急襲
(せ、性魔術……だと?)
何かとてつもなくエッチな雰囲気が感じられる単語が、肉感的な美女、ラゾナの口から飛び出てきた。
しかし……きっと何かの聞き間違いだ。
そうに違いない。
ユウキは深呼吸してその単語をスルーした。
心臓はバクバクと脈打っているが……今は目の前のことに集中しよう。
星歌亭のカウンター内から客席を見渡す。
昨日、ゾンゲイルに絡んだ筋肉隆々のスキンヘッド、立派な鎧を着た戦士、その他諸々の冒険者がテーブルに突っ伏し、ひくひくと痙攣している。
ステージでは頬を紅潮させトランス状態に入っているゾンゲイルが神々しいオーラを発しながら朗々と『君のおかげ』を歌い続けている。
自分が作詞作曲したためか、ユウキはその歌の魔力に抵抗力があるようだった。
だが歌がループを繰り返すごとに、感謝の気持ちと、心と体をうっとりさせる気持ち良さが高まっていくのが感じられる。
それによって客席の冒険者たちは昇天しかかっているのだ。
「地獄絵図だな。どうすればいいんだ?」
ユウキはラゾナに尋ねた。
彼女はカウンター内で軽く体を揺らしている。
ラゾナも歌の影響を受けているのか、とろんと潤んだ瞳をユウキに向けた。
「そうね……急に歌を止めない方がいいわ。ショックで負荷がかかるかもしれないから」体を揺らしながらそう言った。
「穏やかに、優しくクールダウンさせてあげて。できる?」
「わ、わかった。やってみる」
ユウキはカウンターから抜け出すとステージの拡声箱に駆け寄り、その上で曲をループ再生しているるスマホに触れた。
とりあえずこの歌を前進させている太鼓の音量を少しずつ小さくしてみる。
ドラムトラックの音量調節つまみ……フェーダーに指を当て、それをゆっくりゆっくり下げてみる。
だがかたわらのゾンゲイルが女神的なオーラを湛えた笑顔をユウキに向けた。
歌を歌うこと、自分の力を表現することが気持ちよくてしかたない。そんな陶酔と快楽が伝わってくる。
ユウキはその笑顔になかば意識を持っていかれた。
再度、ドラムのフェーダーを最大にしてこの歌のループを永遠に続けたくなる。
だが……ふと正面、客席の奥、薄暗いカウンターの中に赤いローブの魔術師が見えた。
ラゾナは『落として、落として!』というジェスチャーを必死で続けていた。
正気を取り戻したユウキはドラムトラックのフェーダーを操作し、完全にドラムの音量を切った。
シンセサイザーの和音のみが拡声箱から響くようになった中で、ゾンゲイルはさらにワンコーラス、歌を繰り返した。
彼女はそこで口を閉じた。
ユウキはすみやかにスマホを操作し、昨夜作ったオルゴールの曲を再生すると、汗で湿ったゾンゲイルの手を引いてステージから脱出した。
*
朦朧としているゾンゲイルを厨房に寝かしたユウキは、正気を取り戻したエルフとともに事後処理をした。
オルゴール曲を流して客席をクールダウンさせながら、飲み物の注文を聞いて回り、冒険者たちを正気付かせていく。
エルフの操作によって客席の照明は次第に明るくなってゆき、互いの顔がくっきり見えるようになった。
人間、エルフ、ドワーフ、蛮族、猫人間、その他よくわからない種族のものたちが今、同じテーブルの者たちと、あるいは他のテーブルのグループと話し合っている。内容はおそらく先ほどの歌についてだろう。
あの歌、強力すぎたかもしれない。
もう二度と来てくれなくなったらどうしよう。
なんとなくの流れでカウンター内で飲み物を作ることになったユウキは、エルフの指示のもとよくわからない液体を攪拌しながらも不安で仕方なかった。
だが古風な騎士の胸あてを付けた冒険者が飲み物を受け取りながらユウキに言った。
「素晴らしかったぞ。次を楽しみにしている」
これによりユウキの気持ちは楽になった。
昨夜、ゾンゲイルに絡んだ筋骨隆々のスキンヘッドも、筋肉増強作用のあるカクテルを受け取りながら言った。
「あの女……とんでもねえ歌を歌いやがるな。俺の気力の上限が限界突破したぜ」
なんだかよくわからないが、いい効果があったらしい。
その後、しばらく拡声箱からオルゴール曲が静かに流された。
さらにその後、この星歌亭本来の出し物である伝説の歌姫の歌声の録音が再生された。
心と体に強烈な影響を与えるゾンゲイルの歌声のあとで流れるそれは、古いレコードから流れる昔の音楽のように、懐かしくしみじみと気持ちを安定させる作用が感じられた。
しかしカウンター内でエルフは腕を組み呟いた。
「やはりこの拡声箱、低音が弱いな」
やっかいなオーディオマニアのごときことをエルフは主張していた。
やがて客があらかたはけた客席で、エルフはテーブルの配置を神経質な手つきで直しながら言った。
「やはり古いものは新しく改善しなければならないな」
「というと?」
ユウキは後片付けを手伝いながら問い返した。
「さきほどのゾンゲイルさんの歌を聴いて強くそう思ったよ。先祖から受け継いだ拡声箱……穴を空けるなんて気が進まなかったが、今、古いものを新しく刷新したい」
「つまり……その拡声箱、ゴライオンが言っていたとおりに穴を空ける改造をする、と?」
「ああ、そうだ。そして……箱から切り出したミスリルは君たちに提供しよう。今後もゾンゲイルさんがこの店で歌ってくれるのであれば、だがね」
「……た、助かる。ありがとう」
ユウキは思わずスキル『感謝』を使った。
どうやら『鎌の補修材料を得る』というクエストの一つをクリアできたようだ。
これにより塔を侵食する雑草を刈取ることができる。
世界の破滅が少し遠のいたような気がした。
「ふう……」
達成感を味わいながら、ユウキはエルフを手伝い黙々とテーブルを拭いた。
*
ほとんどあと片付けが終わったところで、ラゾナがユウキにすっと近づいてきた。
「石版、同期させましょ」
「石版? 同期?」
「ああ、ユウキはよその街から来たんだものね。知らなくても無理はないわ。この街では石版を使って遠隔的に連絡ができるのよ」
「み、みんなそんな魔法が使えるってことか?」
「いいえ。大浄化以後、強まった光の魔力とそれによって整備された光の魔力網によって、一部の魔法の技がこの市内では誰にでも使えるようになっているのよ」
「そうなのか。石版って、これか?」
ユウキは作業着のポケットから石版を取り出した。塔を出るときにシオンが持たせてくれたものだ。いつまたシオンから連絡があるかわからないので、いつもポケットに入れて持ち歩いていたものだ。
「なんだ、持ってるじゃない。でもこれ、ずいぶん古風な石版ね。街の骨董屋ででも見つけたのかしら」
「まあそんなところかな」
「これ、ソーラルの光の魔力回路に繋がってないわよ」
「繋がってないと何か問題あるのか?」
「遠隔通信するのにとんでもない量の闇の魔力が必要になるわ。闇の魔力に乏しいこのご時世、伝説の闇の塔の主でさえ、この石版に通信するのは難しいわよ」
「確かに……」
シオンからの通信はこの街に到着した直後に一度あったきり、プッツリと途絶えている。
「今、この石版をソーラルの魔力回路に繋げてあげる。いい?」
「いいのかな……まあいいか、頼むよ」
「風の精霊よ、この石版をソーラルの魔力回路に繋げてちょうだい」
どこからともなく風が吹きこみ石版を包んだ。
石版は振動しその表面に文字を浮かび上がらせた。
見ると『接続完了』と表示されている。
「これでOK、あとは私の石版とあなたの石版を同期するだけよ」
「どうやってやるんだ?」
「石版を重ねてシェイクするの。やってみて」
ユウキはラゾナが小物入れから出したコンパクトな石版と、自分の石版を重ねて上下にシェイクした。
「もういいわよ。これでいつでも通信できるわ。相手のことを思い浮かべながら石版に字を書くだけで、それが相手の石版にも浮かび上がるのよ。やってみて」
ユウキはラゾナのことを考えながら石版の表面を爪で引っ掻いてみた。同様の傷がラゾナの石版に浮かび上がった。
「石版に書いたものは軽く指で撫でれば消えるわ」
言われたとおりにすると確かに傷は消えた。
「凄いな!」
「声の振動を伝えることもできるわよ」
「めちゃめちゃ便利じゃないか。スマホか!」
「スマホ? わからないけど、石版はソーラル暮らしには必須アイテムよ。便利に使ってね」
ラゾナは石版の便利な使い方をユウキにレクチャーし、さらに『魔力増強の巻紙薬』と、石版に文字を書くための鉄筆をユウキにプレゼントした。
「お近づきの印よ。あとで連絡するからね」
それだけ言うとラゾナは星歌亭から出ていった。
しばらくすると石版に文字が浮かび上がった。
『今日は楽しかったわ。またね。おやすみ』
ユウキも慌てて石版に返事を書いた。
『こちらこそ。おやすみ』
「ふう」
顔を上げると経営者のエルフがまた異様な神経質さを持ってテーブルの位置を微調整していた。
なんだかよくわからない法則性に基づいているその作業を手伝う余地はない。
ユウキは厨房で寝ていたゾンゲイルを起こすと、その体を支えながら星歌亭を出た。
*
明け方、ゴライオン宅の寝床でユウキが今日一日の予定を考えていると、石版が振動した。ユウキは石版を耳の後ろの骨に当てた。
「もしもし」
「ユウキか!」
「その声は……シオンか。そうか、昨日この石版をソーラルの魔力回路に繋げたから、お前の弱い魔力でも通信が届くようになったんだな」
「弱くて悪かったよ! それより今すぐ帰ってきてほしいんだ! 今すぐに!」
「まあまあ、落ち着けよ。どうしたんだ一体」
「巨大な樹木の妖魔が三体、塔に攻めてきたんだ!」
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