リミット・ブレイク
星歌亭のランチ営業で厨房と客席を右往左往しながら、ユウキはさっそく人格テンプレート『恋人』を使ってみることにした。
できるならもっと落ち着く環境でこの新しい人格テンプレートの研究をしたい。
だが、もう歌バトルまで日がないのだ。何事も同時進行で進めていかねばならない。
そういうわけで心の中で叫んだ。
(チェンジ・パーソナリティ・テンプレート! ハーミット・トゥ・ラバーズ!)
すると、カチリと音がして脳内の配線が切り替わったのが感じられた。
(さて、と……)
量産型ゾンゲイルと共に皿を上げ下げしながら、さっそく機能をチェックする。
しかし……。
(ええと……頭が良くなったようには感じられない。運動能力にも変化はなし、と……)
何が変わったのかわからないまま、今日も大入りの客に給仕を続ける。
「どうぞーランチ定食でーす」
すると……。
「おっ、今日は笑顔がいいねー」
顔見知りの労働者にそう褒められた。
つい謙遜しそうになったが、なんとかスキル『受け取る』を発動できた。
そのスキルにより、ユウキは褒め言葉をまっすぐに受け取った。
確かに、今日はいつもよりスキル『笑顔』のノリがいい気がする。
調子を良くしたユウキは笑顔を振りまいて給仕を続けた。
「ランチ定食でーす」にこっ。
これから午後の仕事に向かう労働者たちを、オレの笑顔によって元気にしてやりたい。
次第にそのような健気な気持ちも出てきた。
「ランチ定食でーす」にこっ。
「おっ、今日もかわいいねー」
また別の労働者にそう褒められた。スキルを発動して褒め言葉をまっすぐ受け取る。
事実、今日のオレはいつもよりかわいい気がする。
「ランチ定食でーす」にこっ。
このオレのかわいさで労働者たちを元気にしてやりたい。そんな健気な気持ちで給仕を続けていく。
と、ふいにナビ音声が脳内に響いた。
「人格テンプレート『恋人』の解析が完了しました」
「教えてくれ」
「対人間でのポジティブなエネルギーのやり取りを円滑化する効果があるようです」
「なるほど……それでスキル『受け取る』や『笑顔』の効果が上がっているのか」
「そのようですね」
他者にポジティブなエネルギーを与え、受け取る能力にプラス補正がかかる人格テンプレート、それが『恋人』のようである。
『恋人』というネーミングにもうなずけるものがある。
確かに今のオレみたいな人格のヤツを恋人にできたら、互いに与え合い、成長し合う、そんな理想的な人間関係が築けそうである。
(ああ……いいよな、オレ……)
今、オレはオレを恋人にしたい。
かわいくて性格もいいなんて、そんなの最高の恋人じゃないか。
しかもその自己評価は錯覚ではないかもしれない。
給仕中、周りの労働者たちから熱のこもった視線を感じた。たくさんの視線を全身に浴びながらユウキは仕事を続けた。
「ランチ定食でーす」にこっ。
両手に皿を持ちフロアの雑踏を踊るようにすり抜けながら、笑顔を振りまいて給仕を続けた。
*
「ふう……」
ランチ営業が終わり客がはけた。
自分自身が発する魅力にうっとりしながら空の客席に座って一休みする。
と、ここでユウキは本来の目的を思い出した。
そうだった。この人格テンプレートを使って、エクシーラに勝てる歌を作らなければならないのだった。
「よし……やってみるか」
ユウキは『恋人』をセットしたまま星歌亭のステージに上り、軽く歌い踊ってみた。
その様子をゾンゲイルに録画してもらう。そして、また客席に戻って映像をチェックする。
「おっ。前のバージョンより明らかに笑顔に力があるぞ。恋人にしたくなる魅力に溢れてるぞ」
前のバージョンでは、小学生女児の学芸会的な微笑ましさがあったが、そんなものではエクシーラには勝てない。
しかし今、オレには恋人にしたくなる魅力が備わりつつある。その魅力が歌曲とダンスからありありと放出されているのが感じられる。
「いいじゃないか……よし、次はゾンゲイルが歌って踊ってみてくれ」
「わかった! 見てて」
ゾンゲイルはユウキの意を百二十パーセント汲んだ歌と踊りを披露した。
「おお、これは……」
「どう?」歌い終わったゾンゲイルは汗を拭きながら聞いた。
「す、すごく良くなってる……」
しかし……。
「これならエクシーラに勝てそう?」
その質問に対し、ユウキは思わず押し黙ってしまった。
「…………」
『恋人』によって歌と踊りの魅力が倍増したのは間違いない。
だが……まだ足りない。
「これじゃ勝てない……」
「どうして? ユウキの歌、すごくいいのに!」
「確かに……今、オレたちの歌には少女的なかわいさと、成熟した女性の魅力が付与されている。観客たちはこの歌を聴いてうっとりするだろう」
「だったら……」
「いいや……この魅力はしょせん、普通の人間レベルのものなんだよ!」
「普通の人間で何が悪いの?」
「相手はエクシーラなんだ。千年も生きてる伝説の冒険者なんだ。あいつが持ってる『伝説感』には、ただの普通の人間の女性の魅力だけでは勝てないんだ!」
「だったら……私、もっと頑張る! 歌と踊り、すごく頑張る!」
「ああ……頼む。オレの方でもさらに楽曲をアップグレードするために全力を尽くそう」
ここまで来たらもう悩んでいる暇はない。
物置にこもって頭を抱えるよりもむしろユウキは噴水広場へと走り出した。
*
走って噴水広場に訪れたユウキは、出店で焼肉の串を数本買い込んだ。
それから星歌亭の納屋に走って戻る。
納屋の暗がりをうかがうと、奥からいびきが聞こえてきた。
どうやらルフローンは昼寝中らしい。
「おーい、餌だぞ。食うか?」
鼻先に焼肉の串を近づけるとルフローンの口が開き、ピンク色のスプリットタンが見えた。
そこに恐る恐る焼肉の串を近づけていく。
と、ある一点を超えた瞬間、いきなりルフローンによって焼肉の串は奪われ咀嚼された。
ユウキの中に宇宙的恐怖が高まっていく。
そのかたわら、ごっくんと喉を鳴らして肉を飲み込んだルフローンは、カッと目を見開いた。
「おお、小僧ではないか」
「お、おう」
「油の滴る肉を余に捧げるとは殊勝な心がけよ。はっはっは、そう畏まらずともよい。どうした? 何か願いがあるならなんでも遠慮せず申してみよ」
「あの……実は……もう一個、新しい人格テンプレートが欲しいんだが……」
「はっはっは、愚かな小僧よ……一日に二つも人格テンプレートを所望するだと? 何を言っておる!」
「す、すまん。だがどうしても必要なんだ。『恋人』によってオレは人間的魅力を得た。だがそれだけでは足りない。普通の人間を超えた超常の魅力、それがオレには必要なんだ!」
「なるほど、それならぴったりの人格テンプレートがあるぞ。だがな……」
ルフローンはのっそりとゴザから体を起こすと、心配そうにユウキを見つめた。
「小僧……お前の人生の目的はなんだ? 言ってみよ」
「お、オレの人生の目的……それは……エクシーラに歌バトルで勝つこと……そのための魅力を身につけること……大勢の男たちの視線を一身に集める魅力を……」
「本当に、それが小僧の人生の目標なのか?」
「い、いや……オレの……本当の目標は……思い出した! アレだ!」
「なんだ、口頭で言ってみよ」
「な……ナンパだ」
「ふう……まだかろうじて人格の統合性は保たれているようだな。安心したぞ、変態の小僧よ」
ルフローンは胸を撫で下ろした。
「だがこれ以上の新たな人格のインストールは、小僧を構成するシステム全体を崩壊させるかもしれぬ。それでもいいというのか?」
しばらく迷った末にユウキは答えた。
「だ、大丈夫だ。オレは女体になろうとナンパを忘れなかった。人格のもう一つや二つぐらい、受け入れて統合してみせる!」
「はっはっは……愚かなる小僧よ……その蛮勇、余はそれを好ましく思うぞ」
「それなら頼む。新しい人格テンプレートを送ってくれ」
「焦るでない。今しばらく、今の自分を感じ、それを愛するがいい。ここに座って」
ルフローンは毛羽立ったゴザをポンポンと手で叩いた。
「…………」
促されるままユウキは納屋の薄暗い隅に敷かれたそのゴザに腰を下ろした。
その側にルフローンが座る。
彼女は言った。
「人は移り変わっていくものだ。しかし小僧、お主の変化は早すぎる。だからせめて今このときだけでも、形を変え、新たに脱皮して二度と元に戻ることのない、今の自分を愛するがいい」
「……わかった」
ユウキはルフローンの隣で各種のスキルを発動した。
『深呼吸』
『愛情』
『感謝』
そして胸に手を当てて、ゆっくりと呼吸を感じながら自分に感謝と愛情を送る。そのユウキの耳元にルフローンはささやいた。
「これから余が送る人格テンプレートは大きな構造の変化を小僧のシステム全体に与えるかもしれぬ。だが恐れずに感謝を続けよ」
「ありがとう……オレ」
「これから生じるのは、今の小僧の終わりであり、それはひとつの死である。死にゆく自己に感謝を述べよ」
「今までありがとう、オレ」
ルフローンは死者に対してするように、ユウキの目蓋を掌で覆って優しく閉じた。
そしてまた耳元にひっそりと声でささやいた。
「では今、新たなる人格テンプレート『女神官』を伝達しよう」
「女神官、だと?」
「これにより宇宙の神秘は小僧のものとなるであろう。それを望むのであれば、今、目を開けて、見るがいい。宇宙の深淵を」
ユウキは目を開けた。
いつの間にか正面に回り込んでいたルフローンの瞳が目の前にあった。
その縦にスリットの入った黄金色の瞳孔の奥に広がる宇宙の神秘をユウキは直視した。
瞬間、限界を超えた宇宙的な恐怖と法悦がユウキを満たした。
ゾクゾクするその感覚とともに、いくつもの神聖なる幾何学模様と秘密の叡智が流れ込んできて、それはユウキの意識をオーバーヒートさせブラックアウトさせた。
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次回更新は水曜です。ぜひ続きもお読みください。
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