3.食べちゃいたいんです
〇月×日(晴れ)午前八時半
一時間ほど寝ただろうか。俺は鼻にあたるこそばゆい感触で目が覚めた。
目の前にはピヨがまだ目を閉じて寝ている。どうやら、その羽根が鼻にあたったらしい。警戒心があるのかないのか、よくわからない奴だな。
大きく伸びをすると、ピヨも起きたのか体を振った。その時、「おじいさん、おじいさん」という声が聞こえた。どうやら佐藤宅の婆さんが俺たちを見つけたらしい。
「ほら見て、シマの近くにヒヨコがいるのよ」
シマとは佐藤宅で呼ばれている俺の名前だ。ちなみに最初に自己紹介したボロスの名は、俺が仲間に呼ばれている名前である。
のんびりしていると婆さんが騒ぎそうなので、すぐ出掛けることにする。
取り敢えず、朝飯の礼はしておこうと思って、婆さんに「にゃおん」と、ひと声だけ答えた。返事をすることで次の日も餌をくれると、頭の良い俺は知っているのである。
近くではカラスが鳴いていた。ピヨは俺の餌になる予定があるのだから、カラス野郎に食われるのは我慢ならない。
「おい、出掛けるぞ。背中に乗れ」
仕方がないので連れて行くことにする。俺の命令を聞いたピヨは、首を縦に振ると背中に乗った。
しっかりと足を踏ん張り、くちばしで俺の毛をくわえている。これなら落ちなさそうだなと確認すると、俺はそのまま駆けた。
出掛ける理由は、なわばりの確認だ。餌場が荒らされたり、取られたりするのは俺たち野良猫にとっては死活問題である。それなので一日も怠るわけにはいかない。
垣根を抜け、車道を渡り、女子高の前を通ると甲高い声に囲まれた。
「見た今の?」「写真撮った!」という女子高生の声があがっても無視だ。
何故なら、彼女らには食べ物の匂いを感じないからだ。そう、俺たち野良猫は現金でないと生きられないのである。
そのまま、目的の場所である商店街に向かう。そこに行く途中の裏道で、
「おっ、ボロスじゃねーか。なんだそれ? 背中についているのは何だ?」
黒ぶちのカギに声をかけられた。カギの名前の由来は尾が折れ曲がっているからだ。
三歳のこいつは俺と同い年で、捨てられた直後に出会った仲間だ。
腹が空き、微かな食べ物の匂いに惹かれて商店街に辿りついた時、こいつは魚屋の親父から干物を貰っていた。
座って「にゃあ」となけば、すぐにくれるぜ。そう言われて、俺も真似すると食べ物にありつけたという訳だ。
他の奴らがそれを見て真似をするようになると、魚屋の親父からは、餌をもらえなくなってしまったのだが、カギは諦めなかった。
座って手招きをしたのである。その技で餌を独占し、他の猫たちの追随を許さなかった。つまり、カギは餌の確保に関しては天才なのである。
そのカギが俺の背中に乗っているピヨを興味深そうに見る。カギに見つめられたピヨは首を傾げると、一回だけ「ピヨ」と鳴いた。
「これは精巧にできている玩具だな」
そりゃそうだ。その答えが出るだろう。だって、この俺さまの背中にヒヨコがだ。生ヒヨコがいるんだぞ。天地が逆さまになってもあり得ない。
「目に入れても痛くないというか、口に入れて食べちゃいたくなるくらい可愛いな」
そうですカギさん。今すぐにでも食べちゃいたいんです。どうしたら美味しくいただけるのでしょうか。知恵をください。
「お前、さっきから挙動不審じゃないか?」
そんなふうに思っていることも口にできず、俺はカギの鋭い指摘に顔を何度も横に振る。ばれたら確実に、おすそわけしないといけないからな。
「そんなことよりもカギ、はやく魚屋に行こう。遅くなると餌にありつけなくなるぞ」
なんとか話題を変え、いつものように二匹並んで魚屋に向かう。時々ピヨを見るカギの視線が気になるが、今は無視だ。
魚屋に着くと、既に仲間が集まりはじめていた。こうなると、魚屋の親父も餌をくれる可能性が少ない。割りこみするのもなんなので、仕方なく後ろで待つことにする。
その時だった。親父が俺を見て釘付けになる。
そして、かまぼこを放り投げてきた。俺の目の前に落ちたかまぼこは俺の口へ――。
と思ったら、ピヨが俺の頭から飛びおりて、かまぼこを飲みこんでいた。
「おわああっ! お前、俺のおかずの煮干しだけじゃなく、かまぼこまで! どういう了見だ、こらあ! もうここで食ってやるぞ」
ピヨに向かって怒鳴ると、人の気配が間近にきたのに気づいた。
魚屋の親父が笑みを浮かべながら、俺に店頭で焼いていた、ししゃもをくれる。
かまぼこより、ししゃものほうが好きだし、美味いし、今日のところはピヨを許してやろうと思った時だ。
「おい、ボロス。なんか面白いものを連れているじゃないか」
ドスのきいた声に気づいて顔をあげると、そこには他の猫たちより体格のいい黒猫がいた。