暗黒のチャージ
とてもレアな闇石の結晶……。
迷いの森で樹木の妖魔を倒した際に見つけたものだ。
なぜそれをアトーレが胸にぶら下げているのか。
まったくの謎である。
だが闇石が放つ澱んだ輝きに刺激され、迷いの森で出会ったあの暗黒戦士との旅の記憶が、ユウキの脳裏に再生される。
長い旅の途上で交わした世間話。
テントの中、そして宿屋のベッドで横に寝ている暗黒鎧の肌を刺す冷たさ。
そんなものを思い出したユウキは、ついでに今朝のシオンとの通話内容をフラッシュバック的に思い出した。
そうだった。
今、闇の塔がやばい。
「あ、あんた……アトーレ……その闇石を持ってるってことは、あの暗黒戦士の知り合いなのか?」
アトーレはゆったりと魔コーヒーを傾けると面白そうにユウキを見た。
「どうしたんですか? 急にそんな血相を変えて」
「『闇の塔』ってやつを防衛するために、強い助っ人を探してるんだ! 今、暗黒戦士はどこにいるんだ?」
アトーレは目を丸くした。
「ユウキは『闇の塔』の関係者だったのですか?」
「ま、まあ、ちょっとしたインサイダーということになるかな。あんたも暗黒戦士の関係者なんだろ。とにかくオレは暗黒戦士に会いたいんだ。居場所を知っていたら教えてくれないか」
アトーレはしばし瞑目して何事かを考え込む様子を見せた。
しばらくして伏せた瞳をこちらに向けると言った。
「暗黒戦士は……お役には立てません」
「そうか。それなら仕方ないな」
ユウキは諦めた。
人に無理を言ってはいけない。
ユウキ的には、そういう物分りの良さが自分のいいところだと思っている。
他人を自分の意に従わせようなんてのは、はしたないことである。
だがそのときユウキの脳裏に、崩壊する塔に飲まれるシオンの末期が浮かんだ。
哀れな。
なんとかしたい。
ユウキは食い下がった。
「すまない……迷惑かもしれないけど、とにかく暗黒戦士に会わせてくないか」
アトーレは伏せた瞳を震わせて言った。
「……無理です」
「そこをなんとか頼むよ」
「できません。暗黒戦士はどうしてもお役には立てません」
頑なに断るアトーレの声には、なぜか無力感が滲んでいる。
何かの感情的な問題を抱えているのかもしれない。
だがそう言われたところで、今オレが引き下がれば塔は崩壊しシオンは潰れ世界は破滅する。
ユウキはテーブルに身を乗り出してしつこく粘った。
「いいから教えろよ。いいだろ、別に減るもんじゃないだろ」
「スキル『粘り』を獲得しました」ナビ音声が脳内に響いた。
しかし少女はすまなそうに首を振った。
「暗黒戦士は……無理です。お役には立てません」
「なんでだよ」
「暗黒の力が失われているのです。『暗黒』が無い状態では暗黒剣を持ち上げることすらかないません」
「マジか。まあでも……わかるよ。オレも『気力』が無くなると何もできなくなるからな」
「わかってくれて嬉しいです」
「あいつに伝えてくれ。『暗黒』が無いなら早くチャージしろ、って」
オレは気力をチャージする術を身に着けた。暗黒戦士も何かしらの『暗黒』をチャージする方法を知っているに違いない。
だがアトーレは言った。
「できることならば。でも、どうしてもできないんです。暗黒のチャージが」
「たるんでるんじゃないのか。本気出せよ。そしたら『暗黒』でもなんでもチャージできるだろ」
スキル『暴言』を発動させつつユウキは粘った。
「ですが……『暗黒』のチャージには『相手』が必要なんです」
「頑張って見つけろ。その『相手』とやらを」
「はい。頑張って探してはいるのですが……」
「見つからないのか? 暗黒チャージの相手が?」
「ええ。どうしても、見つかりません」
「だったらオレが役に立てないか?」
「え?」
「暗黒チャージのために何をすればいいのかわからないが、できる限り、全力をつくすつもりだ」
するとアトーレは、ユウキを品定めするかのように上から下まで眺め回した。
「あなたに……あなたにそんなことできるでしょうか?」
「で、できるさ、もちろん」
世界存亡の危機である。
何をすることになるのかわからないが、ちょっとやそっとのことではへこたれずに頑張るつもりだ。
「では……あちらへ」
アトーレは喫茶ファウンテンのテラス席から立ち上がった。
ユウキもあとに続こうと思ったがふと気になるものが目に入った。
「それ、食べないのか? パン、手付かずだぞ」
「よかったらどうぞ。私は今、断食の行をしてますから」
「ダイエットは体に悪いぞ。そんなにスタイルがいいのに」
スキル『説教』を発動しながらユウキはパンをもらった。
廃棄食料はもったいないからな。
だが緊張で胃が収縮しているのか、どうしても食べる気になれない。
と、そのときふと顔を上げると、喫茶ファウンテンと宿屋の隙間が目に入った。
その建物と建物の狭い隙間にゴザがひかれており、そこに誰かがボロ布にくるまって寝ている。
「あいつは……」
遠目でも、その空間に異様な気配が漂っているのが感じられる。
「ちょっと待っててくれ。すぐ戻ってくる」
一言アトーレに言い残すと、ユウキはパンを持って建物の隙間のゴザに近寄っていった。
ある程度まで近寄ると状態異常『コズミック・ホラー』が発現した。
スキル『順応』が効いているためか、めまい、吐き気、ふらつきの症状が出たぐらいで手が届く距離に近づくことができた。
*
「おい、起きろよ」
ゴザの上でボロ布にくるまって寝ている汚い少女の肩を揺さぶる。
しばらく揺さぶり続けたが十二歳ぐらいのその体はピクリともしない。
もしかして死んでるのか……。
過酷なストリート・チルドレンの運命に涙しそうになったそのとき、ボロ布が身動きした。
「んん……なんだ、小僧か」
髪がベタベタのストリート・チルドレンは、ゴザの上で半身を起こすと目をこすりつつユウキを見上げた。
「余に何かようか? 定命の……汚らわしい変態の者よ」
酷い言われようだった。
だがナンパなる行為を頑張ろうとする者への世間の目とは、そういうものかもしれない。
また現に身も心も汚らわしいのは確かであると思われるので否定はしない。
とにかくユウキは要件を済ますことにした。
「あの……これ、食うか?」
パンをストリート・チルドレンの鼻先に提示する。
少女はパンとユウキを交互に見つめると、きょとんとした顔をした。
「余に施し物、か?」
「ああ」
「面白い……いいぞ、小僧。二日続けて定命の者が永劫の存在たる余に物を施す、とは」
そう言うとストリート・チルドレンはピンクのスプリット・タンを嬉しそうにチロチロさせた。
それから大口を開けた。
「あーん」
大きく開かれたその口内へとパンを差し込んでいく。
ストリート・チルドレンはパンを口いっぱいに頬張ると、ゴザにまた横になってもそもそと咀嚼を開始した。
しばらくして口の中を空にすると、少女は横になったまま言った。
「そうか……欲張りな定命の変態よ。小僧は余が誇る無限の知恵と富を、もっともっと欲しくなったのだな。良かろう、次は何が欲しい? 遠慮せず言ってみよ」
「いや……ちょっと人を待たせてるんで、すぐに行かなきゃ」
「では……ルフローン。余の名をダイレクトにそう呼ぶことを小僧に許そう」
ルフローンは縦にスリットの入った金色の瞳をユウキに向けた。
「ど、どうも。オレは……山田ユウキ。それじゃまたな、ルフローン」
ユウキは踵を返した。
*
「ふう。ごめんごめん。それじゃ行こうか」
喫茶ファウンテンのテラス席で立ちすくんでいるアトーレに駆け寄る。
己の二の腕を掻き抱いているアトーレは、青ざめた表情をユウキに向けた。
「あの建物の隙間に……何かが潜んでいるんですね。私にもわかります。何か……とんでもなく恐ろしいものが……あそこに眠っている」
「ちょっと、知り合いがいてな。あそこを寝床にしてるらしい。『ルフローン』だそうだ」
「ルフローン……まさか……そんな……」
アトーレは強い驚きの表情を浮かべた。
「ユウキ……あなた、いったい何者なの?」
「…………」
そんなこと聞かれてもやはりなんとも答えようがない。
名前はさきほど伝えた。
だがそれ以上の自己紹介をすることがオレはできないでいる。
オレのこの社会での位置づけ、世界での存在意義、それをまだアトーレに伝えることができていない。
なぜならオレ自身、それを知らないからだ。
オレはなぜなんのために、何がしたくてここにいるのか。
一応、個人的な目標はわかっている。ナンパだ。
だが社会的な存在意義がわからない。
だから社会的には存在していないも同然の無、それがオレだ。
ただまあ……闇の塔をなんとかしようとしている。
つまり一応、世界を救おうとはしてる。
そんな社会的な目標が、あると言えばある。
ユウキはそれを、とりあえずの己の自己紹介とした。
「そうだ……オレは……この世の中に……いいことをしようと思ってる男だ」
意外にもその曖昧模糊とした自己紹介はアトーレに受け入れられた。
「ええ……わかります」
わかるのかよ。
「あなたは……私には壮大過ぎて理解できない、何かいいことをしようとしている人。そんなことは、初めて見たときからわかっています」
なぜかずいぶん買いかぶられてる感じがする。
「だけど……」
アトーレは暗い瞳をユウキに向けた。
「そんなあなたに……温かみに溢れたあなたに……本当にできるのですか? 『暗黒』のチャージなど」
「してやるよ。まかせとけ」
「では……あちらへ。私、あそこに宿を取っています」
アトーレは喫茶ファウンテンの隣の宿屋に向かって歩き始めた。
「あっ、朝食代、払わないと。……ゾンゲイルからもらった小遣いで足りるかな」
「気にしないでください。私が払っておきました」
「す、すまん」
「早く、こちらへ……」
そのとき噴水広場を影が覆った。
アトーレが一歩歩くごとに空の太陽が雲で覆い隠され、噴水広場は夜のように暗闇に包まれていく。
その闇の中でユウキは今になって戦慄した。
(宿……だと? オレはこの美しい少女と……アトーレと……一緒に宿に入るというのか?)
急転直下の事態に生唾を飲み込む間もなくアトーレはユウキの手を引いて、薄暗い宿の奥へと彼を導いていった。
いつもお読みいただきありがとうございます。
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