何かしらの側面において狂気を宿してるべ」


「ほんとかよ」


「ほんとだべ」


 なんにせよ今はあらゆるリソースがない状態である。猫人郷などに構う余力はない。ハートのクリスタルの件はしばらく先送りだ。


 それよりも今日一日、塔を存続させることに注力したい。


「オレは今日も部屋に籠もってスマホいじってるからな」


「頼んだよ。少しでも君の魂力が溜まりそうな行動を続けてほしい」


「おう」


「私は塔を敵から守る」


「ううん……ゾンゲイルさんにはソーラルでお金を稼いで食料を買ってきてもらいたいんだ」


 シオンは腫れ物に触るようにやんわりと頼んだ。


「どうして?」


「お金と食料が無ければ僕たちは飢えてしまうからね。もし敵襲があれば石版で連絡するから」


「いや。私、ユウキが心配。置いていきたくない」


 シオンはゾンゲイルを諭すのを諦めてユウキを見た。


 ユウキはしばらく迷ったのちに命令した。


「ゾンゲイル。金を稼いできてくれ。それからオレにうまいものを作ってくれ」


「わかった! 私、がんばる!」


 ゾンゲイルはぱっと笑顔を見せると、高速で食器を片付け、ラチネッタと共にソーラルに向かった。


 *


 食後、ユウキは自室でスマホをいじりはじめた。


 だがここ数日ひたすらスマホいじりしたせいで、早々に飽きが来ていた。


 そのためか今日はスマホをいじっても魂力のチャージが少ない。


 オレの魂はスマホいじりなどという下賎な活動に飽きてしまったのだろうか。


 飽きたことをいくら繰り返しても魂力はチャージされないということなのか。


 だとすると何か新しい活動が必要だ。

 

「早く何か新しいことをしなければ……」今日中にでも塔は魔力不足で崩壊する。


 昨日、野天風呂でシオンはなけなしの魔力で攻撃魔法を使ってしまった。そのために今、塔に残存する魔力は雀の涙程度のものであった。


「…………」


 足はよくなってきた。まだ床に付くたび痛むが、短時間の歩行なら可能だ。


 基本会話スキルもわずかに稼働している。シンプルな会話ぐらいならやれないことはない。


 だが……とうていナンパをする気にはなれない。


 今、ソーラルに行っても、何もできず噴水広場で硬直し、いたずらに時間と体力と気力を浪費するだろう。


 そうなったら塔は一巻の終わりだ。


 それよりもこの室内で魂力をチャージするための何か新たな活動を見出したい。


「…………」


 だがそんなものが今ここに残されているのだろうか。


 ゲームも読書も音楽もTwitterも飽きてしまった。情報をインプットする類の活動はもう完全にお腹いっぱいだ。


 やりたいことはなにもない。


 はっきりいって自分の人生にもうんざりしている。部屋にいて自分自身と向き合っていると、くっきりとそれがわかる。


「…………」


 ここまで塔を長持ちさせてきたが、今日こそ死ぬのかもしれない。


 だがそれでもいい気がしている。


 なんだか疲れてるんだよな。


 どうしても気分が上がらない。


 だるい……。


 そんな状態でスマホをいじっていると、どうしても低い方、低い方へと意識が誘導されていく。


 刺激が強い方、どぎつい方へと意識が誘導されていく。


 結果、知らず知らずのうちにユウキは成人向けのアダルト広告をクリックし、そのたぐいのページをあてもなくさまよいはじめていた。


 ユウキの眼前で数多のエッチなコンテンツが明滅していく。


「…………」


 実家でブログが書けないときもよくこうなった。


 同級生はきっと外で働いてるんだろうなあ。


 レストランで食事したりしたり、車に乗ったりしてるんだろうなあ。


 一方、オレは自室で金にならないブログを書こうとしてそれすら書けず、スマホをいじってばかりいる。


 やがて心が貧しい者へと的確にターゲッティングされた広告に引き寄せられていく。


 そしてオレはよりいっそう惨めな気分を増幅させるエッチな動画を再生する日々をすごすばかり。


「…………」


 だが実家でユウキはなかばその境遇を諦めつつあった。


 まだ若くフレッシュな情熱があったころには、ブロガーとして一発逆転して、オレもいつかレストランで誰かと食事するぞという夢があった。


 オレもいつか車に乗ってドライブするぞという夢があった。その前にまず免許を取る必要があったが、夢は信じていればいつか叶うと思っていた。


 しかし現実的にユウキがやっていることと言えばスマホで毎日、エッチなものを見ることだけだった。


 そうこうするうちにユウキのわずかな精神エネルギーはすべてその活動に吸い取られてしまうのだった。


 そしてあとに残されているのはなんとなく疲れていてなんとなく生きているのが苦しい自分だった。


 そんな自分がもう十年以上もずっと続いていた。


 気分が重く全身がだるくとてもこの状況を変えられる感じがしなかった。


 もうどうしようもない。


 このまま二十年三十年とこんな自分が続いていくのだろう。


 しかも歳を重ねるごとにこのだるさがひどくなっていくことは目に見えていた。


 そんなだったら早く死にたい気がするが、そんな気力もないのである。


 だからユウキは今日も惰性でスマホをいじり、なんとなくエッチなものを見ていた。


 異世界の闇の塔のゲストルームで。


「…………」


 そう言えば、この異世界で、オレはかなりエッチなものと触れ合った。


 しかしオレの現世で日々練り上げられているこのエッチなコンテンツの数々に比べれば、しょせん異世界にあるエッチなもののレベルなどたかがしれている。


 やっぱオレの世界は凄いよな。


 脳に来るエッチさが凄い。


 スマホを通して脳がどぎついエッチさに侵食されていくかのごときこの感覚に埋没しながら、塔が崩壊するのを待つのもいいかもしれない。


「……ふう」


 そんな破滅的な気分でユウキはスマホをいじり続けた。


 だが……そのときだった。


 顔を真赤にしたシオンがドアもノックせずゲストルームに入ってきたのだ。


「うおっ!」


 思わず悲鳴を上げたユウキはスマホを毛布の中に隠した。とても人様に見せられない映像が表示されていたからである。


「な、な、なんだよいきなり! ノックしろよ!」


「僕……病気になったみたいだ」


 シオンは真っ赤な顔で深刻に言った。


「は?」


「なんだか僕の体がおかしいんだ……全身がドキドキして頭がもやもやして何も考えられなくなってしまったんだ……」


 そういうシオンの顔はすごく赤く、その目はとろんと潤んでいる。


 さきほどまでユウキがスマホで見ていたコンテンツと同種の雰囲気が、シオンから強く立ち上っている。


「もしかして……オレの影響なのか……」


「ユウキの?」


 恥ずかしかったが……ユウキは推理を披露した。


「お前の体は塔と繋がってるんだろ」


「うん、そうだよ」


「で、オレの体も塔と繋がってるんだろ」


「うん、そうだよ」


「で、最近お前は、オレの影響で食欲が出てるんだよな?」


「うん。早く次のご飯が食べたいよ」


「ということは……食欲以外の欲も、オレからお前に伝わってるんじゃないのか? 塔を介して」


「確かにそれはありえるね。でも僕のこの症状……ドキドキしてふわふわする……これはいったい、君のどんな欲の影響だと言うんだい?」


「お前、そりゃあれだよ」


「あれって?」


「…………」


 ユウキは口ごもった。


「隠してないで教えてよ」


「性欲だ」


 瞬間、自分を襲っているのが強烈な性欲であると理解したシオンはより一層、顔を赤らめた。


 だがシオンは瞳をとろんとさせながらも驚くべき知性を見せた。


「そうだったんだね……これが性欲……初めて感じるエネルギーだよ。だけど、エネルギーの正体がわかれば統御できるかもしれない」


「統御?」


「どんなものでもエネルギーなんだ。それを意思によってコントロールするのが魔術師の仕事なんだよ。試してみようか……ちょっと来てほしい」


 シオンはユウキを連れて第二クリスタルチェンバーに向かった。


 そして椅子に座り、祭壇の『生命のクリスタル』を手に取ると言った。


「ユウキ君。また僕にさっきのエネルギーを送ってくれないかな」


「いいのかよ」


「うん。やってほしい」


「わかった」


 ユウキはスマホを手に取ると、そこにダウンロードされていたエッチな動画を再生した。


 瞬間、強力な性的欲望がユウキの中に湧き上がる。


 それが塔を介してシオンに伝わっていくのがわかる。


 シオンの顔は見る見る間に上気し、瞳がよりいっそう潤んでいく。さらに彼は太ももをもぞもぞと動かしはじめている。


「おい、大丈夫か?」


「う、うん……見てて……この状態で……『生命のクリスタル』に命じる! 僕のうちに満ちるこのエネルギーを魔力に変換して!」


 シオンはクリスタルを胸に抱えると目を閉じてそう言った。


 瞬間、シオンの下腹部から赤いエネルギーの流れが立ち上り、それが生命のクリスタルへと滔々と流れ込んでいくさまが目視された。


 さらにクリスタルはその性エネルギーを魔力に変換し、壁を覆っている魔力備蓄の蔦へと放射し伝達した。


 しばらくするとシオンはさっぱりした表情を見せた。


「ふふっ。これで僕にチャージされていた性エネルギーは、ほぼすべて魔力に変換されて塔に送られたよ」


「お前……凄いな……」


「ふふっ。そんなことないよ。魔術師なら、このくらい、ね」


 ユウキは初めてシオンを人間的に尊敬した。


 強い性欲が身の内にあってもそれに飲まれず、そのエネルギーを建設的な方向に昇華し、今の自分の生活を改善する力にするとは。


 シオンはしきりに謙遜しているが、強い心の力があって初めて為せる技であろう。


「なんかオレまでスッキリしたぞ」


「ふふっ。僕を通じて君の性欲が魔力に変換されたからね」


「それで……魔力はどのぐらい溜まったんだ?」


「うーん……ほんの少しだけだよ。この量なら今日一日、持たないね」


「なんでだ? あんなに強い性欲を魔力に変換したのに」


「魂力は魔力より上位レイヤーに位置する力なんだ。だからそれを変換したとき、膨大な魔力が得られるよ。だけど性エネルギーは、魔力よりも下位にある力なんだ。だからそれを魔力に精製しても、それほどの量は得られないんだよ」


「ど、どうする? このままだと塔が……」


「そうだね……ユウキ君、もうひと頑張りしてもらえるかな? さっきみたいに、性欲を高めて塔を介して僕に送ってほしい」


「わかった……集中するからオレは自室に行くぞ」


「うん」


 ユウキはWiFiの電波が届く自室にこもるとスマホでエッチなコンテンツの閲覧を再開した。


 閉ざされた部屋の中でエッチなコンテンツを見ていると気分が淀む。その淀みの中にトゲトゲした荒い性欲がくすぶっていく。


 だがその性欲の波は一定以上に高まるとふいに消滅した。


 おそらく第二クリスタルチェンバーでシオンがそれを魔力に変換したのだ。


 ユウキは再度、エッチな動画を再生し、性欲を高めた。


 その性欲も一定以上に高まったところで、急激に消滅した。


 なんどかそのルーティーンを繰り返すと、シオンがゲストルームに駆け込んできた。


「やったよ! 今日一日、塔が崩壊を免れるだけの魔力が溜まったよ!」


「おう。なんとか今日も生き延びたな」


「ふふっ。でも安心するのは早いよ。今日の夜、また魔物がやってくるのが感知されたんだ」


「今日はどんなやつが来るんだ?」


「昨日と同じ『生ける死者』だよ。復活しつつある闇の眷属の波動に触れて、近所の墓から蘇ったんだろうね。しかも今夜は二体だよ」


「ゾンゲイルを呼ぶか?」


「ううん、魔物の到着時刻は深夜だからね」


 それまでにゾンゲイルは仕事を終えて金銭と食料を持って帰ってくる見込みらしい。


 明日も戦いがあり、明後日も戦いがある。それを生き延びるためにはゾンゲイルが街で得てくるリソースが欠かせない。


 できる限りゾンゲイルには街で働いてきてもらおう。


 そういうことで話は固まった。


 夕方にはいつも通り巨大カエルが塔に迎えに来た。


 ユウキは巨大カエルにくわえられ、迷いの森の精霊が待つ沼に向かい、そこで自然エネルギーをチャージしてもらった。

 

 塔に帰ってくると今日もシオンが裏の野天風呂を沸かしていたところだった。


 今夜はひとりずつ、バラバラに風呂に入った。


 風呂から上がるとラチネッタとゾンゲイルがポータルから帰ってきた。


 ラチネッタはここ数日分の食費と宿泊費という名目で、シオンに幾ばくかのお金を渡した。


 シオンはそれを受け取ると、恐る恐る塔の金庫に入れ、しばらく目を閉じて塔の状態を探った。


「うん……この程度の額で、受け取る理由もあるお金なら、受け取っても大丈夫みたいだ。ありがたくいただくよ」


「明日から毎日、同額を塔に入れるべ!」


「私も今日はたくさんお金、もらった」


 ゾンゲイルは金を食堂のテーブルに並べた。


「まじかよ。いつもの倍はあるじゃないか」


「お客からのチップと、エルフからのボーナス。今夜、すごく盛り上がったの」


 ゾンゲイルは星唄亭でのステージを思い出したのか、一瞬、陶然とした表情を浮かべると、エプロンを着けて夕食の準備をはじめた。


 機嫌がいいのか、ふんふんと鼻歌が聞こえてくる。


 ゾンゲイルの家事を手伝おうとすると威嚇されるので、三人はそれぞれ食堂でくつろいで過ごした。


 ラチネッタはどこからか手に入れてきたらしい短刀を研いでいる。


 眼鏡をかけたシオンは魔術書をめくっている。


 ユウキはスマホをいじっている。


 と、食事の準備ができあがるその前に、『生ける死者』の襲来がシオンによって感知された。


 ユウキ以外の皆は武装し塔外に出た。


『ミカリオンの指輪』によって不可視化したラチネッタによって、魔物の背後に致命の一撃がくわえられた。


 ゾンゲイルによるミスリルの鎌の一振りによって、もう一体の魔物は両断された。


 シオンの攻撃魔法を使わずに撃退できたので、昨夜よりわずかに魔力備蓄が多い状態で日をまたげそうだ。 


 食堂に戻った四人は、少しくつろいだ雰囲気で夕食をはじめた。


 ユウキに会食恐怖が付与されたが、食事の美味しさと今日一日を生き延びた喜びが勝った。


 食後のお茶を夜遅くまで皆と楽しんでから自室に戻った。

いつもお読みいただきありがとうございます。


現代人がもっとも注意すべきはスマホやネットとのつきあいかたです。

自分の人生を明るくするためにスマホやネットを上手に使っていけるといいですね!

(ちなみに筆者は気分が暗くなると、まとめサイトを見たり、もう何回もクリアしたゲームをしたりで一日を潰すことがよくあります)


次回更新は木曜です。

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