戦時下の和合茶
夜、ユウキはかなり早めに見張りの交代に向かった。
案の定アトーレは司令室の椅子で暗黒剣を抱えて寝落ちしていた。
気持ちよさそうな寝息が暗黒鎧の中から響いてくる。
足音を立てて近づくと、暗黒鎧がびくんと震え、暗黒剣が跳ね上がった。
「何奴!」
「交代の時間だぞ」
「ユウキ殿であるか……せ、戦況はどうなっているか?」
「何も変わってない。塔はゴーレムとアンデット軍団に取り囲まれて攻撃を受けてる。エクシーラは音信不通だ」
「そ、そうであるか」
「部屋でよく寝ろよ」
アトーレは夢遊病のような足取りで司令室を出ていった。よほど夜には弱いようだ。寝落ちしていた自覚すらなさそうである。
階段を転げ落ちないか心配だが……まあ、怨霊たちもついてるから大丈夫だろう。
ユウキは椅子に座るとスマホを手にとった。
祭壇に表示されている敵の動向も横目で監視しつつ、適当なブログを見て暇をつぶす。
魔力節約のため暗くした司令室で、スマホをいじり続ける。
と、誰かが階段を登ってくる足音が聞こえてきた。
しばらくして司令室に入ってきたのは大量の毛布を抱えたゾンゲイルだった。
「どうした? まだ交代の時間じゃないぞ」
「ここ。座って」
ゾンゲイルは床に毛布を敷くと、そこにユウキを座らせた。
そして自分もユウキの隣に座ると、毛布にくるまった。
彼女はユウキの肩に頭を載せると言った。
「ユウキ、知ってる?」
「何を?」
「キス。したことある?」
「ま、まあな」
「私、ない」
「…………」
「してみたい。いい?」
ユウキが答える前にゾンゲイルはユウキの頬にキスをした。
それで満足したのかゾンゲイルは再びユウキの肩にもたれて寝息を立て始めた。
「…………」
シオンが交代に来るまで、ユウキはゾンゲイルを抱きながら毛布にくるまっていた。
*
日が昇ったが状況は変わらなかった。
塔は敵の軍勢に取り囲まれ攻撃を受け続けており、エクシーラの消息は不明である。
攻撃の音が響く朝食の席で、ユウキは赤い目をこすり、あくびをした。
「ふああ」
昨夜はさまざまな要因により興奮してよく眠れなかった。今も興奮は続いており、自律神経が乱れている感がある。
そこにガンガンと止むことのない攻撃音が浴びせかけられる。
「まったく戦時中かよ。今日は塔で防御態勢を整えているしかないな」
「ううん、ユウキ君にはいつも通りに過ごしててほしいんだ」
「なんでだ?」
「防御モードを維持するための魔力は、今日一日は持つかもしれない。僕は昨日そう言ったよね」
「ああ」
「でもそれは、今日のユウキ君が先週の土曜と同じレベルの魂力を得ると仮定しての計算なんだ」
「つまり……オレはこんな非常時でも、いつもと同じようにやりたいことをやって過ごす必要がある、ということか?」
「そうなるね。戦いの準備は僕らでするから、ユウキ君はできる限り本来の予定を優先して生きてほしい」
「でも……本来の予定っていうと、ソーラルに行って友達に会う感じだぞ」
「と、友達なんているのかい?」
「ま、まあな」
「そうだよね……ナンパなんて毎日してたら、いろいろな関係が僕の知らないところで生まれるよね」
シオンは寂しそうにうつむいた。
なんだこいつ。
もしかして嫉妬してるのか。
その様子がやけにかわいらしく、いじらしい。
もう今日は外に出るのをやめて、シオンの近くでゴロゴロしてようかと思った。
だがダメだ。
そんなことしたら塔は崩壊する。
塔を天に向けて屹立させ続けるために、オレは常に前進しなければいけないんだ!
ユウキはシオンの背を叩いた。
「……近いうちに一緒にソーラルに行こうぜ。でも今日は一人で行ってくる。塔のことはお前に任せた。頼りにしてるぞ」
「う、うん!」シオンは顔を輝かせた。
*
早めに塔を出て、秋の午前の爽やかな日差しを浴びながら、ソーラルの高級住宅街にあるラゾナ宅に向かう。
歩きながら考える。
今も塔は攻撃されている。
そんな中オレはエッチなことを練習するために、美人魔術師の元に向かおうとしている。
「…………」
一応、早く塔に戻れるよう、本来は午後から会う約束だったところを、午前からに変えてもらった。
石版で連絡したところ、ラゾナは快くリスケジュールを受け入れてくれた。
だが……やはりどうしても罪悪感を覚えざるを得ない。
この緊急事態下に、人の家にエッチなことをしに行くなど、人の道に外れているのではないか。
本当にこんなことしてていいのか?
「…………」
いいのだ。
ユウキはうつむきかけた顔を上げて前を見た。
確かに今、塔に大軍勢の攻撃という問題が生じている。
だがどこかに何かの問題があることは人生の常だ。
現世でも常にオレは何かしらの問題を抱えていた。
お金がない。
仕事がない。
人に秀でた能力もないし、気づけばもうこんな歳で、なんのキャリアも経験もない。
そんな問題に気を取られて、オレはいつも萎縮していた。
そのためにオレは気力を失ってやりたいことをやれずにいた。
だがそんなときオレは人生の優先順位を見失っていたのだ。
人生とは問題を解決するためにあるんじゃない。
そうだ、人生とはやりたいことをやるためにあるんだ。
やりたいことを今この時、何より一番最初に最優先でやること。
それが人生の、正しい優先順位なんだ。
「でもなあ……」
本当にいいのかよ……という疑念をどうしても拭い去ることはできない。
「…………」
だがとにかく粛々とラゾナ宅に向かう。
ラゾナ宅で今日はどんなレッスンが待っているのか。
想像すると、戦闘とはまた別の未知への不安が生じ、怖気づいて足を止めそうになるが、とにかく各種スキルを発動して思考停止して前に進む。
「よく来たわね」
高級タワーマンション的な建物の高層でラゾナが出迎えてくれた。
「ちょっと今ごたごたしてて、昼前に来てしまったが本当に大丈夫だったか?」
「平気よ。土曜はお店は休みだからね。さあさあ入って入って」
ラゾナは気さくにユウキを迎え入れた。
植物性と動物性が入り混じった複雑なフレグランスの漂う室内に足を踏み入れる。
エキゾチックかつオカルティックな調度品と売り物の合間をすり抜けて、応接室のソファに座る。
ラゾナは台所に消えるとしばらくして奇妙な香りのするお茶を、大きなポットに入れて持ってきた。
「これは『和合茶』」
「なんだそれ」
「ルーニャ諸島の蛮族、リジイ族が結婚初夜に飲むお茶よ。『性魔術の奥義』の巻末に、性魔術のトレーニングをサポートする飲料として紹介されていたから、ボグダン商会のココネルに頼んで取り寄せてみたの」
「どんな効果があるんだ?」
「男女両性の性エネルギーを高めながらも、それが狭い部位に局所的に集中するのを防ぐんですって」
「へえ」
「しかも肉体と精神の全体にスムーズに流れるよう調整してくれるんですってよ。ルーニャ族の新郎新婦はこのお茶を飲んで二週間かけて初夜を行うらしいわ」
初夜、という単語を聞いてついユウキはゴクリと生唾を飲み込んでしまう。
「……よ、よくわからないが、すごそうだな」
「しかも軽度の向精神作用もあるそうで、今回の『直視』のトレーニングには最適のお茶らしいわ。さあ飲んでみて。私も飲んでみる。一つのカップで飲むのが作法よ」
ラゾナは蛮族風の素朴な素焼きの器になみなみと和合茶を注ぐと、それをまずユウキに渡した。
かつて嗅いだことのない異様な植物の香りが鼻をくすぐる。
一呼吸置いて覚悟を決めてから、ユウキはグッとカップを傾けた。
「あちっ」
「馬鹿ね。ふうふうして飲むのよ」
カップを受け取ったラゾナは、ふうふうと息を吹きかけて冷ましてから一口、和合茶を口に含んだ。
そして、ゆっくりと味を口の中で確かめてからごくりと喉を鳴らして嚥下した。
それからまたカップをユウキに渡した。
「…………」
ユウキはふうふうと息を吹きかけてから、一口、和合茶を口に含んだ。
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