ソーラル中央広場
初体験とは、今までの自分が新しい自分へと移り変わっていくその境目にある何かである。
それは今まで体験したことがないものであるために、その全容を前もって知ることはできない。
人は未知を恐れる。だが恐れを超えて、未知を自らの内に受け入れることによってのみ、人は新しい自分へと移り変わって行くことができるのである。
そういった思想的バックボーンを、ユウキはiPhoneアプリで制作中の曲に込めていった。
「……ふんふん」
朝の星歌亭の客席に座り、スキル『鼻歌』『作詞』を発動し、スマホにポチポチと曲データを打ち込んでいく。
「よし……イントロからサビまでできたぞ……この後に二番も作るか」
スキル『集中』も発動し、淡々と作曲を続ける。
するとなぜかいつしかアイドルソングめいたものが出来上がってきていた。
おかしい。
オレはまじめな気持ちで作曲している。
なのになぜか、『私の鎧を脱がさないで』とか『そんな奥まで入ってこないで』などという扇情的な歌詞がどんどん溜まっていく。
「うーん。本当にこんな歌でいいのか……」
だが一歩でも前進を止めれば自己疑念に飲まれ作曲は頓挫する。
「…………」
とりあえず完成してから悩もう。
それまで勢いを殺さず作業を進めよう。
ということで仮歌の録音を始めてしまうことにする。
朝の星歌亭の客席でiPhoneのマイクに向かって歌ってみる。
「あーあー」
だが、なんだかしっくりこない。
歌い方が悪いのかもしれない。
本番はゾンゲイルがステージで歌うわけだから、その環境で歌ってみよう。
「よし……あーあー」
ユウキは朝日に照らされたステージに立ち、iPhoneを握りしめて仮歌を歌った。
だがやはりまだしっくりこない。
棒立ちで歌っているのが悪いのかもしれない。
これはアップテンポでアイドルソング風の歌なのだ。
だとすると……身振り手振りがあった方がいいのかもしれないな。
「よし……やってみるぞ。わたしのー、よろいをー、ぬがさないでーっと。こんな感じでどうだ……」
なんとなく良くなってきた気がする。
だがもっとだ。
もっと大きな振り付けを加えてステージで歌い踊る。
「はあ、はあ……かなり良くなってきたぞ」
運動で呼吸が荒くなってくるのと共に、だんだんトランス状態に入ってきた。
目を瞑ってリズムに導かれるまま体を動かし熱唱していると、振り付けと歌がカチッとハマる瞬間がときおり訪れた。
だがまだまだ動きに照れがある。
どうしても自分の限界を超えた振り付けをすることができない。
自分の限界を越えるために……ユウキは人格テンプレートを切り替えた。
「チェンジ・パーソナリティ・テンプレート……メイガス・トゥ・フール!」
作曲のために起動し続けていた『魔術師』の人格テンプレートを『愚者』へと切り替える。
そう……もはやコンセプトは定まり曲は九割方できあがっている。
この現状で必要なのは、頭を空っぽにして体を動かし、限界を超えたパフォーマンスを引き出すことである。
そのための『愚者』だ。
「はあ、はあ……わたしのー、よろいをー、ぬがさないでー」
ここでさらにスキル『無心』と『笑顔』を重ねて発動し、完全に頭を空っぽにして明るい笑顔で歌い踊る。
やがて『鎧を脱がさないで』という未知への不安が完全にトランス状態の中に溶けていった。
そしてむしろ『自分の心を覆うすべての防壁を取り除いて』というフルオープンなひとときが訪れた。
その状態でサビを決める。
「私のぶあつい心の鎧、あなたの優しい手のひらで、脱がせてっ!」
そしてくるりと回転して客席をビシッと指差し、ウインクを送る。
「はあ、はあ、はあ……決まった……すごくいい感じになったぞ……」
しかし……。
「はあ、はあ……」
ユウキは膝に手を当ててステージ上で荒い息を吐いた。
その汗だくの頬が羞恥で赤く染まっていく。
お、オレはなんていう恥ずかしいことを……。
汗が冷えていくと共に、人格テンプレートが普段使いの『隠者』モードに戻っていく。
それと共に、女体を振り乱しトランス状態で舞い踊っていた自分への恥ずかしさで、心が一杯になる。
せめてもの救いは、誰にも見られていないことだが……。
扇情的なアイドルソングを自作し、それを歌い踊りあまつさえ我を忘れて恍惚とするとは……。
「はあ、はあ……まったく、どんな自給自足だよ……くそっ……」
そう吐き捨てたそのときだった。
パチパチパチパチ……!
誰もいないはずの客席から拍手の音が上がった。
顔を上げると客席にゾンゲイルがいた。
ステージに駆け上ってきたゾンゲイルは汗だくのユウキに思いっきり抱き付いてきた。
「うっ!」
「ユウキ……すごいっ……!」
「み、見てたのかよ……」さらに頰が熱く紅潮していく。
「感動! 私のために振り付けまで!」
「ま、まあな。ゾンゲイルが踊ったらきっと映えると思って……」
途中から完全に自分の気持ちよさのためだけに踊っていたとはとても言えない。
「そうだ、ゾンゲイルのためだ……きょ、今日から特訓するぞ!」
「うん! がんばる!」
*
そんなこんなでゾンゲイルとユウキのハードな練習が始まった。
夜の防衛戦の後、闇の塔の階段の踊り場で……。
あるいはランチ営業の前後、星歌亭のステージで……ユウキはiPhone片手にゾンゲイルに振り付けを教えた。
ゾンゲイルは乾いた砂のごとき吸収力で歌の振り付けを覚えていった。
「ここはこう?」
凄まじい集中力で、指先から目線の角度まで厳密な指示を求められる。
「うーん……そこは適当で」
「ダメ。教えてもらわないとわからないもの」
「じゃあこんな感じで」
「こうね」
ミリ単位の精密さでゾンゲイルは振り付けをマスターしていった。
その作業に並行してユウキの作曲作業も続いていった。
すでに曲の骨格は完成している。
だが、まだ何か足りない気がする。
ユウキはAmazonで本をいくつか購入し、作曲の最終段階で必要となる『ミックスとマスタリング』なる作業についての知識を得た。
「ええと……ベースとギターは低域の周波数をフィルターでカットして……」
微妙なブラッシュアップを楽曲の各トラックに施していく。
そのようなマニアックな作業によって確かに楽曲のクオリティはいくらか上がったように思う。
ゾンゲイルの踊りもユウキの指示を百パーセント厳密になぞれるレベルに達している。
「うーん……でもなあ……」
まだ何かが足りない気がする……。
「ちょっと散歩でもしてくる」
歌バトルを数日後に控えた夕暮れどき……ユウキは星歌亭の外にぶらりと繰り出した。
*
歩いて頭をクリアにして問題点を洗い出したい。
もしかしたらそもそも問題など存在していないのかもしれない。
『楽曲にまだ何かが足りない気がする』というのは、オレの取り越し苦労なのかもしれない。
そこのところ実際のところどうなのか、いったん楽曲から離れ、広い視野で物事を見定めたい。
「…………」
そんなことを考えながら歩いていると、ソーラルの市役所に続く大通りに出た。
夕暮れ空の向こうに巨大なパラボラアンテナが天に向かってそびえているのが見える。
その大通りの中程にあるソーラル中央広場に、ユウキの足は自然に向かった。
夕陽に染まるソーラル中央広場では、いつも通りアーケロン各地から様々な人種が集まり、お祭りっぽい雰囲気が醸し出されている。
「いつ来ても賑やかだな、ここは。ルフローンに夜店から何か食べ物でも買って帰ってやるか」
と、そのときだった。
「……ん? なんだあれは?」
広場の中央にこれまでなかった巨大な舞台が建てられていることに気づいた。
「なんだこりゃ? 演劇でもやるのか?」
舞台に近寄って、入り口を覗き込んでみる。
真ん中に正方形の演台が置かれており、その四方をローマのコロッセオのように階段状の客席が取り囲んでいる。
あくまで一時的に使われる施設のようであるが、数千の観客が入れそうである。
演台も詰めればオーク百人ほどが乗れそうな立派なものだ。
しかしまだ工事中らしく、多くの人夫が資材を担いで舞台に運び入れている。
その中にヘルメットを被ったラチネッタの姿が見えた。
「あいつ……最近、大穴の現場にいないと思ったら、こんなところで働いてたのか」
ラチネッタは人夫たちにテキパキと指示を出している。どうやらここでも班長格らしい。
そのような人夫たちに混ざって軍服を着たオークたちが舞台の上で何かの段取りをつけている。
「あいつは……この前オレと道でぶつかったオークか。確かハンズ隊長とその部下の儀仗衛兵隊とか言ったか」
その他に、分厚い剣を背負った戦士が二人、観客席を歩いている。
あの剣の大きさと色は……暗黒剣か?
ということはあいつら、暗黒戦士か?
「アトーレのものほど仰々しくないが……確かに暗黒鎧っぽい鎧も身につけてるな。それにしても……オークと暗黒戦士がソーラルのど真ん中でいったい何をやって……うっ」
舞台を覗き込んでいたユウキの独り言は、いきなり後ろから首筋に突きつけられた冷たいレイピアによって遮られた。
「あなた、間者ね。どの手の者か吐きなさい。でなければこの場で首を切り落とします」
「お、お前……こんなところで何を」
「あっ、あなたは……」
首を切り落とされないようユウキはゆっくりと手を上げ、軽く暴言を吐きつつ振り返った。
「歌バトルで俺たちには勝つのは諦めて、工事現場の監督にでも転職したのか?」
額に古風なサークレットをはめマントを羽織ったエルフがそこにいた。
「ユウキ……」
人夫とラチネッタと暗黒戦士とオークがあくせく働く工事現場の入り口で、ユウキとエクシーラはしばし見つめあった。
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