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インナーワールド

 ユウキは星歌亭のカビ臭い物置で体育座りしていた。


 暗い物置の壁にもたれてぐったりしていた。


「…………」


 さきほど、猫人間と別れて星歌亭に戻る帰り道で、人格テンプレート『愚者』の効果時間が終わり、ユウキの初期人格テンプレートである『隠者』が活性化された。


 ユウキはさっそく考えてもしかたがないことを頭の中でグチグチと考え始めた。すなわち『内省』を始めた。


 ナビ音声が解析したところによれば、隠者は『内省』を初期スキルとして持つ人格テンプレートらしい。そして『内省』は自分の精神空間にアクセスするために役立つ、なかなか高位なスキルらしい。


 だがその『内省』なるスキルは、ユウキの人生においてマイナスに働きがちであった。


 今、星歌亭の物置の中で、ユウキは実家でいつもそうしていたように、習慣的、無意識的に暗い『内省』を続けていた。


「どうすればいいんだ……明日、『大穴』で仕事する約束をしてしまった」


 仕事……。


 スグクル配送センターでの悪夢が脳裏に蘇る。


 スグクルを闊歩するモンスターのごとき社員は恐るべき呪いの言葉を発し、それによってユウキは状態異常『パニック』を患い、結果として痛ましい事故に遭って、大切な命を失いかけたのであった。


 召喚されてなきゃ段ボールに潰されて本当に死んでたかもしれない。


「うっ……」


 ストレスで思わず鳩尾をかきむしる。


 労働基準法が施行されている元の世界でさえ、あのような恐るべき苦難がユウキを襲ったのである。


 この異世界ではどれほど苦しい目に遇うのかわからないぞ。


 しかもそれより気が重いのはあの猫人間のことだ。


「ど、ど、ど、どうしよう……知らない人相手に、『オレが守ってやるよ』なんて言ってしまった」


 オレごときが誰を何から守れるというのか。


 むしろ守りを必要としているのはオレだ。


「ううう……疲れた……」


 いろんな人に会いすぎた。


 実家の自室でアフィリエイトサイトを運営して幾星霜。その間、言葉を交わす相手といえば父と母と妹と、たまにやってくる親戚ぐらいのものだった。


 なのにここ数日、とんでもない勢いで知らない奴らとわけのわからない交流を繰り広げている。


 まだオレのナンパ能力はゼロどころかマイナスに近く、広場で顔を上げ続けることすらままならない。だというのに、すでにこれほどまでにオレは人疲れしている。


 いつか本格的にオレのナンパが軌道に乗り始めたなら、オレの精神は容量オーバーとなり、空気を詰め込みすぎたタイヤのようにパンクしてしまうのではないか。


 やはりオレにはナンパなんて無理なんじゃないか。


 オレは不可能な夢を見て、回りに迷惑をかけ続けているだけなんじゃないのか。


 現に今もあんなに頑張って仕事しているゾンゲイルをフロアに残して、オレは身勝手にも物置に逃げている。


「うう……」


 ユウキが猫人間と別れ、星歌亭に帰ってくると、すでに労働者たちは食事を終え退店していた。


 てきぱきと食器を下げているゾンゲイルにユウキは疲労のあまり、つい甘えたことを言ってしまった。


『……ちょっと一人になりたいんだ』


『わかった。この物置に入ってて』


 ゾンゲイルはユウキを物置に案内した。


『私、もう少し仕事があるから』


 ゾンゲイルはそう言い残すとさっと物置の扉を閉めて姿を消した。


 フロアと厨房の片付け、夜の営業の準備など、仕事はたくさんあるはずだったが、そのすべてをゾンゲイルに任せてしまった。


 強い自責の念が湧き上がる。

 

「バカ。オレのバカっ!」


「スキル『暴言』があなた自身に発動されています。それにより『気力』が低下し、状態異常『自己疑念』が強化されています」


 ナビ音声から警告があったが、闇の中で正気を失ったユウキの目は虚ろであり、自己への暴言は止むことがなかった。


「ううう……バカバカバカ。オレのバカ……」


 気力がどんどんゼロに近づいていく……。


 だが……。


 そのときだった。


 物置のドアがノックされた。


「ユウキ、どう?」


「ど、どうって、なにが?」


「一人になって何かすることがあったんでしょ。できた?」


「…………」


「私も入りたい。外ですること終わったから」


「ちょっ……」


 いきなり暗闇の中に光が差し込んだかと思うと、ゾンゲイルが扉の隙間から身を滑り込ませてきた。


 カビ臭い物置きの中にうっとりとする香りが立ち込めたかと思うと、すぐにドアは内側から閉められ、また物置の中は濃い暗闇に包まれた。


「……………」


 暗闇の奥、正面から声が聞こえる。


「私、こっちに座ってる」


 どうやら向かいの壁にもたれて座っているようだ。


 だがこの物置はとても狭い。たぶん少し手や足を伸ばせば触れられる距離にゾンゲイルがいる。


 密室の中、他人とこんな近い距離にいる。


 そのことがユウキを落ち着かない気分にさせた。


 ユウキが落ち着かない気分でもじもじしていると、しばらくしてまた正面から声が聞こえた。


「ユウキはここですることを続けて。私、掃除用具みたいなものだから。気にしないで」


 そんなこと言われても……ゾンゲイルのことを、物置の壁に立てかけられている箒のように思うことはできない。


 どうしても緊張してしまう。


「……はあ」


 せめてユウキは緊張をほぐそうと深呼吸した。


 それに呼応するかのように、暗闇の奥からも呼吸音が聞こえた。


 *


 ゾンゲイルとともに暗闇の中で呼吸していると、だんだん落ち着いてきた。


 若干、冷静になった頭でユウキは考えた。


 そもそも……オレはこの暗闇の中に入ってきて何をしたかったのだろう。


 そう……ただオレは一人になって、自分の内側にこもって、ぐちぐちと考えても仕方がないことを考えたかっただけなのだ。


 そうだ……オレは生まれながらに、ぐちぐちと悩み、考えることが好きなんだ。


 つまり一人になって、スキル『内省』を使うこと……それをするのがオレの望みだったのだ。


 善かれ悪しかれ、それがオレの持って生まれた習慣なんだ。


 そう考えたとき、また暗闇の奥から声がした。


「なんでも好きなことをして。私の前で。邪魔しないから」


 だが……そうは言われても、この闇の中でぐちぐちと悩むこと、『内省』すること、それは一人で、孤独の中ですべきことである。


 人前では、特にゾンゲイルの前ではできるものではない。


 そう思った。


 だが……それは本当だろうか。


 せっかくゾンゲイルが『好きなことをして』と言ってくれているのだ。


 今、その言葉に甘えるべきではないか。


 人の好意を無にするのはよくないのではないか。


「よし……だったらひとつ、やってみるか」


 その気になったユウキは、やってみることにした、『内省』を。


 そのためにまず、自分の意識を自分の内側に向けようとする。


 すぐ近くにいるゾンゲイルのことを忘れ、自分のことを考えてみる。


「……………」


 だが目の前、手を伸ばせば届く距離にいるゾンゲイルのことが、どうしても気になる。


 そのため、自分の内側に意識を完全に振り向けることができない。


 半分ほど、意識をゾンゲイルに持っていかれてしまう。


 ならばしかたない。


 意識の半分でゾンゲイルのことを想いながら、意識のもう半分だけを自分の内側に向けよう。


 そしてそこで意識の半分だけを使って内省しよう。


 ユウキはそれを試みた。


「…………」


 それは……できた。


 しかもそれはとても良い結果をもたらした。


 ゾンゲイルを意識するとドキドキと多幸感があった。


 その温かなときめき感と共に、自分の内側に意識を向ける。


 そうすると、暗い気分に飲まれることなく、『内省』することができた。


 それはあたかも太いロープによってしっかりと安全を確保してもらいながら、暗い谷底に潜っていくかのような体験だった


 ゾンゲイルがロープを握っていてくれるために、ユウキは暗い自分の心の奥を、冷静に見つめることができた。


「…………」


 今、ゾンゲイルの存在を感じながら内省することにより、ユウキの感情と思考は、少しずつ健全に整理されていった。


 やがて心の中にナビ音声が響いた。


「スキル『内省』のレベルが上がりました。スキル『半眼』を獲得しました」

いつもお読みいただきありがとうございます!

いつも大大大大感謝です!


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