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初体験

 かなり眠くなってきたが、もう少しだけ自室で新曲のコンセプトを練ることにした。


 壁では魔法の照明が灯っているが、手元が見やすいよう机の上のランプを点けた。


 先ほど書いたコンセプト文が、ユウキの手元で照らされた。


『初体験 ~怖いけど、きっと平気~』


 ユウキは思わず顔をしかめた。


 あらためて考えてみると、まともな大人が真剣に考慮するに値しないコンセプトに思われた。


「バカか……何が『初体験』だ。どういうセンスだよ……」


 ユウキはそのコンセプト文を二重線によって取り消しかけた。


「…………」


 だがこれを否定しまえばもはや自分の中からは何も出てこない。そんな予感があった。


「くっ……」


 そこで不本意であるが、もう少しだけこのコンセプトに向き合ってみることにした。


「初体験……初体験、ね」


 何度か口に出して語感を確かめてみる。


 だがどうしても語感も字面も好きになれない。


 前回の作曲では『愚者』の人格テンプレートのおかげで流れるように作曲できた。


 その作曲プロセスはあくまで自然であり、水が高所から低地に流れるがごときであった。


 しかし今回、そのような自然な流れはどこにも感じられない。


 むしろ湿った木の枝を擦り合わせて無理に火を起こそうとするような、不自然な作為を感じる。


 無理やり曲のコンセプトを考えるなんて、非エコロジー的な人間のエゴに思える。


「はあ……やっぱりダメだ。こんなコンセプトは消してしまおう」


 だが取り消し線でコンセプト文を消し去るその寸前で、再度ユウキは思いとどまった。


 そうだ、今こそ人格テンプレート『魔術師』を使うときだ。


「ええと……どうやって人格テンプレートを切り替えればいいんだっけ?」


「英語で叫んでみてください」


 ナビ音声のナビに従ってユウキは叫んだ。


「チェンジ・パーソナリティテンプレート! ハーミット・トゥ……『魔術師』って英語でなんていうんだ?」


「マジシャン、メイガス……お好きな呼び名を使ってください」


「ハーミット・トゥ・メイガス!」


「はい。ユウキの人格テンプレートを初期値の『隠者』から『魔術師』へと変更します」


「よろしく頼む」


 しばらく待っていると脳内の配線が組み代わった感じがした。


 だが具体的に何がどう変わったのかはよくわからない。


「うーん。『愚者』のときは明らかに頭が空っぽになったが、『魔術師』はよくわからないな」


「先ほどのコンセプト文をもう一度、見てください」


 ユウキは机の上の紙に目を落とした。


「もう一度見たところで同じ文面が書いてあるだけだぞ」


「それを見てどう感じますか?」


『初体験 ~怖いけど、きっと平気~』


「うーん。つまり……初めての体験の怖さと、それを乗り越えたときの満足感のコントラストが、この曲のコンセプトの肝になるのかな」


「いいですね。『魔術師』の人格テンプレート、効いているのでは」


「た、確かに……」


 いつの間にか、このコンセプト文への拒否感が消えている。


 その代わりに、いかにしてこのコンセプトを強め、作品として打ち出すかという職人的な意識が芽生えていた。


「よし……やる気が出てきたぞ」


 ユウキは机に向かって夜遅くまで新曲のコンセプトと格闘した。


 先ほどまでは、自分が勝手に思いついたコンセプトを曲にするという行為に不自然さを感じ、拒否感を覚えていた。


 だが人格テンプレートを『魔術師』に切り替えた今、その人工的な作業が妙に心地いい。


 ユウキはスキル『集中』『想像』『半眼』を発動して、曲のコンセプトに意識を注ぎ続けた。


 その甲斐あって、いまだ空気のように透明であやふやではあるものの、なんとなく『初体験』なるものの雰囲気を自分の中で掴めてきた気がする。


「でもなあ……どうやってこのフワフワした感覚を具体的な曲に落とし込んでいけばいいんだ?」


「一般に『魔術師』は四つのエレメントを使って仕事をすると言われています」


「おっ、地水火風ってやつだな」


「そうです。ユウキが今、心の中でイメージした抽象的なコンセプトは、風の段階にあると考えられます」


「確かに、空気みたいにフワフワして掴みどころがないからな」


「そのいまだ透明な空気のようなコンセプトを、火によって加熱してみてはどうでしょう」


「火とは……?」


「私にもよくわかりません。ですがもしかしたら火とは、情熱とか、意思の力とか、そういったものではないでしょうか?」


「…………」


 あやふやな話である。


 だがなんとなくユウキは、鍋で料理を加熱し続けるようなイメージを持った。


 コンセプトが料理の具材だとしたら、それを鍋でコトコト煮続けるような感じか。


 とりあえず、もう深夜なのでベッドに横になる。


 そして鍋を弱火で温め続けるように、心の中で曲のコンセプトに意識を向け続けた。


 いつの間にか眠りに落ちていたが、夢の中でもユウキは新曲のコンセプトを弱火で静かに温め続けた。


 *


 朝にはシオンと塔の周りを走り、その後にソーラルでナンパをした。


 ナンパで見知らぬ女性とお茶を飲むこともあれば、すでに顔見知りの女性……ノームの技術者や仮面の女と会って話すこともあった。


 たびたび朝の噴水広場に姿を現した仮面の女は、並々ならぬ興味を持って、ゾンゲイルの歌やユウキの作曲法についてインタビューしてきた。


 噴水の淵に腰を下ろしつつユウキは聞いた。


「なんだってそんなにオレたちのことを知りたがってるんだ?」


「ん。人の心を動かすのは僕の仕事だから」


 そのためのテクニックを知りたいということなのか。


「だったら夜に星歌亭に来てライブを見ていけよ。ゾンゲイルのライブはもうすぐ見納めになるかもしれないしな」


「んー。それは無理。どうしても朝しか出歩けないんだ……」


「そんなに家が厳しいのか?」


「ん。そんなところ」


 この仮面の女はいい家のお嬢さんか何かで、夜遊びしないよう箱に入れて育てられているってところか。


「だけどな……人間、いつかは一人で未知の中に飛び出さなければいけない。怖くてもな」


「そうなの?」


「あ、いや、すまん。これは今考えている歌の話だった。別にあんたに家から飛び出せなんて言ってるわけじゃない」


 しかし……ユウキの軽はずみな呟きは思ったより仮面の女にヒットしてしまったようだ。


 彼女は呟いた。


「んー。僕……見てみたくなった。ライブ」


「無理するなよ」


「君の新曲……どうしても聴いてみたい」


「でも夜は外に出られないんだろ?」


「うん。見張られてるからね」


「まじかよ……」


 仮面の女は思ったよりも非人道的な境遇下にあるようである。


 哀れに思ったユウキはついつい、さらなる軽はずみなことを口走ってしまった。


「見張られてるなら……オレが身代わりになってやろうか?」


「身代わり?」


「オレとあんた、背格好が似てるだろ。服を取り替えて仮面も被れば、外から見分けはつかないんじゃないか?」


「んー……す、すごい。そんなこと考えたこともなかった……」


「エクシーラとの歌バトルの夜にオレと入れ替わって、あんたは星歌亭に行ったらいい」


「ん、だけど君は……いいの?」


「ああ。オレは石版を通じて、あんたの部屋で遠隔的にライブを楽しむよ。それまでにオレがやることは全部終わらせておくつもりだしな」


「こんな……親切……初めて……驚いた」


 仮面をかぶっていても目を白黒させて驚いている様子が伝わってくる。


「初体験ってわけか。素晴らしいことだな」


 初体験の具体的な事例が身の回りに集まりつつあるのを感じた。


 これまで抽象的だった新曲のコンセプトが、今、血と肉を持って具体化されつつあるのを感じた。


 その後もユウキは新曲のコンセプトに意識を集中しつつ、ナンパをして、バイトをして、体を鍛えて、夜には塔で戦った。


 土曜にはラゾナ宅で呪いの除去と性魔術の復習に勤しみ、日曜には塔の拡充作業をしてから、迷いの森の精霊と会って、塔の風呂に自然エネルギーをチャージしてもらった。


 そんなある日、ノームの技術者に預けていたiPhoneがついに手元に戻ってきた。


 iPhoneはユウキの作曲をコンセプトレベルから具体的な手作業レベルへと推し進めた。


 百人組手のルール研究とフォーメーション練習のかたわら、ユウキはスマホをいじって作曲を続けた。


 星歌亭の納屋で眠るルフローンの風邪は日に日に良くなっていく中、新曲のパーツは少しずつiPhone上に集まって形を為していった。


『初体験 〜怖いけど、きっと平気〜』


 そのコンセプトに内包された初体験の機運が、今、ユウキの内と外に濃厚にチャージされ形あるものへと顕現されようとしていた。

お読みいただきありがとうございます!

かなり遅くなりましたがなんとか更新できました!!!


次回更新は金曜の予定です。

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