部屋と暗黒鎧とアトーレ
宿の中には柔らかな魔法の光が灯っていた。
フロントには心をくつろがせる調度品が置かれ、出発前の旅の者が思い思いの格好でくつろいでいた。
「こっちです」
アトーレはフロントで鍵を受け取ると、つややかな手すりのある階段を登っていった。
ユウキは無言で彼女の後を追った。
二階の廊下を歩く。
突き当りにあるドアにアトーレは鍵を差し込んだ。
「中にどうぞ」
「お邪魔します……」
少し広めのシングルルームと言ったところか。壁、床、家具がすべて木造であるため趣があった。
木目の美しい床には脱ぎ捨てられた衣服がいくつか無造作に転がっていた。
その奥に質素な書き物机と椅子があった。
「座ってください」
アトーレは椅子を引いた。
ユウキは下着を見ないようにして部屋を移動した。
途中、物置だろうか、壁にドアがあるのに気づいた。
そのドアの前を素通りし、部屋の奥の椅子に座った。
一方、アトーレはベッドに腰掛けた。
ぎしりときしむ音がした。
そして……沈黙が室内を覆った。
他の客は外の食堂にでも向かっているのか、それともまだ寝ているのか、まったく物音がしない。
窓のカーテンは締め切られており、室内は魔法の光によってのみ照らされている。
その淡い光がアトーレの上に生み出す陰影と、室内にわだかまる沈黙がユウキを朦朧とさせていく。
これから何が始まるのだろう。
この密室で行われる暗黒の儀式とは、いったい……。
そのときふいにアトーレは柔和な笑みを浮かべ立ち上がった。
「さて……暗黒のチャージをしてもらう前に。私、少しあなたに……ユウキに聞きたいことがあるんです。いいですか?」
「あ、ああ……なんでも聞いてくれ」
「儀式を始めたら、こんなこと、聞くこともできないでしょうから。今のうちに教えてください。あの組み技のことを」
「組み技?」
部屋の真ん中に立ったアトーレは、仮想の敵と組み合い、その足を払って床に倒す動作を見せた。
「なんていう技なんですか? これは」
「ああ……大外刈りかな」
どうやらユウキがかつて暗黒戦士にかけた柔道技のことを言っているらしい。
なんでアトーレがあの迷いの森での戦闘の顛末を知っているのかはわからない。暗黒戦士からの伝聞で聞いたのだろうか。
わからないが、この部屋に満ちる濃厚な沈黙から抜け出せるなら何でも大歓迎だ。
ユウキは椅子から立ち上がると柔道のレクチャーの構えに入った。
中高の体育で多くの時間を費やして柔道は習った。しかもオレはそんなに筋が悪くなかった。
授業で行われた試合では、何度か対戦相手を投げ飛ばしたこともある。
ちゃんとやってる奴に比べたらスキルレベルはぜんぜん低いが、それでも基本の基本を教えることぐらいはできるだろう。
「まずは受け身だな」
「受け身?」
「自分を守るためのテクニックだ。これが何より大事だ」
「どうやってやるのか見せてもらえますか?」
「わかった……ちょっとベッドに乗っていいか? 床だと痛そうだからな」
ユウキは靴を脱いでベッドに乗り、各種の受け身を実践してみせた。
そんな中、ふと脳裏に疑問がよぎる。
オレはいったいこの異世界で何をしてるんだ……。
当然、受け身をしているのである。
なぜなら受け身は大事だからな。
「アトーレもやってみてもらえるか。受け身」
「わかりました」
靴を脱いでベッドに上がったアトーレは各種の受け身を連続で取った。
「こう、こう、こう、そしてこうですね」
「す、すごいじゃないか。完璧だ」
アトーレは重心が高くふわふわした雰囲気を持っており、とても柔道になど向いてそうになかった。だが意外に運動神経そのものは悪くないらしい。
「じゃあ次は理論だな」
ユウキはベッドにあぐらをかいて座った。
「ぜひ」
アトーレはその前に膝をついて座ると真剣に耳を傾ける構えを見せた。
ユウキはかつて体育の授業やネットのビデオで学んだことを、身振り手振りを交えて語った。アトーレは乾いたスポンジのように柔道知識を吸収していった。
理論編の最後に、ユウキは言った。
「つまり柔道とは相手のバランスを崩して倒すという技の集合体だ。逆に言えば、戦いの中では常に自分のバランスを保つ必要があるんだ」
「なるほど。バランス。それがが大事なテーマなんですね」
「飲み込みが早いな。それじゃそろそろ技を教えてやろう」
「はい。お願いします」
二人は床に立ち、組み合った。
ユウキは慎重にアトーレの手を取り、きわめて薄い生地でできているワンピースの襟を慎重に取った。
だが軽く襟を引くと胸がこぼれそうになった。
ユウキは意志の力で目をそらし、手を奥襟の方に移した。
ぐっと距離が近づく。
相手の体温が、肉体の持つ気配が濃厚に感じられる。
ごくりと生唾を飲み込んだユウキは、一度、『深呼吸』スキルを使ってから言った。
「それじゃ……オレが技をかけるぞ。まず相手の重心を崩す」
ユウキは軽くアトーレを押した。
「そして相手が崩されまいと押し返してきたところを……こう」
アトーレの片足に重心が乗った瞬間、ユウキはその足を払い、彼女をゆっくりと床に倒した。
「すごい……魔法みたいです」
床の上で仰向けになったアトーレは言った。
「誰でもできるよ。次はアトーレがオレに技をかけてみてくれ」
ユウキはアトーレを引き起こした。
アトーレはユウキの作業着の襟と袖を掴むと、ユウキを押した。
「どうですか? 崩れましたか?」
「うーん……」
さきほどの受け身は上手だったが、実際の戦いには向いてないようだ。
力が弱い上に、やはり重心がふわふわ浮いている。
むしろユウキを崩そうとするアトーレ自身のバランスが崩れていくのを感じる。
「はあ……はあ……どうですか? 私」
何をどうしてもユウキを崩せないアトーレは息を荒げながら聞いた。
ユウキはアドバイスした。
「もう少し、重心を安定させられないか。自分のバランスを取ることを心がけて」
「バランス? 何度もそう言うんですね。でも私……そんなもの、いりませんよ」
「バランスを取らなければ倒されるだけだぞ」
「そうかもしれません。でもそれは普通の人の話」
「普通の人以外にどんな人がいるんだ?」
「私みたいな人がいます。崩れたバランス、乱れた調和、過剰な歪みこそを力とする人間が。見て……」
アトーレはユウキから両手を離すと、一瞬、瞑目した。
瞬間、彼女の内側に何かアンバランスなエネルギーの奔流が吹き荒れたのを感じた。
彼女の内側のエネルギーだと?
なぜそんなものをオレが感じ取れるのか。その一瞬の疑問にナビ音声が答えた。
「相手の内面の状態を知覚できるスキル『共感』の作用です。それよりも気をつけてください。歪な精神エネルギーがあなたに向けられています。避け……」
避けられなかった。
目を開けたアトーレの人差し指が近づいてきて、ユウキの肩に軽く触れた。
瞬間、彼女の指を通して肩にどす黒いエネルギーの奔流が流れ込んできた。
それはユウキを凄まじい恐怖に陥れながら、肉体の力学的調和を崩し、神経の電気的バランスを乱した。
全身にどす黒い汚濁が流し込まれ自分が泥人形になってしまったようだ。ユウキは受け身を取ることもできず背後に倒れ込んでいった。
このままでは後頭部を床にぶつけてしまう。
ユウキはとっさに左手で、壁のドアノブを掴んだ。『塔主の指輪』をはめている左手のみが人間らしい温かみを保っており、それだけはなんとか動かすことができたのだ。
「すごい……私の暗黒に、腕一本でも抵抗するなんて……」
「くっ……!」
わけがわからないまま、全力でドアノブにしがみつく。
アトーレが近づいてくる。
「バランスを崩して床に倒れても良かったのに。受け身をとらなくても、私が支えてあげましたのに」
しかしバランスの重要性、柔道の精神性を調子に乗ってレクチャーした手前、指先一本で倒されるという醜態はどうしても避けたい。
だが両足はいまだ力が入らず生まれたての子牛のようにガクガクと震えている。
ユウキは物置のドアに体重をかけた。
体重をかけすぎてドアが奥に開いた。
「うおっ」
ユウキはドアの奥の暗闇に仰向けに倒れ込んだ。
後頭部を打って目から火花が出た。
強い痛みで涙がにじむ。
その涙の向こう、物置の暗闇の奥に、光を吸収する鈍色の鎧が見えた。
その異様なシルエットには見覚えがあった。
「……暗黒戦士?」
半身を起こしたユウキは暗黒鎧を見上げた。
しかしその中身は空であることがすぐに見て取れた。
鎧立てに暗黒鎧一式が立てかけられているのだ。
「鎧の中身はどこだ? そうだ、オレは暗黒戦士に用があるんだ」
ユウキは自分が転げ込んできた、この埃っぽい物置を見回した。
しかしここには誰もいなかった。ユウキと、今、ドアをくぐってこの狭く暗い物置に入ってきたアトーレ以外には誰も。
彼女は言った。
「そろそろ始めましょうか。暗黒のチャージの儀式を」
実は無意識下でうすうす気づいていたことを今ユウキは今、明晰に認識した。
「まさか……アトーレが……暗黒戦士なのか?」
アトーレは床にへたりこんでいるユウキの隣を通り過ぎると、暗黒鎧の隣に立って頷いた。
「ええ。だから私にちょうだい。ユウキの暗黒を」
「暗黒って、なんなんだ?」
「それは調和の乱れ。欠乏した心の穴。満たしたいのに満たせないユウキの暗い欲望」
「……どうすればいいんだ? そんなものを」
「すべて私にぶつけて、あまさず流し込んで。そうすれば私はまた闘える。この暗黒鎧と共に。暗黒戦士アトーレとして」
暗闇に暗黒鎧と共に浮かび上がるアトーレの頬は今、うっすら赤く上気している。
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