魔術師のトランスミッション
「ゲホッ、ゲホッ、おや、小僧ではないか」
星歌亭の物置に入り込んできたストリートチルドレンの少女は、咳き込みながらユウキを見た。
瞳は潤んでおり頬は赤い。足取りもふらふらしている。
熱に浮かされているのか、言うこともおかしい。
「ここはトイレであるぞ。小僧はこんなところで何をしているのだ」
「トイレはあっちだぞ。連れてってやる」
ふらついているルフローンの手を引き、トイレへと向かう。
途中、必要に迫られ客席を通ると、波が引くように喧騒が静まり、不穏な気配が客席に重く立ち込めた。
だが満席に近い客席の誰一人として、フロアの真ん中を通り過ぎるルフローンに目を向けない。
やはりこのストリート・チルドレンは人に忌避感を抱かせ知覚を妨げるフィールドを発しているようである。
こんな奴が近くにいたらご飯がまずくなるだろう。早足に客席を抜けて星歌亭の外れのトイレに赴く。
「ついたぞ、ここだ。使い方はわかるのか?」
「うむ。深遠なる無限の叡智の宝庫たる余に分からぬことなど……ゴホゴホゴホ……」
ルフローンは咳き込みながらトイレに入っていった。
「…………」
トイレ前でしばらく待っているとルフローンが出てきた。
手を引いて寝床へと連れて行く。
そして、納屋の奥の寝床に寝かせ、毛布をかけて、額に濡れ手拭いを乗せる。
「いいぞ小僧……ゲホゲホっ」
「食欲はどうなんだ? 食いたいなら何か持ってくるぞ」
「今の余はそのようなものは欲しておらぬ。朝に捧げられた粥で十分である。ゲホゲホ」
「大丈夫かよ……」
昨日はかなり良くなっているように見えたが、今日になりまた振り返したのかもしれない。
あとでまた赤ローブの魔術師ラゾナと、迷いの森の精霊イアラのところに行って薬を調達してくるか。
そう思案していると毛布の中から声が上がった。
「ゴホゴホ……小僧、つまらぬ人間的な悩みに苦しんでいるようだな。余に打ち明けてみよ」
「いいよ。今は風邪を治すことに集中しろ。ぐっすり寝てろよ」
「ゴホゴゴホゴホ……余の無尽蔵なる宇宙的叡智を欲しくはないと?」
「……わかったよ。それじゃあ言うぞ」
ユウキは熱を持った子供の脳でも処理できるよう、自分が抱えている問題を限界まで単純化して伝えた。
この哀れなストリートチルドレンは今、体が病気で弱っており、社会的にも虫けらに近い境遇にある。
そんな時に必要なのは、一方的に人に施され優しくされることよりむしろ、『自分は他人の役に立つ力がある』と言う自信かもしれない。
そんな自信を彼女が得るきっかけにでもなればと思い、ユウキは痩せこけた身寄りのない少女にお悩み相談した。
また実際、自分が悩みの中にあり、自分一人ではそこから抜け出せないことも確かであった。
……どうせ学のない少女に大卒のオレの悩みが解決できるわけもないだろう。
だが万が一と言うこともある。相談しておいて損はない。
と言うことでユウキは悩みを病床の少女に伝えた。
「……と言うわけなんだよ。おい、起きてるか?」
「ゲホゲホゲホ。起きておるぞ」
「眠くなったら寝ろよ。しばらく見ててやるからな」
「ゲホゲホ……つまり今、小僧は無から有を作ろうとしておるわけだな」
「お、意外にわかってるじゃないか」
「はっはっは……ゲホゲホゲホ、余の理解力は宇宙レベルであるぞ」
「つまり……オレの人生経験はゼロに等しい。それなのに人の気持ちを動かす音楽を作らなければならない……それは粉も卵も使わずに、無からパンケーキを作ろうとするようなものだ」
「いいぞ小僧……それで良い……ゲホゲホゲホ……」
「何がいいんだよ」
「真の創造とは常にそういったものよ。何もない真空から手品のように欲しいものを……ゲホゲホゲホ……取り出す……そのようにして余もこの世界を作ったのだ」
「な、何? お前がこの世界を作っただと?」
そう聞いた瞬間、ルフローンの近くにいると常に感じているコズミックホラーがさらに強くユウキを包んだ。
「余ひとりだけの力ではないがな。多くの力ある古き者たちが時空の狭間からこの虚空へと集い、共同作業によって無から世界を生み出したのだ」
「まじかよ……」
「驚くのも無理はない。だが余にできることであれば小僧にもできよう。ゴホゴホゴホ……無から有を生み出す……それは存在の自然なプロセスの一部である。それ故に、真の創造の力はユウキの内にも眠っているのだ」
「ど、どうやってやるんだ? 方法を教えてくれ! 来週金曜までに新曲を作らなきゃいけないんだ!」
「ゴホゴホ……すまぬ。余は今、調子が悪い。小僧を手取り足取り導いてやることはできぬ」
「まあ……そりゃそうだな。すまん」
病床の少女に過度な期待をかけてしまった。己を恥じつつ、ユウキはルフローンの肩に毛布をかけた。
と、その手を強くルフローンが掴み取って言った。
「だが新たなる人格テンプレートを伝授することはできる」
鋭い爪がユウキの皮膚に食い込む。
「いてて。痛い、痛いぞ」
「時空をも貫く余のドラゴンクローは、このように定命の者の意識を引きつける役にも立つのだ。ゲホゲホゲホ……さあユウキよ……余の瞳を覗き込むがよい。無から有を生み出す力……『魔術師』の力を欲するのであれば、今、それを授けよう!」
「…………」
思わずユウキはルフローンの縦にスリットの入った金色の瞳孔を覗き込んだ。
瞬間、ルフローンはぐっとユウキを引き寄せると至近距離から強く貫くようにユウキに視線を送り込んできた。
その視線を通してユウキの心に精妙な情報のセットが流し込まれてくる。
それはユウキの脳神経に絡み合い、ユウキの心に速やかにセッティングされていく。
だが大規模なアップデートがかけられたコンピューターOSのように、やがてユウキの脳は再起動の必要に迫られた。
強い睡魔がユウキを襲い、耐えがたい眠気によってまぶたが降りてくる。
とても体を起こしていられない。
ルフローンの看病のはずが、その隣に体を横たえてしまう。
「…………」
「いいぞ小僧……ゲホゲホゲホ……余の『絶対防御フィールド』に包まれて、今は安全に眠るがよい。余が定命の小僧のか細い命を外界の脅威から守ってやろう」
肩に毛布がかけられたのを感じたところで、ユウキの意識は夢の世界に落ちていった。
足元が抜けて無限の絶対零度の宇宙空間をひとり孤独に、百年、千年、一万年、一億年と彷徨い続ける。そんな恐るべき夢を見た。
やがて目覚めて半身をおこしたとき、納屋には夕日が差し込んでいた。
「…………」
ユウキの隣ではルフローンが毛布をはだけ、痩せこけた肋骨を剥き出しにしていびきをかいている。
とりあえず毛布をかけ直し、床に転がった手拭いを桶の水で冷やし、きつく絞ってルフローンの額に乗せる。
その際に彼女の額に軽く触れてみる。
どうやら熱はないようだ。
「……なんだかよくわからん夢を見たな。ふう」
しばらくルフローンの寝顔を眺めてから立ち上がり、ラゾナとイアラのところで新しい風邪薬をもらってこようと納屋を出た。
そのとき脳内にナビ音声が響いた。
「人格テンプレート『魔術師』がトランスミッションされ、ユウキの中にセットアップされました。以後、自由に使うことができます」
「ま、まじかよ。夢じゃなかったのかよ……その人格テンプレート、どんな効果があるんだ?」
「新規なアイデアの創出力がマシマシになるようです。詳しい使い方は今、私の方で調査中です」
「わかったら教えてくれ」
「はい」
夕日が長い影を作るスラムの路地を、ユウキは市街地に向かって歩いていった。
遅くなりましたがやっと今週2回目の投稿ができました!
お待たせしてすみません!
次回は明日更新予定です。続きもぜひお読みください。
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