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とある神父の一人旅  作者: 旅をしたい
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8話 出帆

 



 ガルトフの発した猟奇的な奇声はそこら中に響き渡っていたようで、耳を法術で治したころには駆けつけた野次馬たちの罵声が聞こえた。

 さすがにこの包囲網をバレず抜け出すの難しい。

 地下室から出るとたちまちのうちに囲まれ、そこからはお前は誰だ、何があった、と質問の嵐である。


 孤児院を訪れたところ、ここの院長に襲われたのでなんとか返り討ちにした。院長は逃げてしまったのでどこにいるかは分からない。


 だいたいこのような言い訳を強引に押し通して、無理やりその場を後にしたが、果たしてこの言い訳がいつまで持つかは微妙である。


「年寄りを殺す気かい? いつまでほっつき歩いんてのさアンタは」


 宿屋の主人であるメルはたいそう目くじらを立てていたが、頭を下げて拝みたおしてなんとか機嫌を取り戻してもらった。

 しかしこんな時間まで起きていて何も聞いてこないあたりは、この手の相手には慣れているのだろう。


 しつこくつきまとう野次馬どもをまいてきたので、寂しさとはまた違う、シンとした夜の穏やかな空気がありがたかった。

 結果的に、この宿をとったのは正解だったといえよう。

 犯罪者とはこんな気分なのだろうか、と考えると、なんだか虚しくなってきたので、そこで考えをやめた。


 肌着一枚になって、わらのベッドに身を投げる。

 まだ新しいのだろうか、藁にうもれて目を閉じると、新鮮な土と日向の匂いがした。

 次第に、意識はまどろむ。

 一日で十日を駆け抜けた気分だ。

 体は大丈夫でも、やはり精神的な疲れが大きかったのだろうか。

 夢と現をつなぐ、不思議な力を持った宝石。

 あの悪魔はこれを神の遺産と呼んだ。

 前のこの宝石の持ち主である彼女は、これはあらゆる言語を話すことができるようになる宝石だ、と自慢気に話していたし、事実そのように使っていた。


 だが、悪魔すらも封じた、あの奇跡。

 まさしく神の御技といってさしつかえない。

 神を捨てた今になってそれが見られるというのは、なんとも皮肉な話だが。

 それに、あの時脳裏に流れこんできた、アリシアの言葉。

 いくら彼女と過ごした日々が幸せであったとして、いや幸せだったからこそ、その言葉の細部にいたるまで覚えている記憶力はさすがにない。

 あのようなやりとりも、記憶が流れてきて初めて思いだしたのだ。

 いったい、これは何なのだろうか?




 ……眠い。

 もう、考えることが億劫おっくうだ。


『綺麗でしょ? これはね、おばあちゃんにもらったのよ』


 そうか、大切なものなのだろうね。


『うん。わたしね、夜空にある星をぜんぶギュッて詰めこんだら、こうなると思うの。だからわたしは、世界の星の半分を持っているのよ!』


 バカいうな。

 そんなこと教会に聞かれたら、一発で打ち首だぞ。


『はいはい、あの星はみんな神さまの使いの天使なんでしょ? わたしたちを監視してるんだっけ? でもそれじゃあ、星を眺めるだけでも不敬になっちゃうじゃない』


 そうだな。

 だから、あんまりむやみやたらと上を眺めてくれるな。

 私の心臓に悪いだろう。


『星は天使、太陽は神さまのお家で、月は悪魔の大魔城! 雨は慈悲の涙だし、雷は怒りの裁き。教会はほんと屁理屈こねが上手だわ。転職して物書きになったほうがいいのよ。わたしにとって、星は星だし、月は月だもの!』


 またそんなことを言いだす。

 あまり目立つ真似はよしてくれよ。

 君が人々の生活を助けてくれるのは嬉しいことだが、それは教会にとって都合が悪い。

 私が庇うにも、限界というものがあるのだから。


『ふふん、わたしは簡単には止まらないわ。だって――』


 飽くなき探求は魔女の至上命題、だろう?

 そうはいうが、命あっての物種という言葉を忘れてくれるな。

 探求には、秘密を探す脚と、未知を拓く手と、それを知る両の瞳、そして考える頭が必要不可欠だろう。

 それを失くしては話にならない。


『バカね。わたしの体に必要じゃないものなんてないわ。髪の毛一本まで大事なんだから』


 だったら、なおさら大切にしてくれよ。

 私にとっても君は、失いたくない存在なのだから。

 そしたら、いつかは私が、きっと…………。








 この疲労にしてとうとう長年の慣習も根をあげたか、目が覚めたのは日もとうに昇った昼過ぎのころだった。

 目を拭うと頰に涙の跡が残っていた。

 この歳で夢泣きとは、思わず顔をしかめてしまう。


 胸元から引っ張りだした神秘の宝石は、いつもとなんら変わらない吸い込まれそうな不思議な輝きをたたえていて、昨夜のできごとなどなかったように思えてくる。

 

 しばらく休暇としよう。

 どうせ出帆しゅっぽんまではこれといった予定もない。

 それに顔を見られていた連中に見つかって、つきまとわれるのも面倒だ。

 宿の中でのんびりと英気を養うのがいいだろう。

 サリア姉さんには……会って無事を知らせたいような、色々と会いたくないような。

 まあ、会う機会ができたら会えばいい。

 少なくとも、今日はゆったりとさせてもらおう。


 そんな調子で、特に何事もない日々をしばらく過ごすこととなる。

 法術の確認をしたり、例の宝石をいじってみたり、こっそり市街を散策して食べ歩いたりと、穏やかな時間であったといえよう。


 孤児院では使われてなかった地下室とその上の部屋に被害が出ただけで、子どもたちは無事だったようだ。

 今は、サリアのみで子供たちの面倒をみているようだった。

 まだ癒えない傷痕に苦しみながらも、中庭で子供たちと笑顔でいる彼女をみると、胸のつっかえが取れたような安心感を抱いた。

 いつから自分はこんな年寄りくさい老婆心を持つようになったものか。

 既にトルキアへ向かう貿易船には、いくらかの金を支払い、労働力と引き換えに乗船の許可をもらっている。

 買い物も済ませ、後顧の憂いもなし。

 次に向かうのは砂と太陽の国、トルキアだ。


 ただ、ひとつ予想外なことがあったとすれば、それは船着場にサリアが待ち構えていたことだろう。

 少しの間に、彼女の血色は良くなり、枯れたような肉づきもだいぶマシになっていた。

 朗らかに笑う彼女の姿は、確かに昔の姉さんを思い起こさせた。


「バレてましたか」


「バレバレよ。私が何年ここに住んでると思ってるの?」


 茶目っ気のある彼女の話し方は修道女というよりも、商人の娘に近いように思う。

 だから、彼女が先生になると豪語しては、そんな喧しいようでは無理だとからかっていたのだった。


「行くのね?」


「えぇ、行きますよ」


 彼女は、そっと懐から腕飾りを取り出した。

 たくさんの小さな貝殻に紐をとおし、カモメの羽を飾りつけた、素朴なお守りだ。


「子供たちと一緒に作ったのよ。 海に出る男たちの無事を祈って、ここの人はこれを作るの。ほんとうはご婦人の方が作るのだけど、あなたは一人だから、特別よ」


「これはありがたい。ご利益がありそうです」


 受け取ったお守りを、さっそく腕につけてみせる。

 袖に隠れてしまいそうなそれは、彼女と自分をつないでくれる、小さな絆のように思えた。


「わたしはもう大丈夫よ。本音をいえば、エリックにはここにいて欲しいけど」


「それは、難しいですね」


「うん、わかってる」


 教会は地下室から出てきたあの骸の数々の真相を、間違いなくもみ消すだろう。

 そして自分は、新しく作り上げる事実にはきっと邪魔な存在だ。


「エリック、あなたがどうしてこの道を選んだのかは、わたしは知らないわ」


 彼女は突然に気配を変えて、心までも見透かすような瞳でこちらを捉えていた。


「私は主を愛しています。だから貴方に、疑惑と怒りを一切抱かぬといえば、それは嘘になるでしょう。

 ただ、私は貴方のことを、今でもかけがえのない家族であると思っています」


 サリアは一切の恥じらいもなく、自分の頰に接吻を落とした。


「忘れないで。貴方の帰る場所があることを」


 そして初めて、少女のような無垢な笑顔をみせてくれた。


「だから、おかえり! それと、いってらっしゃい!」


「いってきます、姉さん。私が帰るまで、家を頼みますね」


 船の甲板に登り、振り返るとサリアはクルリと背をみせていた。

 さっきもずいぶん耐えていたが、涙をみせるつもりはないらしい。


「へへっ、アンタの女かい? 初々《ういうい》しいねぇ」


「まさか、家族ですよ。血のつながりはありませんが」


「なんでぇ。あー、オレも早く女房に会いてぇなァ。これだから死ねねぇんだよなァ」


 そううそぶく男の腕には、羽が禿げてしまった例のお守りがついている。


「まったくですよ。約束ばかりがかさんでしまって、おちおち死んではいられませんね」


 ブンブンと両手を振るう元気の良い修道女を見て、心からそう思うのだった。

連日投稿が厳しくなりそうです。

申し訳ありません。

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