作曲活動
ユウキはアダルトな活動が全般的に苦手で、そのためお酒を飲むという習慣を持っていなかった。
だが……もしかしたらアルコールの酩酊とはこんな感じなのかもしれない。そう思った。
「ああー。気持ちいいなー」
星歌亭の客席でユウキは一人呟いた。
ナビ音声が冷静に反応する。
「そうですか。おめでとうございます」
「頭がクリアに軽くなった気がする。不思議だな」
「人格テンプレートを『愚者』に切り替えることによって、『自己疑念』を維持するための知性が失われているのです」
「なるほど!」
ナビ音声の説明が長すぎてほとんど理解できなかったが、とにかくユウキの心はさっぱりしていた。いいことだ!
「で、オレは今、何したらいいんだっけ?」
「私に聞かれてもわかりませんよ。したいことしたらいいんじゃないですか?」
ユウキはしたいことを考えた。
しかしよくわからなかった。
「とりあえず昼寝でもするか」
ユウキは星歌亭の綺麗に磨き上げられたテーブルに突っ伏して目を閉じた。
ぜんぜん眠くならない。
ユウキは寝るのを諦め、テーブルから顔を上げた。
「なんか暇つぶしするか」
暇つぶしといえばスマホである。
ユウキは流れるような動作で作業着のポケットからスマホを取り出し電源を入れた。
ソーラーバッテリーによって電池残量は百パーセントだ。
とりあえずブラウザを起動してみる。
しかしここは異世界。ネットが通じてない。
「なんだよ。カフェのくせにWiFiも無いなんて」
現代ではネットが必須だ。
ネットがなければ新鮮な情報が手に入らない。
新鮮な情報が手に入らないとは現代のビジネスシーンにおいては死んだも同然だ。オレは死ぬには若すぎる。
「よし、いつかどこかにネット環境を引こう」
そう決意したユウキはブラウザを閉じると、スマホのTODOアプリに今の思いつきをメモした。
今の知能指数では、自分の思いつきを五分と覚えていられないだろうからである。
それからユウキは他の何か暇つぶしになりそうなアプリを探した。
「電子書籍は……ダメだ。読み飽きた本しか入ってない。こんなことなら前もって『ナンパの仕方』みたいな本を買っておくんだった」
一瞬、ユウキは後悔した。
だがその後悔を心にキープできるほどの知的容量をユウキは持っていなかった。
すぐに後悔を忘れ、ユウキは次の暇つぶしへと移った。
次にユウキが開いたのは、写真をアップロードして皆に見せることができる写真SNSアプリだった。
だがネット環境がなければ写真アップできない。
そもそも写真をアップしたところで、ユウキのフレンドは父と母と妹しかいない。
しかしユウキは落ち込まなかった。
『愚者』の効果か、根拠の無い前向きさがあった。
「よし。いつかどこかにネットを引いたら、なんとかしてこのSNSのフレンドを増やそう。そして異世界の写真を毎日アップして、フレンドみんなに見せてあげよう」
ユウキはその決意をTODOアプリに書き留めると、今できる範囲からそのプロジェクトを進めることにした。
「そうだ……ネット環境がなくても写真を撮り貯めておくことはできるよな」
ユウキは誰もいない昼下がりの星歌亭の客席から立ち上がると、窓の外にスマホのカメラを向けた。
何かいい被写体はないか探す。
いた。
呼び込みを続けるゾンゲイルだ。
彼女は誰も通らないスラムの路地に向かって声を張り上げている。
「ごはんーごはんー」
ユウキはデジタルズームで画面いっぱいにゾンゲイルを拡大した。
「これをアップしたら絶対受けるはず。いや……」
デジタルズームのため、画質が荒くノイズまみれだ。
ゾンゲイルの魅力をフレンドに伝えるには、望遠レンズを持つスマホが必要だ。
そうだ、絶対に近日中、なんとかしてスマホを最新モデルにチェンジするぞ!
ポートレートだけじゃなく、異世界の風景も撮りたいから、標準と望遠だけではなく広角レンズもついてるスマホにチェンジするぞ!
ユウキはその決意をTODOにメモすると、次のアプリに興味を移した。
次のアプリ、それは昨夜、オルゴール音楽を作るのに使った音楽製作アプリであった。
今、純然たる暇つぶしのためにユウキは音楽製作アプリをいじり始めた。
「……‥…」
睡眠導入のためのオルゴール音楽は、とりあえず昨夜作った一曲あればこと足りる。
「今回は、何か違う感じの曲を作ってみたいな」
そのために……リズムトラックを導入してみる。
ユウキは適当なドラム音源をトラックに挿入するとリズムパターンを打ち込んだ。
等間隔で、どん、どん、どん、どん、と大太鼓が鳴る原始的なものだ。
どん、どん、どん、どん。
スマホのスピーカーから昼下がりの星歌亭に太鼓の音が響く。
ユウキは目を閉じて安定感あるそのリズムに意識を委ねた。
やがて自然にスキル『鼻歌』が発動された。
「ふんふん。ふんふんふーん」
あやふやなメロディを鼻歌で奏でる。
何度も鼻歌で曖昧なメロディを繰り返していると、だんだんそれはしっかりとした形を持ってユウキの意識に固体化されていった。
ユウキはピアノ音源のトラックを作ると、そこに鼻歌のメロディをたどたどしい指使いで打ち込んでいった。
そのようにしてアプリ上に可視化されたメロディは、リズムと同様、あまりに原始的かつ素朴なものだった。
一瞬、長年の習慣である『自己疑念』が発動された。
これはさすがにダサすぎるのでは……?
ユウキは自らの創作物の価値を反射的に否定し、それを消去しそうになった。
だがユウキは今、馬鹿になっている。
どんどんどんどん、と繰り返されるリズムが気持ちよかった。
ドレミ、ドレミソ、と繰り返されるメロディが心地よかった。
ユウキはその原始的な快楽に屈し、自己疑念を忘れ、今、自らの手でこの世に生み出したばかりの曲を目を閉じて楽しみ続けた。
*
ふと気持ちのいい体温と、心をときめかせる華やかな香りを感じた。
客席のユウキが振り返ると、すぐ後ろにゾンゲイルがいた。
星歌亭の玄関ドアが半開きになっている。
腰をかがめたゾンゲイルが、ユウキの肩越しにスマホ画面を覗き込んでいる。
「作ってくれていたのね、私の歌」
「えっ? 歌?」
「疲れてるなら、無理しないで」
「あ、ああ」
「でも……私、大好き! このメロディとリズム!」
ゾンゲイルは熱っぽく上気した表情でスマホのスピーカーに耳を傾けている。
「…………」
ユウキは回転の遅い頭で思い出した。
そういえば……『ゾンゲイルのための歌を作る』という約束を、昨夜、眠りに落ちる直前に交わした気がする。
ど、ど、どうしよう。
明らかにゾンゲイルはあの適当な約束を本気にしている。
これ以上、勘違いされるまえに本当のことを言わないと。
「ご、ごめん。これはただの暇つぶしの曲で……歌なんてとてもオレには」
作れないよ、と言おうとしたが、ゾンゲイルはそのときハッと我に返った顔で窓の外を見た。
「いけない。急がないと」
「えっ、何を?」
ゾンゲイルは厨房へと走って駆け込んでいった。
そしてすぐに厨房から鋭い指令が発せられた。
「ユウキ! 15人分のお水をテーブルに運んで!」
「え、え、え?」
「『大穴』って作業現場が近くにあるみたい。そこで働いていた人が、店の前を通りかかったの!」
「『大穴』? どこかで聞いたことあるな」
「その人にランチを宣伝したら、仕事仲間を連れて大勢で来てくれることになったの!」
「まじかよ」
「お願い、手伝って!」
「お、おう」
ユウキがスマホをポケットにしまって席から立ち上がったそのときだった。
星歌亭の玄関ドアが大きく開き、腰にヘルメットと革手袋をぶら下げた労働者が室内を覗き込んだ。
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