ユウキの修行
朝、塔の周りに設営された平等院のテント群に向かったユウキは、グルジェと師範が話し合っているところに出くわした。
「何? 半数が戦闘不能だと? それでも平等院の武術家か!」
「申し訳ありません、師よ……なにぶん皆、あのような邪悪な妖魔、しかも群れと戦うのは初めてのことで。多くの者が精神に変調を来しております」
「気合が足りておらん!」
ユウキはグルジェと師範に声をかけた。
「よう。なんだか調子が悪いみたいだな」
「組手は続けるぞ! 午前中にお前らを打ち倒す」
「わかった。すぐに始めていいのか?」
グルジェは野営地のそこかしこから聞こえる精神に変調を来した者の上げる声に眉をひそめた。
「いや……一時間ほどあとにしてもらおうか」
「いいぜ」
ユウキがうなずくと、グルジェと師範は精神に変調を来した者を集め、最寄りの村に向けて送り出した。
現在、塔を包む迷いの森は、度重なる妖魔の襲来によって、人を迷わせる力を半ば失っているらしい。それゆえに平等院の者たちは塔に進軍してくることができたのだ。おそらくは森を抜けて人里に帰り着くことも運がよければできるだろう。
「それにしても……あんたたち、戦力が半分以下に減ったみたいだが大丈夫か?」
「気合の足りておらぬ武術家など害悪でしかない。精鋭のみが残されることでむしろ我らの戦力はアップしておる!」
グルジェがそう言うので、冬の寒空の下、今日もまた組手が始まった。
ユウキたち戦闘員はさまざまな種類の癒やしを受けて、体力が完全回復している。また道着の下に温かい肌着を着込んでいる。
一方で平等院の武術家は、昨夜の防衛戦と、慣れない野営と、この冬の寒さで大きく戦闘力が低下している。
そのためか、組手が始まり、一人目をそつなく倒した暗黒戦士ムコアはほとんど息を切らしていなかった。
その後に続いたミズロフや、昨夜、塔に泊まっていてもらった女戦士、ミューザも同様になんなく勝利を納めた。
何巡か組手を回し、各戦闘員が危なげなく勝てることを確かめたユウキは、ここで自分が一つの選択を迫られていることに気づいた。
それは、この場に留まり、さして興味の持てない組手なるものを監督し続けるか、あるいはソーラルに赴いていつもの日課……すなわちナンパをするかという選択である。
「…………」
ユウキはしばしの葛藤の末、後者を選んだ。
塔の遠隔通信網はポータルを介してソーラルまで繋がっているため、組手の模様はナンパしながらでも感知できるはずだ。非常時には石版でソーラルから指示を出すこともできるだろう。
だが想像を超えた緊急事態が持ち上がったときには対応が遅れることは必至である。その遅れが世界の破滅を招かないとも限らない。
ゆえに安全を取るなら、この場に留まって組手の監督を続けるべきである。
しかしどんな選択にもリスクは付き物なのだ。ユウキがこの場に残ることで魂力のチャージが遅れ、それが将来の魔力不足に繋がって、未来の破滅を招くということも考えられる。
(何を選んだところでリスクはある。ならオレは、せっかくだからやりたいことをやるぜ)
ということで、塔を敵に囲まれている危険な状態ではあるが、ユウキはナンパしてくることにした。
その前にまず仕事の引き継ぎをしておく必要がある。
「おーい、アトーレ」
ユウキは組手会場の脇の空き地で、部下の徒手格闘を食い入るように見つめているハイレベルな暗黒戦士に声をかけた。
「なんでしょう、ユウキさん」
「アトーレにオレの権限の一部を移譲したいんだが」
「そっ、そんな、ダメですよ!」
「このままだとオレは過労死してしまう。頼むから塔の防衛の指揮を肩代わりしてくれ」
ユウキが見た限りアトーレにその能力は十分にあった。だが……。
「無理です! いざというときユウキさんのように機転がききません。私にできるのはただ暗黒を使って敵を打ち砕くことだけです!」
アトーレは本気で嫌がっている。しかしここで引き下がればナンパしに行くことができない。
「昇給するから!」
「お金のために戦ってるんじゃないんです!」
「そ、それもそうだな……」
パートタイマーに給料を出してる今、オリジナルメンバーが無給で働いてるのはおかしいと思い、先日からアトーレにも給料を出すようにしてるが、微々たる額である。それがもう少し増えたところで、たいしたモチベーションにならないだろう。
「だったら『防衛隊長』って肩書はどうだ? かなり偉いぞ」
「いりませんよ! 私には過ぎた役職です」
「なんだよ……金も名誉もいらないなんて無欲すぎるだろ。これだから最近の若者は……」
ユウキはブツブツと呟きつつ次善の策を探った。
金も名誉も求めていないこの女が求めているものはなんなのか?
ピンと閃いた。
「しかたない。こうなったらアレだ、もっと積極的に協力するよ。暗黒のチャージを」
瞬間、アトーレの暗黒のオーラが膨れ上がりユウキを包んだ。
「本当ですか? 今夜からさっそくお願いできますか?」
ユウキは後ずさりながら、なんとかうなずいた。
「あ、ああ。塔が崩壊しない程度に抑えながらの暗黒チャージになるが……」
アトーレは暗い欲望に淀んだ瞳をユウキに向けると塔の前の地面に跪いた。
ユウキは暗黒の圧にたじろぎながらも、権限移譲の儀式を始めた。
そのやり方は直感でなんとなくわかった。口頭で意図を発しつつ、心の中で塔のエネルギーの配線を操作するだけである。
「ではこれからアトーレに、第三クリスタルチェンバー『防衛室』と『力のクリスタル』の支配権を一部譲渡するぞ」
「はっ」
目の前に跪いているアトーレの頭部に軽く手を触れ、彼女の体内のエネルギー集積点を探す。
あった。
ブラックホールのように内側に落ち込んだ虚無の穴のごときものが彼女の胸にあり、そこに暗黒が集積されていた。
ユウキは次に闇の塔に意識を向けると、その防衛の要である『力のクリスタル』からエネルギーのラインを引き出し、それをアトーレの胸の暗い穴に繋げた。
瞬間、アトーレは苦しげにうめいた。
「う……」
「すまん。塔とのリンクが強すぎるようだな。もう少し調整しよう」
ユウキはアトーレの心のキャパシティが耐えられるレベルにまで、塔からのエネルギーの流入量を落とした。
さらに三階の防衛室を六階の司令室のクリスタルを繋げ、防衛室を副司令室として使えるようにした。
「これでいちいち六階まで登らなくても、簡易的な索敵と司令なら三階から出せるようになったはずだ。なんとかうまく使ってくれ。今からアトーレは闇の塔の防衛隊長だ」
「あ……ありがとうございます! 闇の塔の力が私に流れ込んでくるのが感じられます!」
塔とのフルコネクションを確立しているシオンやユウキに比べ、アトーレに流れ込むエネルギーの量は千分の一程度である。だがそれでも彼女の気力や体力が大きく底上げされたことがユウキの脳裏のグラフに表示された。
「それじゃ今日は組手の指揮を頼んだぞ。勝ちすぎて相手の士気を下げないよう気をつけるんだ」
ユウキは現在進行中の『平等院との組手』というミッションの意図と目的を手段をアトーレに伝え、さらに防衛室と力のクリスタルの使い方を、自分に分かる範囲で簡易的にレクチャーした。
「これより細かいことは自分でクリスタルを操作して覚えるか、シオンに聞いてくれ」
「はいっ!」
ユウキはアトーレに背を向けると、塔の転送室からソーラルに向かい、噴水広場でナンパを始めた。
*
「…………」
今日はまったくナンパに集中できない。
それも当然か。
ゴタゴタを本拠地に放置してのナンパである。
アトーレがうまく指揮しているか、ヤケになった平等院に塔が襲われていないか、ゾンゲイルが武術家を虐殺していないか、気になって仕方がない。
それ以外にもなにかの不慮の事故があって塔が陥落していないか、心配でならない。
「ダメだっ。もう戻ろう」
ユウキは星歌亭のエレベータに向かってあるき出した。
だがぐっとこらえて、また噴水広場に戻り、意識をナンパに向ける。
「防衛はアトーレに任せたんだ。彼女を信頼するんだ。……おっ、あいつ、いい女じゃないか。声をかけてみよう」
だが通行人に無視される。
二人目、三人目に声をかけても無視が続く。
四人五人六人七人、さらに八人九人十人と声をかけても、誰とも会話することができない。
正拳突きを虚空に向かって放ち続けるような手応えのないナンパが続く。
(まるで修行だ……)
脳裏に浮かんだそんな考えを、ユウキは即座に口頭で否定した。
「馬鹿な……修行だと? そんなものやるつもりはないぞ。オレは平等院の奴らとは違うんだ」
『修行』などという前時代的な観念が自らのうちに芽生えてしまったのは、平等院の武術家の悪影響に違いない。
(平等院の奴らのことなんて忘れるべきだ……)
だがそう思えば思うほど、むしろあの武術家集団のことが頭に浮かぶ。
あいつら……自らを鍛えて強くなろうとしているらしいが、それになんの意味があるのか?
毎日、柔軟体操をして、筋トレをして、基本動作を繰り返して、虚空を正拳で打ち抜き続ける……そんなルーティーンを繰り返してただひたすら己を鍛えるプロセスになんの意味があるのか?
強くなる……目標に到達する……もしそれが叶えられたとしてそれになんの意味があるのか?
「意味なんてないだろ。まったく……世の中、無意味なことだらけだぜ」
ユウキはソーラルの町並みを見回した。
今日は人間の営みが何もかも虚しく無意味に見えた。
その中でも特に、十人に声をかけても誰とも会話できず、ただ冷たい無視の視線を向けられるだけのこのオレの存在こそが、この世でもっとも無意味に感じられた。
「まあいい……」
ユウキは哲学的な考察は抜きにしてとりあえず引き続き体を動かすことにした。
噴水の縁から立ち上がり、ソーラルの住人や旅の者に適当に声をかけていく。
だが依然として誰とも会話をすることができない。
降り積もる虚しさになんとかして意味を持たせようとして、ユウキはApple Watchに25分のタイマーをセットすると声かけを再開した。
やはり誰とも会話できぬまま25分が過ぎたが、ユウキはiPhoneのメモに『1ポモドーロ』と、今の声かけの記録を取ることができた。
『ポモドーロ』とは、1980年代にイタリア人の起業家、フランチェスコ・シリロ氏によって考案された時間管理術『ポモドーロ・テクニック』で使われる作業時間の単位である。
1ポモドーロの作業のあとに5分の休憩を取り、その後にまた25分の作業を繰り返す。4ポモドーロごとに20~30分ほどの長めの休憩をとる。これがポモドーロ・テクニックの基本である。
ちなみにポモドーロはイタリア語でトマトを意味する言葉で、シリロ氏が大学生時代にトマト型のキッチンタイマーを使用していたことに由来する。
ユウキはこのテクニックを使い、なんの意味も見いだせずただ徒労のみが降り積もる作業を計測しようとしたのであった。
それにより、無意味な失敗の連続と感じられる時間が、『1ポモドーロの作業』という前向きな意味を持つものに再解釈された。
「よし……いいぞ……」
ユウキはうまくいかないナンパの結果そのものへの執着を手放し、ポモドーロの数を増やすことに集中して声かけを続けた。
やがて4ポモドーロの声掛けが終わり、長めの休憩を取っているユウキの脳裏にナビの声が響いた。
「スキル『修行』を手に入れました」
「ああ……手に入れちゃったか。修行」
「あれ、嬉しそうじゃないですね」
「オレが手に入れるスキルは揃いも揃ってどれも地味なもんだってことはわかってるし、その件については諦めてる。だが……」
「なんでしょう」
「なんでオレは異世界でこんなチマチマしたことをやってるんだ? いつもいつも」
「何か問題でも?」
「異世界ってのはそもそもが夢のようにふわふわした場所だろ。それに加えてナンパってのはオレの現世においてすら非日常に類する行為だ」
「そうですね」
「だったら! この二つをかけ合わせたら超絶ファンタジックで面白おかしい毎日が始まりそうなもんだろ。なのになんでオレは地味にポモドーロ・テクニックなんか使ってナンパの修行してるんだ? おかしくないか?」
難詰する口調のユウキに対し、ナビ音声は自己弁護めいた声を発した。
「別に私のせいじゃないですよ」
「じゃあ誰のせいなんだよ」
「それは決まってるじゃないですか」
「オレのせいだっていうのかよ?」
「ユウキ、あなたのスキルはすべてあなたの魂の要請によってセッティングされたものであって……」
「はいはい、わかったよ。修行したらいいんだろ、修行をよ!」
ユウキはまたタイマーをセットするとポモドーロ・テクニックを使って声かけの修行を続けた。
その半ばヤケになった姿勢が街の人に伝わっているのか、その後もひたすら無視が続いた。
無視、あるいは恐怖や嫌悪の表情を向けられるたびにユウキの気力が削れていく。
それをスキルで急速回復してからまた声をかける。そして25分が経過したらそのポモドーロをメモに記録し、5分休んでから次のポモドーロを開始する。
その修業の合間に、なにごとか哲学的な雰囲気の言葉を述べるナビの声が脳裏に響いた。
ユウキはそれを聞き流しながらナンパを続けた。
「本来……人は修行などする必要はありません。世界に生じる事象はすべてシンクロニシティによって無努力に、無根拠に生じうるものだからです。ですが人は時にそのような直接的な成功を避け、ルーティーン化された行動の繰り返し……すなわち修行を経ての成功を求めます。それはなぜでしょうか? いろいろな理由が考えられますが、きっと、好きなんでしょうね、修行が。人間というものは」
ユウキはナビ音声のわけのわからない言葉を無視して修行を続けた。
さらに8ポモドーロほど声かけの修行を続けると気力体力の回復が悪くなってきた。
「これ以上続けると明日に響くな……そろそろ切り上げるか」
ユウキは噴水広場を立ち去ると、ソーラルで各種の用事を済ませてから塔に戻った。今日も塔は陥落せず持ちこたえていた。
いつもお読みいただきありがとうございます。
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