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七「運命の」

 宿舎に戻ったのはもう夜だった。電灯をつけたまま部屋の畳の上で寝こんでしまい、時間の感覚がとても曖昧に狂ってしまっている、朝なのか、寝過ごしたのか、はっとして壁掛け時計を見る、七時だった、朝まで寝込んだのか、シャワーを浴びなくては、と考えていてあれ、と思う。よく見ると時計の針は止まったままだ、どうやら電池が切れてしまったらしい。いったい何時だろう、カーテンを引き、窓を開ける、まだ暗い、どうやら朝まで寝過ごしたわけではないとほっとする。

 しばらくなにもせずに座りこんでいた、こんがらがってしまったのは時間感覚だけではなくて、記憶自体でもあるらしい、そんなことを考え今日起こったことを想起していた。

 事故があった、とんでもない事故だ、私は感染してしまったのではないか、明日仕事を休んで病院に行かなくてはいけないのでは。否、あんなことがあったのだ、示しをつけるには休んでなんかはいられないだろう、仮にも、私はあの現場の主任なのだから。

 考えにとりとめがなさすぎる、これではいけない、しかも作業服のままではないか。いち早くシャワーでも浴びて気分をすっきりさせよう、そう思いドアを見つめていた。

 ドアが揺れる、突然のことに驚いてしまった、もう一度、来客か、この部屋に訪れる者などこれまでただ一人としていなかったのに、しかし二度もドアを叩く音は明らかにノックだろう、もう一度、身構えていても驚いてしまう、なにか不気味な者が潜んでいるのではないかと思い背筋に冷たいものがすた……すた……流れていく感覚を覚えた。

「誰だ、誰かいるのか」

 返事はない。しかし、

 またノック。さすがに私も怒りを覚える、

「誰なんだいったい、開けるぞ」

 ドアを開けふたたび背筋が冷えてしまう。思いもしない人影に震えがきてしまう。

「なんだ。私に用があるのか」

 夕方、あのフェリーで。

 それでも、相手は黙りこんでいる。不気味になって、

「なんなんだ、ものを言わんか」

 宿舎、隣りで寝ている者もいるであろうに、思わず声を荒げてしまう。

 あのフェリーの群衆に混じっていた、寝間着を着た少年に違いなかった。奇妙なくらい丈は合っていない、だらっと垂らして。

 彼はじっと私を見すえてなにも言わない、それが、ほんとうに、不気味で、怖しかった。

「なんか言えよ、黙ってないで。お前誰なんだよ」

 声が涸れてしまうほどの大声。

 少年のうつろな、まるで死人のような冷たい目線。そして、

「い……ないで」

 少年がとうとうつぶやいた。耳をそばだてなければ聴こえないくらいの細い声で。

「なんだって」

「いかないで」

 しっかり聴きいってようやく。

 ……いかないで。とはいったい。

 しばらく考えこんでみる、変わらず冷たい視線を向けている、その視線が冷風を起こしているような錯覚を覚え、それにより背筋が寒くなるのが腹立たしくなる。

 黙りこんだままなにも言わなくなった、そして、冷たい、目。

「い……ない……」

 またつぶやいた、しかし、さらに聴こえないよりちいさなささやきで。

「なんだよお前、答えろよ、いかないで。ってどこにだよ、お前いったい誰なんだよ」

 目線を落とす、床を見ている、何度か左右に首をうごかして私の足もとから視線を上にへとうごかしていく、冷たい、目、つたい、うえへと、

「ね……」

「なんだよ」

「ぼ……しって…………だ」

「はっ」

「……く……って……ん……」

「聴こえねえよ」

「ぼ……みらい……ら……たか……しっ……る……だ」

「だから聴こえねえ。未来がどうしたって。もう少し大きな声で言ってくれよ」

少年は冷たい目をしっかりとこちらからはずそうとはしなかった、私は恐るおそる、その目を見つめてみた。

「ぼ……みらいからきたん……」

「はっ。未来から来ただと」

「う……」

 わずかに首を落とす、

「未来から来たとかわけわかんねえこと言ってんじゃねえぞ」

 そしてなにも言わなくなる。ただ見つめる目。私はその目を合わせるたびに背中が震え、なんども目線を外す、

「ぼ……はきみだか……」

 ぞっ……とする。聴こえないが諒解できた、確かに、僕は君だから。そう言った。

「お前は、私なのか」

「う……」

 やはり首を下に。

 どういうことだ、こんな見たこともない小さなガキが私なわけがないだろ。しかも、未来からきただ。もうなにが何だかわかんねえぞ。

「だからいか……いで」

「行かないでだと」

 なにも言わない。どういうことだ、聞き違えたのか、それとも、

「あした、おしごといか……いで」

「お仕事、仕事にか。どうして行かないでとか言うんだ」

「しって……から、あ…………きみはじこを……こすから」

「事故。なんで知ってるんだお前、事故って、私は今日事故を起こしたんだ」

「か……せんする……ら」

 はっとする、感染……、彼はそのことを警告しに来ているのか、しかし、事故は今日……今日? 否、もしかして彼の言うとおり明日のことなのか、記憶がこんがらがって……なら、どうして、明日起こることを、私は記憶している……明日? そうか、今日かもしれないし明日かもしれない、そんなことはどうにでもなる、私は、今、未来の、回想のなかの私であって、でも、だとしたら、どうやったって事故はもう、、未来の私には引き起こったことでしかなくて……

「だからい……ないで、あしたじこでき……はかんせんしてし……うから」

「どうやったって無理じゃないか。ここは記憶のなかの世界だよ、起こったことを起こさないようにすることなんてできっこないじゃないか」

「ちがうよき……がとまってし……えばいいん……そうすれ……きみはきおく……なかでずっとじこ……おこさずに……んせんしないで……られるんじゃな……か」

 止まってしまえばいいだと? じゃあ、明日私は仕事をサボってしまえばいいとでも言うのか。

「じゃあよ……し…………」

 消えた……

 そうだよな。ここは記憶の世界で、私は記憶のなかの私でしかなく。

 しかし、それでも運命に逆らうことなんてできるのだろうか。

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