看病
咳き込むルフローンを背負い、朝のスラムを労働者に混じって歩く。
星歌亭が見えてきた。
この時間、ゾンゲイルは大八車をひいて市場に向かっている。ランチ営業のための食材を仕入れるためだ。
店の経営者であるエルフの若旦那は夜まで出てこないことが多いのだが、今朝は花壇の前にしゃがみ込んでいた。
ユウキは近寄った。
若旦那は花壇に向かって力ない呟きを発した。
「はあ。私は一体どうしたらいいんだろう?」
ユウキがすぐ後ろに立っているというのに、顔を上げない。
「私が大切に守り育ててきたこの星歌亭を姉上が接収するというんだ。ソーラルでの本拠地とするために」
「まじかよ」
「そんなことになったら姉上を襲う刺客との戦いで、店は破壊され、花壇は踏み荒らされ、私が精魂込めて育ててきたお前たちは蹂躙されるだろう。こんなに悲しいことはない……うっ、うっ……」
若旦那はジャケットの胸元から絹のハンカチを取り出すと目元を拭った。
「大変だな」
しかしなぜか若旦那は背後のユウキを無視して、ひたすら花壇に向かって泣き言を吐き続けている。
ユウキはもう少し大きな声で、より至近距離から若旦那に声をかけた。
「若旦那。この辺りに病院はないか?」
しかしその声が聞こえていないのか、若旦那は花壇に向かってオロオロと涙を流すばかりであった。
さらに数度、大きな声で呼びかけてみたが全く気づいてもらえない。
「もしかしてこのストリートチルドレンのせいなのか? ……よっこらしょ、と」
ユウキはルフローンを星歌亭の敷地の外の地面に下ろしてから、再度、若旦那に声をかけてみた。
「おーい、若旦那」
すると若旦那はすぐにその声に気づき、素早く涙を拭うと振り返った。
「だ、誰だ君は?」
「ああ、そう言えばオレは女体化してるんだったな……オレだよ、オレ」
「まさか……ユウキなのか? その姿……何かの魔法か?」
「まあそんなところだ。あまり気にしないでくれ。ところで若旦那……お願いがあるんだが……ちょっと裏の納屋を借りていいか?」
*
汚さないこと、現状維持を努めること、星歌亭を若旦那の姉から守る手伝いをすること、などなどを条件に、裏の納屋を借りることができた。
納屋を何に使おうとしているのかについては、若旦那はあまり触れないでくれた。
もしかしたらルフローンが発している異様なフィールドが、若旦那の認知機能を遠隔的に妨害しているのかもしれない。
「とにかく早く納屋に行くか」
星歌亭の裏に周り、ラゾナのハーブ畑の奥に向かい、ボロい納屋の戸を開ける。
中は暗く、埃っぽい。
掃除したいところであるが、まずは寝床を作ろう。
スコップやジョウロ等、畑仕事の道具を手前に寄せて、奥にスペースを作る。
ありがたいことに何枚か毛皮が畳まれて積まれていたので、それを広げて寝床とし、その上にルフローンを寝かす。
「ゲホゲホ。小僧……どこだここは?」
「安全な場所だ」
「余を看病するとは……あとで褒美をゲホゲホゲホ」
「いいから寝てろ」
ユウキは寝床の隣に腰を下ろし、各種の癒し系スキルを発動してルフローンの肩をポンポンと叩いた。
やがてルフローンは眠りに落ちた。
そのとき納屋の戸が開いた。
市場で買い出しを終えたゾンゲイルが、大八車をしまいに来たのだ。
「お、ゾンゲイル。ちょうどいいところに来たな。ちょっと相談に乗ってくれ」
「なに?」
「このストリートチルドレンが病気らしいんだが……」
ユウキは納屋の奥の寝床を指さした。
「なんのこと?」
ゾンゲイルはキョトンとした顔をした。若旦那と同様、ルフローンの存在を認識できていないようだ。
「どうしたものかな……もうちょっと奥に来てくれ。もっと近寄れば見えるかもしれない」
しかし納屋の奥に踏み込んできたゾンゲイルは顔を青ざめさせた。
「なんだかこの納屋……奥に入りたくない」
「そこをなんとか頑張って。もう少しだけ奥に踏み込んでみてくれ」
「わかった。がんばる」
ゾンゲイルは青ざめた唇をギュッと結ぶと、一歩、二歩と、納屋の奥に足を運んできた。
だがゾンゲイルの手足に震えが走ったかと思うと、その口からふっふっという獣のごとき荒い息が漏れ始めた。
「何かがいる……ユウキ、そこをどいて……」
「いや、そんな臨戦態勢にならなくていいぞ」
しかしゾンゲイルのふっふっという獣のごとき呼吸はさらに荒くなっていった。
「怖い……だけど行かなきゃ……ユウキ……!」
決死の形相で足を進めたゾンゲイルは、ついに毛布に包まるルフローンを目視できる距離にまで近づいてきた。
だがそこでいきなり電池が切れたロボットのように床に崩れ落ちた。
「お、おい! どうした? ……ま、まじかよ! 呼吸が止まってる」
ユウキはゾンゲイルを抱え上げると、納屋の外に引っ張り出し、心臓マッサージした。
しばらくするとゾンゲイルは再起動し、何事もなかったかのようにキョロキョロと辺りを見回した。
「あれ? どうしたの? 私……そうだ、大八車の食材、おろさなきゃ」
ゾンゲイルはまた納屋に入ると、その手前に置かれている大八車から食材を抱え上げ、星歌亭に戻っていった。
「おい、大丈夫か?」駆け寄って聞く。
「何が?」
ゾンゲイルはまたキョトンとした顔をユウキに向けた。
「さっき、納屋の奥で……」
「…………?」
どうやら何も覚えていないらしい。
どうやらルフローンが発している異様なフィールドは、各種の状態異常への抵抗力に定評があるゾンゲイルでも突破できないもののようだ。
そのフィールドは人の認知力を狂わせ、ルフローンを認識できないようにし、記憶からも消す。
また、人に忌避感を抱かせ、ルフローンに近づけないようにする。
それでもルフローンに近寄ってくる者には、その活動を停止させるなんらかの強い影響を与える。
そのような恐るべき効果のある謎のフィールドを、あのストリートチルドレンは風邪で寝ているときでも常時、発しているようである。
「ゾンゲイルですらルフローンに近寄れないとなると、これはオレ一人で看病するしかないようだな。やれやれ……」
ユウキはバイトの班長であるラチネッタに、今日は休む旨を石板で伝えた。
それから市街地の赤ローブの魔女宅に向かい、目を丸くして驚くラゾナに女体化したことを説明しつつ、風邪に効くハーブのお茶を処方してもらった。
さらに迷いの森の精霊に菓子折を持って会いに行き、目を丸くして驚くイアラに、女体化したことを説明しつつ、水筒のお茶に自然エネルギーをチャージしてもらった。
そして星歌亭の納屋に戻り、額に汗を浮かべたストリートチルドレンにそのお茶を飲ませる。
「ごくっ、ごくっ……ゲホゲホ……ごくっ」
ルフローンは咳き込みつつもお茶を全部飲み干した。
ユウキはさらに水を入れたタライで濡れタオルを作り、ルフローンの頭を冷やした。
適宜、濡れタオルを取り替えつつ、精神を侵食してくるコズミックホラーをスキルで躱しつつ、ストリートチルドレンが深い眠りに落ちるまでその側に座り肩を叩き続ける。
ぽんぽん。
ぽんぽん。
ぽんぽん。
すやー。
やがてそんな規則正しい寝息が聞こえてきた。
「よし……」
ユウキは納屋の外に出た。秋の畑の上空には星が昇っていた。
「そろそろ行くか」
ユウキは畑の前で屈伸運動して、看病で凝り固まった全身をストレッチした。
それから左手首に『男性機能増進のブレスレット』をはめ、教会の裏にある平等院ソーラル支部に向かった。
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