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銀河虚空拳

お読みいただきありがとうございます。

本作はマンガワンにてコミック版が連載中です。ぜひそちらもお楽しみください。

https://manga-one.com/title/1581


次回更新は9月24日の予定です。

 塔の正門前、寒風吹き荒ぶ冬空の下でユウキは平等院の武術家に囲まれていた。


 まずユウキのすぐ目の前に巨体の師範が立ちはだかっている。異世界風にアレンジされた胴着に黒帯をなびかせた彼は、拳を構えてジリジリとユウキに近づいてくる。


 さらにその周りを九百九十九人の武術家が十重二十重に取り囲んでいる。


 もはや走って逃げることは叶わない。短距離テレポートも無理だ。発動前の硬直で捕まってボコボコにされるだろう。


 だがユウキとて、ただひとり闇雲に敵地に乗り込んだわけではない。


 ユウキにはユウキなりの勝利への筋道があるのだ。それはまず、師範の誰かに喧嘩を売り、その組手に勝つことから始まる。


 その最初の一手はすでに成功している。


 口頭での挑発により、今まさに、師範の一人と1on1で拳を交える五秒前という状況を作ることができている。


 あとはこの組手に勝つだけで、最終的な勝利へと続く道を歩き始めることができる。


(心が清らかそうなヤツを対戦相手に選んだから、スキル『共感』によって攻撃の起こりを読むのも簡単なはずだ)


 勝つ、勝つぞ!


 だがこの気負いが今、ユウキの心を曇らせ、『共感』の働きを鈍らせていた。


「師範、一撃! 一撃殺!」


 周りの武術家から投げかけられる野次によって強制的にアドレナリンが噴出されていく。それがユウキの心を殺るか殺られるかのサバイバルモードに変えていく。その殺伐としたモードにおいては『共感』などというほわっとした心のありかたをキープすることは難しい。


 今、ユウキは力と力をぶつけ合う通常のバトルモードに知らず知らずのうちに入っていた。そんな状態ではユウキの多くのスキルは機能しない。


 今、ユウキはちょっと道場に通ったことがあるだけの一般人に過ぎなかった。


 そんな一般人と筋骨隆々の武術家の組手が始まってしまった。


「やばい、ちょっと待……」


「せりゃっ!」


 師範の正拳突きがユウキの胸めがけて打ち出された。ユウキはかつてミルミルに習った通りの回し受けを試みたが、まったくタイミングが合わず師範の拳はユウキの胸を打った。


 どっ。


「うげっ」


 ユウキは吹っ飛ばされ二回地面をバウンドして気絶し、そののち速やかに臨死体験へと移行した。


 意識が肉体から離れ空中に浮遊していく。


 空に登るユウキの意識は、ビクビクと地面で痙攣する自分の肉体とそれを取り囲む武術家千人を見下ろしつつ思った。


(ま、まじかよ……死んだのか、俺……)


 自分が死ねば闇の塔が危ういというのに、肉体から意識が遠ざかるごとに、そんな地上の細々とした争いなど本当にどうでもいいことに思えてくる。


(なんかもうゴールしてもいいか。このまま昇天するか……)


 ユウキは地上のゴタゴタを忘れ、気持ちを上向きに切り替えた。瞬間、光のトンネルのごとき筒状のものがユウキを包んだ。


(おっ。まさかこれはトンネル現象ってやつか? 本当にあるんだな)


 ユウキは生前読んだ『臨死体験』という本を思い出した。その本によれば、人は死に臨んだ際、自らを天国っぽいところに運ぶトンネルを体験しがちであるという。


 またそのトンネルを通る際は、えも言われぬ多幸感を得たり、あの世へと死者を誘う天使的存在に出会ったりすると言われている。


(ああ、すごく幸せな気分だ……)


 その多幸感に浸りながらトンネルを歩いていると、何者かがお迎えに来た。


(おっ、あいつがオレを天国に連れてってくれるってわけか)


 安楽な天国への期待に押され、ユウキはその存在に駆け寄った。だがヘッドセットをつけた彼女の顔には見覚えがあった。


「あんたは……ナビ音声……フォーステールじゃないか。こんなところで何してるんだ」


「ユウキ、あなたこそ何をしてるんですか!」


 フォーステールはいつになく慌てた様子を見せている。


「なんでって……見ればわかるだろ。死んだんだよ」


「と、とりあえずこちらへ!」


 フォーステールはトンネルに横穴を開け、そこにユウキを引き入れた。


 横穴は何度か来たことのある多次元ナビルームにつながっていた。


 ナビルームの壁は一面、巨大な窓になっており、銀河のように渦をまくいくつもの光の粒が、暗黒の虚空にばら撒かれた砂金のごとくに煌めきを発している。


 ナビルーム中央のナビゲーションデスクには液晶モニターが置かれており、そこに闇の塔の前でビクビクと痙攣を続けるユウキの肉体が映っている。その肉体の命の火は今にも消えそうである。


「ほら、失敗したんだよ。もうナビはいいから、あの世に連れてってくれ」


「いけませんよ! しっかりしてください!」


「まあそうだよな。はあ……」


 ユウキはため息をつくと、ナビルームのソファに腰を下ろした。


「とりあえずお茶でも淹れてくれるか」


「…………」


 フォーステールはナビルームの戸棚からティーカップとポットとその他のアイテムを取り出すと、コンロで湯を沸かして茶を淹れ始めた。


「うん、うまいじゃないか。このマスカテルフレーバー、まるで本物のダージリンだ。ティーカップもウェッジウッドにそっくりだな」


 ユウキは以前、自身のアフィリエイトサイトに載せた記事『ティータイムを彩る魅惑のティーウェア』を思い出してそう呟いた。


 フォーステールも正面に座るとカップを傾けた。


「本物ですよ。この前伊勢丹に行った時に一式買ってきたんです。紅茶は好きですね」


「まじかよ……」


 フォーステールはたまに低次元の物理空間に出没することもあるようだった。


 低次元の地理に関する世間話をしつつユウキは茶を飲んで一休みした。


 フォーステールはティーカップを置いた。


「さてユウキ……時間の流れが違うとはいえ、いつまでもボケっとしてはいられませんよ」


「ああ、わかってる。面倒だがそろそろ復帰の手順について考えてみるか」


「そうしましょう。こちらから心臓に強力な刺激を送れば息を吹き返しますよ」


 フォーステールはソファから立つと、モニタの前の赤い復帰用非常ボタンに指をかけた。


「ちょ、ちょっと待て。このまま息を吹き返しても、すぐまたここに戻ってくることになるぞ」


 ユウキはモニタに映る闇の塔の前の景色を指差した。


 闇の塔の門前、師範はユウキの死体の傍らで油断なく残心の構えを取っている。


 フォーステールはユウキを見た。


「ですからすでに、私からのアドバイスが、スキル『戦略』を通してあなたに伝わっていると思いますが」


「そりゃあれだろ。まず塔の司令室からテレポートして、あの武術家たちを挑発して組手に持ち込み、スキル『共感』を使って勝つっていう流れだろ。だがそれはうまくいかなかった」


「何を言ってるんですか、肝心な手順が抜けています! 闇の塔の力を使ってスキル『共感』を増幅するんです!」


「ああ、それか……確かにチラッと頭に思い浮かんではいたが、そんなことしたら流石に卑怯だろ。だいたいあいつらは魔力に頼った戦いを正当な組手と認めないはずだ」


「いいえ。闇の塔は巨大すぎて、彼らはそれを魔道具として認識していません。ですからこっそり塔の力を組手に用いることは可能です」


「オレ自身の実力ではやっぱり勝つのは無理か?」


「無理ですね」


「だがなあ。平等院の奴らは一応、かなりの時間を費やして武術の修行をしてるわけだ。そんな奴らにチートで勝つのはひどくないか? そうだ、このナビルームは時間の流れが遅いんだろ。ここでしばらく修行して……」


「あなたは本道から外れようとしていますよ。さてはユウキ、恐れていますね」


「恐れ? そりゃ確かに戦うことは怖いが」


「そのことではありません。人は自らの夢が叶うことをもっとも強く恐れるのです」


「つまりあんた……こう言いたいのか? オレがナンパの成功を恐れて、平等院の戦いという脇道に逃げているって」


 フォーステールは腕を組んで頷いた。


 そんな馬鹿なと反論したくなったが、しばし目を閉じて内省すると、彼女の言う通りであるとわかった。


「ああ……確かにオレは恐れているらしい。ナンパの成功を。その先に待つエッチな体験を。だがそれも仕方のないことだろう?」


 ユウキはフォーステールにくどくどと『前へ進むことへの抵抗感』を吐露した。


「だいたい人間というものは、そんなに成功しない方がいいんだ。成功すると増長するし、欲しいものを手に入れないまま、ひたすら努力する姿勢が美しいんだ」


「…………」


「だいたい欲しいものを手に入れたところでそれに幻滅してしまうというのはよくある話だ。あるいはもっと良いものが欲しくなり、欲望の中毒になって人格が破綻することもあり得る」


「それで……どうしたいんですか? あなたは」


 フォーステールは大きく深呼吸するとユウキを見た。


「私はあなたのナビなので、本当に、あなたが望むなら武術関連の修行のお手伝いもしますよ」


 彼女は深淵なる多次元宇宙に包まれたナビルームで、見たこともない武術の構えを取った。


「お、いいじゃないか。ちょっと稽古をつけてくれ」


 ユウキもソファから立って、彼女に正対した。


 瞬間、フォーステールは正拳ともストレートともフックともアッパーとも判別できない謎の拳撃を放ってきた。


 生前のユウキであればとても避けることはできなかったであろうが、このナビルームは意識の速度こそが意味を持つ場だ。


 ユウキはなんとかフォーステールの技を受けて返すことに成功した。


「いい反応です。これはあなたの地球ではオリオン座と呼ばれている方面で生まれた『銀河虚空拳』という技です。熟達することで、有を無へと因果分解することができるようになります」


 ユウキは銀河虚空拳を何度か繰り返し、その術理を理解しようとした。


 だが途中で飽きてしまった。


「やっぱいいや。そろそろ戻る」


「いいのですか? 意外にユウキ、武術の才能もあるかもしれませんよ」


「今度またオレが横道に逸れそうになったら、問答無用で強く叱ってくれ」


「はい、わかりました」


 フォーステールは笑顔をユウキに向けると、ナビゲーションデスクの復帰用非常ボタンを押した。


 瞬間、闇の塔の門前で脳波がフラットになりつつあるユウキの肉体に、一瞬の、だが強力な多次元エネルギーが伝達された。


 それは止まっていた心臓のパルスを再生させ、その律動がユウキの意識を多次元ナビルームから、闇の塔の門前の死地へと引き戻した。


「ごほっ、ごほっ」


 ユウキは口から血を流しながら立ち上がると、朦朧とした意識の中、闇の塔との精神リンクを確立し、叡智のクリスタルへと命令を発した。


「闇の塔の全権を委任された者として命じる。オレの目の前の者の意識を走査し、その攻撃のシグナルをオレに伝えよ」


 口の中でそう唱えるユウキを見てグルジェ老師が叫んだ。


「ほう! あの攻撃を受けて立ち上がるとは、天界の加護を持つか。しかし二度はない。次は殺してやれ」


「応!」


 心の清らかそうな師範はまっすぐに殺意の乗った拳をユウキにぶつけてきた。


 ユウキの鍛えられていない心と体はその殺意に萎縮して、また攻撃の機を捕らえることに失敗したが、闇の塔との精神リンクがそれを補佐した。ユウキは師範の攻撃を紙一重で回避した。そこに師範の剛腕が何度も繰り返し襲いかかる。


 だが闇の塔から明確に送り込まれてくる回避のシグナルを参照し、無様ではあるが確実に攻撃を回避すること二度三度、ついにユウキが反撃できるほどの隙が生まれた。その隙を逃さずユウキは師範にタックルし、足首を極めた。


「どうだ! これでオレの勝ちだ」


「なんの、片足などくれてやるわ」


 師範は足首を極められながら拳を振り上げた。


(気絶しろっ!)


 ユウキは闇の塔から魔力を自らの内に呼び込むと、それを皮膚の接触を通じて師範に送り込んだ。


 魔力に慣れていない師範はユウキに関節技をかけられながら痙攣して気絶した。


「はあ、はあ……どうだ。お前らぐらい、オレの完全なる物理的な力だけで倒せるぞ!」


 ユウキは立ち上がると、こっそりチートを使っていることへの罪悪感を押し隠しつつ、そう武術家たちに向かって叫んだ。


 すると残り九百九十九人の武術家から盛大なヤジと殺意がユウキに向かって返ってきた。


「殺せ! 拳で腹をぶちやぶれ!」


「やれるものならやってみろ! 次はお前だ! 来い!」


 一対一という縛りを維持するため、ユウキは近くにいた別の師範を指差した。彼は道着を破るとユウキに向かって突進してきた。


 そのとき闇の塔の正門が開き、中からゾンゲイルとミルミルと暗黒戦士らが飛び出してくるのが視界の隅に見えた。


「ゾンゲイル、殺すな!」


 その命令が間に合ったかどうかは定かではない。大きく跳躍してユウキと師範の前に割って入ったゾンゲイルの拳が師範の腹に深くめりこんでいくのをユウキは見た。

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