闇石の輝き
ユウキの眼前に、少女の細い手があった。
(え、なにこれ? 掴んでいいのか)
ためらったのちに、その不健康なまでに白い手を掴む。
すると少女は驚くべき強い力でユウキを引き上げた。その力は明らかに物理法則に反している。
(まあ……異世界だしいろいろあるんだろう)
思考停止したユウキは少女と共に喫茶ファウンテンのテラス席に着き、朝のセットを注文した。
やがて黒い温かな液体とサクサクした香ばしいパン状の何かが出てきた。
ひとくち食べて飲んでみる。
(うまいじゃないか。おいこれ、なんていう食べ物なんだ?)
「パンとコーヒーです」とナビ音声。
(そのままか!)
「細かいところはいろいろ違います。例えばこの飲み物はユウキの世界のコーヒーより覚醒作用が強く、軽い多幸感まで得られます。そうですね……魔コーヒーとでも翻訳しておきましょう。中毒には気をつけてください」
(そんな大げさな。お代わり自由だぞ。飲まなきゃ損だろ)
ユウキは魔コーヒーを早いペースで飲んだ。そんな彼の足元を鳩状の生物が歩いていた。
(この生き物はなんだ? これも鳩か?)
「だいたい鳩です」
ユウキはパンの欠片を鳩に投げ与えた。その正面で少女はゆったりとカップを傾けていた。
「…………」
やがてユウキの魔コーヒーは空になった。
空になったカップに、すぐに店員さんがお代わりを注いでくれた。
またユウキは魔コーヒーを速いペースで傾けはじめた。
そんな彼を青い髪の少女は興味深げに眺めている。
「魔コーヒー、お好きなんですね。知りませんでした」
(そりゃ初対面だからな)
そう思いつつもなぜかあまり初対面な感じがしない。
少女は口数が少なくユウキも何を喋ったらいいかわからない。そのため二人の座るテラス席には沈黙の帳が降りがちだ。
勢いで朝ごはんに誘ってしまったものの何を喋ればいいのかわからない。
間が持たない。
しかしその言葉のない時間が、今、なぜか居心地がよく感じられつつあった。
「…………」
ユウキは先ほどまでせわしなく上下させていたカップを、勇気を出してテーブルに置いてみた。
そうすると少女の顔がよく見えた。
その瞳も。
「…………」
今、ユウキの視線は少女の視線と絡み合った。
それは焦りや不安を生じさせなかった。
謎の安らぎまで感じられた。
まるで過去に寝食を共にした仲であるかのごとき気安さがあった。
さらに不思議なことに、小さな頃からこの少女と共に生きてきたかのような親密さを感じた。
「…………」
かつてユウキはアフィリエイトの商材とするため、恋愛に関する本を何冊か読んだことがあった。
その中には『あなたのソウルメイトと出会う方法』なる怪しげな本もあった。
その本では、時間と空間を超え、魂によって結びついている者たちのことをソウルメイトと称していた。
ソウルメイト、それは一種のロマンティックなおとぎ話のようなものであり、決して現実的な概念とは思われなかった。
しかし今、ユウキは少女に奇妙な一体感を覚えていた。
恋愛のときめき、それよりも深い、静かな一体感を。
「あのさ」ユウキは言った。
「はい……なんでしょう」少女は答えた。
「なんか、変な感じじゃないか」
「わかります。なんでしょうね、これは」
テーブルの上に置かれていた少女の右手がわずかにユウキに近づいてきた。
半ば自動的に自分の手が動き、少女の手に重なった。それをユウキは驚きとともに認識した。
だがそれが自然なことだと思われ、ユウキはまた少女を見つめた。
「…………」
少し肌寒い朝のテラス席で二人は手を重ねて互いを見つめ合った。
彼女の瞳の奥には静けさがあった。
その静けさの中に時間は流れていなかった。
そのため、そこには永遠があった。
今、永遠の中でユウキは彼女と結ばれていた。
*
やがてユウキは少しずつ我に返ってきた。
喫茶ファウンテンのテラス席で見つめ合っていたユウキと少女は、どちらともなく重ねていた手を引っ込めた。
「…………」
そしてまた無言の時間が流れる。
ユウキは視線をそらした。
「…………」
ここは朝の噴水広場だ。
テラス席にいるのはオレと青い髪の少女のみ。
他の客は皆、なぜか店内席を使っている。少し肌寒いからか。さっきよりちょっと冷え込んできた感じがする。
ひとつ咳払いをしてからユウキは眼の前の少女をまた見てみた。
やけに蠱惑的な雰囲気を発しており、よく見たらやたら露出度が高い服を着ている。しかもどういう仕組みでそうなっているのか、髪が青い。
そんな少女の目を見ていたら、さきほどはなんだかよくわからない壮大なトリップ体験をしてしまった。
なんだったんだ、あれは?
一目惚れによる脳内麻薬の放出と、魔コーヒーの向精神作用、そういった諸条件が同時並行的に作用した結果だろうか。
「…………」
いまだに彼女を見ていると、とろけるような気持ちよさを感じる。
だがしょせんは初対面の者であり、社会の中で生きる文明人である限り、最低限の知的コミュニケーションも必要であろう。
そう思えた。
もしかしたらスキル『流れに乗る』が自動発動されているのかもしれない。オレは謎の流れに乗って、さまざまな手順をすっ飛ばし、この少女と出会って数分で、非言語的レベルで深い交流をしてしまった。
だが常識的なレベルでの交流、いわば浅い日常的な言語レベルでの交流もまた必要に思える。もしもこの少女とのコミュニケーションをより広い帯域で確立したいのであれば。
そしてオレはもちろん彼女ともっと仲良くなりたい。
だから必要だ、言葉によるコミュニケーションも。
ユウキは決意した。
(よし、自己紹介するぞ!)
だがそのとき深い恐れが生じた。
オレには紹介すべき自己など何もない。
元の世界では無職ひきこもり、こちらの世界ではただブラブラ遊んでいるだけの存在、それがオレだ。
そんなオレが人に対してどんな自己紹介ができるというのだろう?
名前、年齢?
よく考えたらオレの年齢はこの少女の二倍ぐらいあるんじゃないのか。
そんな歳の差があるオレがこんなうら若い少女と交流していいのか?
「…………」
しかしそのような年齢に関する制限はエルフに対しての社会的差別を生むのではないか。そうユウキの中の社会正義を求める部分が警鐘を鳴らした。
年齢差が二倍ある程度で恋愛できないとしたら、長命のエルフの出会いは厳しく制限され、やがて絶滅してしまうだろう。そんなことはエルフにとってよくないよな。
「…………」
魔コーヒーによってブーストされた思考が今考えるべきことではないことへと飛んでいく。それによりユウキの自己紹介の気勢はますます削がれていく。
客観的に見たときユウキは初デートで緊張して何も喋ることができなくなっている内気な男そのものと化していた。
「…………」
沈黙がテラス席を包む。
気づけば周囲からは人の気配が消え、鳩の姿も消えていた。
空からは朝日が差しているのに周囲は冷え込んでいる。
少女とユウキが座るテーブルの一角からは、朝の爽やかさや陽気が消え、そのかわりに寒々しい薄暗さが濃く放出されているよう感じられる。
そんな寒々しい空気の中心で、青い髪の少女はゆったりと魔コーヒーを傾けるばかりで朝食に手を付けようとしない。
ダイエット中だとでもいうのか?
それともオレといると食欲が失せるということか。
とても自己紹介する勇気など出てこない。
そんな彼に対し助け舟が出る。
「私の名前。そういえばまだお伝えしてませんでしたね」
「まあ……会ってまだ数分だからな」
「ふふ。アトーレ……私、アトーレです」
「オレは……」
「ユウキ」
「な、なんで知ってるんだ。初対面なのに」度肝を抜かれた。
アトーレはいたずらっぽく微笑みながら、胸の谷間にぶら下がっている首飾りに人差指でそっと触れた。
黒く輝く結晶が少女の胸で揺れる。
その石の放つどす黒い闇の輝きがユウキの記憶を呼び起こした。
それは……闇石の結晶じゃないか。
かつてユウキが暗黒戦士に別れ際にプレゼントした石が、今、アトーレの胸元で穢れた光を発していた。
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