最後の一日
涙に濡れたシオンは人の嗜虐的な気持ちを揺さぶるものを持っていた。
そんな彼が『なんでもする』と言う。
いったい何をさせたらいいのか。
「……ごほん」
ユウキはひとつ咳払いすると、美しい少年との間に高まりつつあった謎の感情を追い払った。
シオンも顔をそむけて涙を拭った。
「ご、ごめん。変なこと言って。でもとにかく考えててほしいんだ。明日には塔が崩れるってこと。そして……僕たちも……」
ユウキはうなずいた。
だが……転移者である身の上のためか、死に対する深刻な恐怖は持てなかった。
どうせ死んでもどこか別の世界に転生するんだろう。そう思えた。
だが気がかりなこともあるにはあった。
それは自分のことではなく、実家の家族のことだった。
一言だけでも連絡したいものである。
ここでユウキは閃いた。
「……あ」
そう言えば、さっきシオンが言ってた気がする。
成長した『次元のクリスタル』を使えば、塔に魔力の備蓄の無い現状でも、オレの世界に極小のポータルを繋げられるとか。
そのポータルの直径は五センチが限界らしいが、WiFiの電波を通すぐらいはできそうだ。
ユウキはベッドから立ち上がった。
「……肩、貸してくれ」
*
七階は遠かった。
シオンはユウキの体重を受け止めかねて何度もよろめいた。
二人ともども螺旋階段を転げ落ちそうになる瞬間が幾度もあった。
また、修復が終わっていない六階付近では崩れた瓦礫が階段を塞いでいた。
大きな瓦礫を乗り越えるために、シオンはユウキを両手で引っ張りあげようとした。
だが……。
「ううっ。重いよ!」
まるで腰が入っていない。しょせん魔術師か。
それでもなんとか七階についた。
「はあ、はあ……それで……この転移室で一体何をするつもりなんだい?」
シオンは膝に手をついて呼吸を整えながら聞いた。
「……開けてくれ。ポータルを」
「はあ、はあ……どこにだい?」
「オレの世界の……」
ユウキは一瞬迷った。
WiFiの電波を確実に拾える場所に開けてもらいたい。
そんな場所はどこかと言えば……ユウキはぼそぼそと要望を伝えた。
シオンはうなずいた。
「はあ、はあ……わかったよ。進化した『次元のクリスタル』の力で、今、君の世界の君の家の君の部屋に、恒常ポータルを繋げるよ。はあ、はあ……」
そしてシオンは祭壇上の小物と『次元のクリスタル』を操作した。
やがて壁にごく小さなポータルが開いた。
「これでいいかい?」
ユウキは壁の小さなポータルに片目を当てた。
「…………!」
五センチの穴の向こうに懐かしい子供部屋が見えた。
パソコンデスク、ソファ、テレビ、ぎっしりとマンガが詰まった本棚、寝心地のいいベッドなどが、覗き穴のようなポータルのすぐ向こうに存在していた。
もう帰ることは叶わないらしいオレの部屋……。
目に焼き付けたい。
ユウキはしばし子供部屋を眺めつづけた。
それから……おずおずとスマホをポータルに近づける。
「…………!」
見事、スマホはWiFiの電波をキャッチした。
少しでもポータルからスマホを遠ざけると接続は切れてしまうが……父母に遺書を送るという役には立つ。
ユウキは傍らのシオンを見た。
「……ありがとう」
スキルが使えないためユウキの感謝はぎこちなかった。
だがシオンはわずかに生気ある笑顔を見せた。
*
「さて、と……」
シオンを帰らせ、転移室に一人残ったユウキは恒常ポータルの側に椅子を置き、スマホに遺書を打ち込みはじめた。
「…………」
基本会話スキルが働かない現在、通話では自分の気持ちを伝えられそうにない。
だから遺書を作り、それをメールか何かで送るのが最善に思えた。
だが……。
『オレは今、異世界にいます。いろいろあってもうすぐ死にます』
「…………」
こんな文章を送られて信じる人間はどこにもいない。
ダメだ。
異世界に関することは全カットしよう。
だが……。
『オレはもうすぐ死にます。どうしようもないのです』
「…………」
これは明らかに自殺の文面である。
ダメだ。書きなおそう。
しかし……。
どれだけ書きなおしてもなかなかコレと思える遺書を書くことはできなかった。
どうやら調子が悪いようだ。
そう……文筆作業には調子というものがある。
長年に渡るブロガーとしての経験からユウキはそれを身にしみて知っていた。
すらすらと流しそうめんのごとく文章が流れ出てくる日もある。
逆に、天の岩戸が閉ざされたがごとくに心の中から何も湧いてこない日もある。
それに逆らってはいけない。
そう……調子が悪いときは、無理に文章を書こうとしない方がいいのだ。
むしろ何か別の気晴らしになることをした方がいいのだ。
たとえばマンガを読む、というようなことをした方がいいのだ。
「…………」
ユウキは元の世界で愛用していたマンガアプリを立ち上げた。
そして……この世界に来てチェックできなかった分の更新すべてを読んでいく。
「…………!」
ユウキは久しぶりに読むマンガの面白さに思わず息を呑んだ。
元の世界での最高の芸術であり娯楽であるマンガ……それが持つ滋味に溢れた心の栄養が脳にダイレクトに流し込まれてくるようである。
オレが異世界でナンパやら何やらしてる間も、漫画家さんは頑張ってマンガを描いてくれていたんだなあ。
自然に感謝の気持ちが湧いてくる。
読むのに課金が必要なマンガには、感謝とともに惜しみなく課金していく。
実家にいたときはできるだけ課金しないスタイルでマンガを読んでいたが、今のオレは一味違う。
そう……銀行口座にはスグクルでの三時間分のバイト代が振り込まれているのだ。
だから資金にはわずかな余裕があるのだ。
マンガを読むためのチケット、コインなどを課金購入しつつ、ユウキは転移室でスマホ画面をフリップし続けた。
「……さて、と」
更新されていたマンガのチェックをあらかた終えたユウキは、次にTwitterを開いた。
しばらく見ていなかったタイムラインをざっと眺めていく。
あっちの世界では大きなものから小さなものまでいろいろなニュースが流れていた。
それらのニュースを眺めていると、明日訪れる自分の死など、たいしたことではない気がしてきた。
ユウキはそのままスマホをいじり続けた。
やがて日付が変わったころゾンゲイルが転移室に迎えに来た。
ユウキは何冊か電子書籍をAmazonでワンクリック購入しダウンロードしてから、ゾンゲイルの肩を借りてゲストルームに戻った。
ベッドで電子書籍を読んでいると朝になった。
ユウキは、ラチネッタと、怪我から回復したアトーレと、ゾンゲイルをソーラルに送り届けた。
塔の崩壊に巻き込みたくないので彼女らをそのままソーラルに置いてくる。
そして塔に直帰したユウキはベッドで二度寝した。
今日は最後の一日だ。
そろそろ遺書を書かなきゃな。
そう思うこともあったが、どうしても一行も遺書を書けぬまま、寝たり起きたり、スマホをいじったりを繰り返した。
電子書籍を読み、音楽を聴き、ダウンロードした映画を観た。
そのうち日が暮れてきた。
だんだん緊張感が高まってきた。
死ぬときはどんな感じだろうか。
あまり痛くなければいいのだが。
学校で予防注射を受けるときのような恐怖がユウキをじわじわと飲み込んでいった。
だが……なかなか塔は崩れなかった。
あるときシオンが血相を変えてゲストルームに駆け込んできた。
シオンは叫んだ。
「ほんの少しだけど回復してるんだ!」
「……何が?」
「魔力が!」
「……はあ?」
「ユウキ……君に魂力がチャージされているんだよ! それが魔力に変換されて、塔を維持しているんだよ!」
「……なんで?」
「君は昨日の夜からずっとそのスマホとか言う機械をいじっていたね」
「……ま、まあな」
「それだよ! それこそが、今の君の魂の、一番やりたいことだったんだよ! だからスマホをいじることで君の魂力が回復したんだよ!」
「まじかよ……」
そのときゲストルームにゾンゲイルとラチネッタと剥き身のアトーレが入ってきた。
「ただいま」
「今帰ったべ」
「いま戻りました」
「な、なんで……」
「ソーラルでの仕事が終わったから。エレベーターに乗って、ポータルをくぐって帰ってきた」
「…………」
どうやらエレベーターも、ソーラルと闇の塔を繋ぐポータルも、一度起動してしまえば誰でも利用できるものだったらしい。
「お腹すいたでしょ。食材、たくさん買ってきたから」
エプロンをしたゾンゲイルは食事の準備を始めた。
まもなく夕食会が二階の食堂で行われた。
こじんまりとした食堂の中央には、テーブルクロスが敷かれた六人がけのテーブルがある。
今、素焼きの皿に温かな料理が五人分、ナイフとフォークと共に並べられている。
皆でテーブルを囲み、家庭的な味のゾンゲイル料理に舌鼓を打つ。
その食後には巨大カエルが塔にやってきた。
今夜もユウキは巨大カエルにくわえられて迷いの森の沼地に向かい、そこで精霊に自然エネルギーをチャージされ、若干元気になって塔に戻ってきた。
「…………」
そして深夜、ユウキはシオンに肩を借りて七階に向かうと、日付が変わるまでスマホを黙々といじり続けた。塔は崩れなかった。
いつもお読みいただきありがとうございます。
ユウキたちはなんとかギリギリで死を回避したようですが、まだまだ油断できない状態が続いています。
果たしてどうなってしまうのか?
ということでぜひ次回もお読みください。
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