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とある神父の一人旅  作者: 旅をしたい
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4話 再会

 


 夜の冷めた空気が、酒に火照った頭に心地よい。

 並ぶ居酒屋はまだまだかきいれ時のようで、陽気な酔っ払いの声が、ドアの隙間から明かりと一緒にもれていた。


『今日からあなたは、私たちの家族の一員です。喜びも苦しみも、一緒に分かちあえたらと、私は願っています』


 孤児院の先生のことを、自分はただ先生と呼んでいた。柔和な顔つきの、穏やかな先生の顔は漠然と思い出されるが、彼の名前ばかりはまったく分からない。

 ただ、ゆったりとした口調で話す先生の言葉は、心にそっと堆積たいせきする雪のようで、なぜだかはっきり覚えていた。


 自分が人としてのなんたるかを学んだ、忘れがたい、あの穏やかで心苦しいかつての場所。

 神の庇護下でありながら、神に反発した自分は、確かにあの家族たちを愛していたが、同時に後ろめたくも感じていた。

 幼い自分は、自身の在りように上手く折り合いをつけることができなかったのだ。


「……亡くなられて、いたのですね」


 一人呟いた言葉は、闇の中を虚しく漂い、喧騒に紛れて消えていった。

 もう随分と高齢であったし、なにもおかしなところはないのだが、現実味がわかない。

 それに、後任で来た男が、とんでもない奴だということも。


「明日、訪ねてみましょう」


 決意を揺るがさないために、声に出して呟いた。

 知らなくてもいいことを知るだろう。それはおそらく、不快で、どうしようもなく、後悔することになるかもしれない。

 だが自分の問題に目を背け、甘い未来にばかりに囚われるのはもう散々だ。


「運命は、主のものではありません。私の未来は、私が選び取る」


 意味のない宣戦布告をした。

 この皮肉な巡り合わせに、偉大なるものの意思を感じたような気がしたから。


 彼女に胸を張って生きれるように。

 私の自分勝手な誇りを貫こう。





 長年の習慣というものはそう簡単に抜けることはなく、太陽の光がほぼ差し込まぬこの部屋であろうと、起床時間はいつも通りであった。

 朝早くに出かけることに、眠たげな目をこすりブツブツと文句言いながらも、店主のメルは大きなドアの鍵を開いてくれた。


「夜まで帰ってくるんじゃないよ」


 そう投げやりな挨拶を残して、メルはすぐに引っこんでいった。


 大都市といえど、夜明け前の姿は閑散としたものだ。

 時おり、商人が荷馬車を引いて店の仕入れを急ぐ以外人の気配は薄く、道端では酔っ払いが吐瀉物としゃぶつと一緒に捨てられていた。


「道端で眠れば寒かろうに。剛毅なことです」


 その中には、昨日酒場で見た顔もチラホラ。

 近づいて、その体に触れて奇跡を呼び覚ます。

 法術、神があたえたもう奇跡を行使する、大いなる御技。

 しかし、神に背いた自分が使えなくなるようなことはなかった。

 果たして、神の奇跡とはただの迷信か、それともまだ捨てられてはいないのか。


 小さな光が指先に灯ると、そっと男の体をおおっていく。

 初歩的な保温の法術だ。熱を逃がしにくくするという、単純ながらも非常に優れた効果である。

 それを通りすがりにかけていると、気づけば朝日が昇りはじめていた。



 店で買った果物を朝食として食べる。

 シャリシャリと甘く爽やかな食感のリンゴ。

 よく熟れた果実の中には自然の旨みがギュッと閉じこめられていて、口の中で広がる瑞々《みずみず》しい味が、大きな口でかじりつきたくなるような衝動をもたらす。


 孤児院には、リンゴの木があった。

 夏になると赤いまん丸な果実をつけるのが、とても楽しみだったように思う。

 なぜなら、先生にバレないようにそのご馳走を手にするという、ちょっとした遊び(・・)があったからだ。

 庭にある大きな木に素早く、かつ静かに昇り、そして速かにリンゴを味わう。まるで何か危険な任務でも果たしているかのように、その小さなスリルに自分たちは酔いしれた。

 もっとも、バレてしまえばその日のご飯をおあずけをされる羽目になったのだが。


「まだ、あるといいですね」


 人間はいつも心のどこかで変わらないものを求めてる、と語った友人がいた。

 それは神であったり、故郷であったり、孤児院の庭先にある幸せの面影であるのかもしれない。

 新しく舗装された道と建物に挟まれて、微かに見覚えのある懐かしい光景がチラホラと現れた。

 忘れてしまった記憶の糸をたぐり寄せるように、赴くままに道を進めば、見えたのは青い薄寂れた屋根と取りつけられた教会のシンボル。

 記憶の中のそれと一致する、少年期を過ごした孤児院がそこに立っていた。



 リンゴの木は、木枯らしとなって虚しく朽ち果てていた。

 手入れもされていないのに、雑草さえ茂らぬ荒れた中庭と、形だけの花壇。

 子供の笑い声も泣き声も聞こえないその孤児院は、まるで錆びついて時が止まってしまったかのようだ。


 ハッキリいって、その様は異様である。

 一見しただけで、ここには何か、よからぬモノが潜んでいると、直感的な警報が鳴った。

 あながち、あの男が酒の席で語ったことは誇張でもなく、かなり真実に近いのかもしれない。


「ごめんください!」


 通常、孤児院は一般の人にも解放されているのだが、その人を拒むような雰囲気が、黙って扉を開くことを許さなかった。

 ややもすると、そっとドアが押し開けられ、やつれた気配の女性が、瞳を怯えさせながら現れた。


「どの、ような、御用でしょうか」


 小麦のようにくすんだ金髪。

 若葉のような新緑の瞳。

 その色彩を見たとたん、記憶の波がまるで奔流のようになって押し寄せてきた。

 顔はすっかり変わってしまっているが、見間違いようもない。

 本当の兄弟のように過ごした彼女を、自分は知っている。


「サリア姉さん……」


 口からついて出た言葉をきいて、その女性はまるで夢まぼろしでも見たかのように大きく目を見開いた。


「エリック? ……エリックなの?」

「そうですよ姉さん。あなたの弟の、いつもあなたに叩き起こされていた、寝ぼすけのエリックです」


 よろよろとすがりつくように近づいてきたサリアを、そっと抱きしめてやる。

 あの気が強くて太陽のように明るかったサリア姉さんが、こんなにやせ細って、今にも消えてしまいそうな蝋燭ロウソクの火のように弱々しい。

 胸の中ですすり泣く彼女を見れば、これがただの感動の再会ではないことは明らかだった。

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