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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

小話シリーズ

求婚

誤字脱字報告、矛盾点の指摘や感想等は不要です。

 私にはやる気がない。というか無気力だ。

 何についてやる気がないかというと、生きること、だろうか。かといって自ら命を絶つのも面倒。殺されるのもなんか嫌だしただ惰性で生きているだけだ。

 実は私は一五〇年前にアーデルハイドに召喚された異世界人だ。召喚されるにあたり体の変換が必要らしく地球での私は死んだことなり、新しく用意された体と地球の神からもらったテンプレよろしくチートで、私は召喚された理由である魔王をいとも容易く倒し世界に平和をもたらした。

 その後世界中から賞賛され召喚者であったアーデルハイドの王子に求婚されたが、私は政治に利用されるのは嫌だったし王子のことを特になんとも思っていなかったため断った。

 魔王を倒しに旅に出る前にも神殿で神子として暮らさないかとも、騎士団長にならないかという話もあったけど、送還の術がないと召喚された時に言われていたし、ならばせっかく異世界に来たのだし役割も終えたため解放されたかった私はすべて断ったのだ。自由になりたかった。

 私にとっては勝手に人の人生を歪めて利用することに何の疑問も持たない人達の理不尽な世界。でも、平民と呼ばれる人達はその上の人達よりもずっとまともだったし田舎にいけば行くほど人が良かった。

 この剣と魔法の世界は最初のころは私にとっては楽しかった。魔王を倒した後にも利用されるのは嫌だった私はその全てを断った後、そっと姿を変える術を使って王城から抜け出して、それからは念のため性別と姿を変えたまま一〇〇年間旅をしながら主に田舎で過ごした。

 魔法が使えてチートだったこともあり、数年経たずにギルドでは最高位であるSランクにすぐになってお金持ちになったし、そのお金でのんびり暮らすことが出来た。お世話になった村にいくつもの設備を整えて皆喜んでくれた。それで私も嬉しかったし幸せだった。

 でもそんなのはその一〇〇年で飽きた。友人は私をおいて老いていくし死んでいく。親しかった人達がいなくなっていくのをただ見ていることしかできない私。性別を戻して自分の子供を作ることも怖かった。

 最初はチートは楽しかったけど老いることも死ぬこともできなくなってしまった私は孤独になった。そして田舎の村の人達も変わってゆく。

 ここで暮らすのもたぶんそろそろ潮時なんだろう。そう思った私は村を出ることにした。

 私がこの世界に召喚された時は十七才で怖いものなんてないっていう、いわゆるその年代お得意の完全無敵な女子高生だった。

 帰宅部でゲームと漫画をこよなく愛している所謂オタクというやつで、数多くあるラノベも愛読書。

 そのラノベでもよく勇者召喚が流行っていたが、王道の通りにいく主人公もいたし逆に敵になったり逃げ出したりする主人公も書かれていた。

 私の場合は王道。そしてエンディングとその先は先ほど話したとおり。

 なぜ私は死ねなくなってしまったのだろうか。このままただ生命活動がされているだけ。これは死ぬよりもきついことだ。せめて自我がなくなってしまえばとも思ったが、私のチートは精神さえも強靭にしてしまっていた。飲まず食わずでも生きていけるこの体、いらないのに捨てることもできないのだ。

 最初に話したとおり私にチートをくれたのは地球の神だった。なんでも地球での体のまま召喚されると世界が壊れてしまうらしい。よく分からないが地球はこの世界よりもかなり上位の世界だったらしい。

 召喚先の世界でぎりぎり適応できる再構築された体の強さを押さえたらしいが、それでも魔王さえも容易く倒せる強さ。望んでなったわけではないのに。

 この世界にも神がいるはずだ。もしかしたら、この世界の神に会えたならこのチートをなくしてもらうことが出来るだろうか。地球よりも下位の神の為、願いが叶うかは分からないが。もし叶うのならば私は人として生を終えたい。

 村を出た私はこの世界の神に会う方法を探すことにした。


「ここが一つの神殿」

 私はこの世界にある唯一の神殿に来ていた。神を祀る場所で以前私が神子として暮らさないかと誘われたところだ。

 見た目は古代に栄えたパルテノン神殿のような大きな柱で支えられた建造物で、かなり大きい。

 私は他の巡礼者に倣って入り口の前で跪き一例してから中へと入った。

 やはり神殿というに相応しく、中に入ると外界と遮断されしんと静まり返っている。奥の祭壇手前で巡礼者達は皆一様に膝を折り曲げて座り頭を垂れて一心に祈りを捧げていて、私だけが場違いだった。

 祈りを捧げている巡礼者達とは別に神殿の右手奥から中庭、聖木(せいぼく)を参拝出来る為に行列が出来ており、私はより神に近づけるはずと考えて並ぶことにした。

 ゆっくりと少しずつ進んでいく順番。たった一〇〇メートルほどの距離だったが二時間かかってようやく私は聖木の前まで来た。

「これが聖木」

 神殿の中庭に幹や葉まで全てが銀色でできた大きな木。見るからに神々しい。

 半径五メートルほどの距離に鎖で進入を防ぐ柵があり、聖木の落ち葉を神殿の神官が布施との引き換えに巡礼者に渡している。私もその落ち葉を布施と引き換えに一枚もらうと、とくに何の反応も示さなかった聖木を後にして神殿を出ることにした。

「結局無駄足か」

「もし」

 はあと溜息をついて独り言を呟く私だったが、もらった聖木の落ち葉を指先でくるくる弄んでいると誰かからか声を掛けられた。

 背後からしたその問いかけに名に用かと振り向くと、私ははっと心臓が止まりそうになった。

「ハイン」

「ハイン?」

 振り返った先にいたのは過去に私を召喚したアーデルハイドの王子、ハインリヒに瓜二つだったのだ。それに声色までそっくりだった。着ている服は王子のものではなく神殿の神官のものだったが。

「誰かとお間違いになられてませんか、俺はリヒテンストといいます。貴方のお名前もお聞きしてよろしいでしょうか」

「あ、私は……朱菜(しゅな)

「シュナさんですか。呼び止めてしまい申し訳有りません。こちらを落とされませんでしたか」

 リヒテンストと名乗った男性はそう言うと右手の掌に髪留めを乗せて差し出してきた。碧玉が付いた髪留めで、それは確かに私も持っている品。

 確かめるために一括りにしている髪の根元を触ると髪留めが付いていなかった。紐で縛った後に飾るために付けていたのだが、いつの間にか外れて落としていたらしい。

「すみません、私のです。拾っていただいて有難うございました」

「いえ、すぐに持ち主が見つかり良かった」

 リヒテンストはそう微笑みながら言うと私の手を掴んで髪留めを乗せた。あまりにも瓜二つの懐かしい人物に会ってしまったためか、私は普段ならば人に接触される素振りがあれば無意識に避けるのだがそれすらも出来なかった。

 そのせいで二度驚くことになった私はただ呆然とリヒテンストの顔を見ていることしかできなかった。

「どうかしましたか? 俺の顔になにかついてますか」

 しばらく凝視していたからか苦笑いをしながらリヒテンストに聞かれ、私ははっと我に返る。

「いえ、すみません。リヒテンストさんが懐かしい人とあまりにも瓜二つだったので。お気を悪くされたましたよね」

「そうですか。懐かしいと感じるほどの顔なのでしたら、もう少し見ていただいて構いませんよ」

 目を細めて微笑むその顔はやはりハインリヒと全く同じ。

 かつて私をこの世界に召喚し利用した後に求婚してきた王子。あの時私は誰も信じることができず穿った見方を信じていたが、今のリヒテンストとハインリヒは全く同じ表情で微笑んでいた。

 もはや今更だが、もしかしたらあの時のハインリヒも二心なくただ私という個人を望んでくれていたのかもしれない。しかし、やはり今更は今更で過去に戻って確かめる方法もなく、ただ単に過去を少しでも美化したい私の弱い心がそう思わせようとしているのかもとも思う。

「いいえ、もう大丈夫です。懐かしい過去を思い出しました。少しだけ暖かくなれましたので十分です。有難うございました。では私はもう行きます」

 けれどあの微笑を今と同じような優しさの篭ったものと同じと感じることができただけでも、過去の私が数ミリは救われた気がした。それだけで十分だ。驚いたが私には感傷に浸るのは好ましくない。頭を振って断り、私はリヒテンストに別れを告げて立ち去ることにした。

 今日はここ一つの神殿がある中立都市の宿に泊まり、明日またどこかへ旅立つとしよう。

「――――」

 私はそう考えながら予約している宿へ向かっていたため、背後で私を見送っているはずのリヒテンストの呟きが耳に入ることはなかった。

「今日は少し疲れた。神に会う手立ても見つからないし、あるのはこの落ち葉だけ。枕元に置けば夢であえるかな」

 宿の部屋でベッドに腰掛けて落ち葉をまた弄んでいた私はそう言って笑うと、試しに実行してみることにした。

 軽く湯浴みも済ませ腹も食べなくとも死なないが、用意されていたため食べたので久々に腹が苦しい。世も更けており後は眠るだけだ。私は枕元に落ち葉を置くとベッドへ入り目を瞑った。

 そうして深い眠りへと落ちていったはずなのだが、何故か私は豪華な一室に立っていた。


 この部屋には既視感があった。懐かしい顔を見たからだろうか。この今私が立っている部屋はアーデルハイドの王子であるハインリヒの自室だった。おそらくこれは夢なのだろう。今日のことがきっかけで夢に見たのか。私はそこまで気にしていないはずだったのだが深層意識ではそうではなかったのかもしれない。

 鮮明に家具や小物まで詳細に描き出されたこの部屋。こう来てしまってはもうこの夢では大人しく浸るしかないのだろう。

 私はハインリヒの自室に一人立っていて、夢なのだからともう存分に感傷に浸ることにした。

 見渡してみると本当に懐かしい。あの窓際の小卓にある花瓶は私の不注意で割ってしまうところだった物と同じだ。アーデルハイドの国花であるリリスの柄が描かれており、花の色はハインリヒの貴色である青。

 傍にいたハインリヒが間一髪で落ちた花瓶を掬い割れずに済んだのだが、あの時のハインリヒは花瓶が割れてその破片で私が傷つかないかということの方が重要だったらしく、怪我がなくて良かったとほっとした表情で笑っていた。

 花瓶は国宝級の大変貴重な素材と顔料でできており、この花瓶一つで公爵家クラスの豪邸が建つほどの価値があるとメイドに後で聞いた私はぞっとしたのを覚えている。

「私が怪我してもすぐ治るのに」

 もしも怪我していても私は病気には罹らないし傷ついても自然治癒力が尋常ではないほど早く、切り傷なら数秒で治ってしまうほどだ。それなのにあの時のハインリヒは、それでも切ったら痛いだろうと悲しそうにしていた。

 花瓶から目を逸らして棚に目をやるとワイングラスが綺麗に並べられていた。

 並べられているうちの一つに飲み口が花のように波打っている飾りグラスがあった。

「これで初めてお酒飲んだんだ」

 可愛らしい淡いピンク色のワイングラスを気に入った私に、ならばそれでワインをと注いでくれたハインリヒ。彼も対の淡いブルーのグラスに同じワインを注ぎ一緒に飲んだ記憶がある。

 初めてお酒を飲むという私に、飲みやすい甘酸っぱい苺のワインを用意してくれた。そのワインが思いのほか美味しくてついおかわりをせがんで翌日二日酔いになった。

 病気に罹らなくとも二日酔いは別らしい。ハインリヒも止めてくれたが私は酔っていたためワイン瓶を抱えてしまっていた。それを苦笑いして明日知らんぞと言っていたハインリヒに、酔いながら平気と笑っていた私。案の定二日酔いで半日はベッドの人となった私をやっぱりと苦笑いしつつも彼自ら看病してくれた。

 しかもそのベッドはハインリヒの自室で酔いつぶれて寝てしまったために彼のベッドを占領していたのだ。彼の寝る場所を奪ってしまい申し訳なく思ったが、寝顔を見ることができたと笑ってくれた為少し気が楽になったんだ。

 他にもたくさんの思い出が詰まったこの部屋。物悲しくなる。

 あの頃はまだハインリヒを信じていた私。魔王を倒し役割を終えるまでの思い出は全て胸に優しく暖かかった。

 けれど、魔王を倒して世界に平和が戻り王城へ凱旋した私は、ハインリヒから求婚されることになる前日の夜に聞いてしまったのだ。

『勇者を我が国に留めておくにはやはり婚姻が理想であるな』

『しかし王子には公爵家のご令嬢であるサーライナ様がいらっしゃいます。勇者を正妃にするわけには』

『なに、翌年には勇者を側室にしてしまえばいい。理由などいくらでもつけられる』

『もしできなくとも神子や騎士団に取り入れることも可能。勇者の力は我が国のものだ。再度勇者に願おう』

『他国にでも行かれてはたまらんからな。王子には枷になってもらわねば』

『それも王族の仕事』

『わたしなら化け物の相手はご遠慮願いたいものですがな』

『ははは、わしらもだ』

『王子も化け物の相手をするのは大変ですな。ははは』

 役割を終えて今後の身の振り方を考えようと夜の庭園を散歩することにした私。高い垣根で作られた迷路の向こう側でそんな会話が私の耳に入ってきた。

 向うには三人だろうか。聞いたことのある声だ。たしかあの声の持ち主は宰相とその補佐に王の側近だったはず。

 風の精霊が私に声をよく聞こえるように届けてくれた内容は、勇者としての力をアーデルハイドに留めておくための密談だった。

 化け物。仕事。側室。

 王子もこの事を念頭に私によくしてくれていたのだろうか。私自身は王子のことは特に異性として思うようなことはなかった。ただ、召喚者として保護者みたいになってくれていたのだとそう思っていた。

 本当のところはどうなのだろうか。話を聞いた私は王子に聞いてみたくなり、庭園から瞬時に術で自室へと戻った。

 私の使っている部屋と王子の部屋は扉一枚で繋がっており、普段は鍵が掛けられている。だが用があるときは王子側から鍵を外せば行き来できるのだ。

 王子に鍵を外してもらおうと私はその扉に近づくと、王子の部屋からまたしても話し声が聞こえてきた。

 今日は風の精霊がやけに気を利かせてくれる。気まぐれな性質の風の精霊だが私に対していたずらをしても、本当の悪事は働かない。私にとって悪いことはしない。ならば今聞こえているこれも私を思ってしてくれているのだろう。

『わたしくしは嫌です! あのような化け物を側室に迎え入れるなど怖ろしい! 殿下、どうかお考えを改めて下さいましっ』

『サラ、それはできない。勇者はこの国に必要なんだこれからも。俺は彼女を妻とすると決めた。君も受け入れて欲しい』

『そんな! わたくしのことはどうでもよいというのですか。それに今あの化け物が使っている部屋は本来正妃に当てられる部屋。わたくしの部屋です!』

『それは違う。君のこともよく考えて出した結論だ。あの部屋も今は勇者に使ってもらってはいるが他意はない』

『殿下っ』

『サラ、すまない。私は明日勇者に求婚する。受け入れてくれ頼む』

『そんな……っ』

『サラっ』

 側室。やはり庭園での話は本当で王子も承知の上でのことだったというのか。サラとは公爵令嬢サーライナの愛称だ。こんな夜に王子の自室に来ていることからして深い仲なのは明白。

 つまり、役割を終えた私の扱いに皆困っているということか。でも勇者としての力は国の為に必要で。

『あは、帰れればよかったのに。そしたらこんな思いしなくてもよかったのに』

 私は会話をそこで強制的に断絶させた。風の精霊は私を心配して本当のことを教えてくれたのだろう。私は床に座り込んだ。明日勇者に求婚する。王子はそう言っていた。

 思えばこの世界に来てから誰も私の名前を呼んでくれなかった。王子以外は。王子以外は畏怖の表情で私に接していた。それをいつもそんなことはないと王子が言ってくれていたが、今の会話では王子も私のことを勇者と言っていたではないか。それが全てなんだろう。

『あはは』

 なんだか可笑しくなったのだろうか。笑いながらも目からは涙が止まることなく流れてくる。もうここには居られない。

 けれどせめて明日の求婚だけは受けておこう。返事はノーだが。でなければ、今ここで私が王城から出て行けば捜索されるはずだ。しっかりと断ってから姿を変えて暮らそう。私はそう決めた。

 翌日、ベッド脇の床に座り込んだままで迎えた朝。メイドと共に王子が私の部屋へ入ってきた。座り込んでいた私に心配そうに大丈夫かと聞いてきたが、笑顔で寝ぼけて落ちたと言えば王子は笑っていた。その後、後で話があると言われ私は分かったとだけ答えた。

 王子はそれだけ言いに来たと部屋を出て行き、残ったメイドは私の存在を無いものとして黙々と仕事をし終えて部屋から去っていく。その間私はただ部屋の窓際に立ち外を眺めていた。

 それからしばらくして王子が再びやってきた。ああ、これから求婚されるのだろうなと私は無感情で手に何かを持っていた王子を見た。もう私は王子のことを信じることはできない。

 私の前で跪き、手にしていた宝石をあしらった指輪を差し出した王子が何かを私に言っている。おそらく求婚の言葉でも囁いているのだろう。だが私は風の精霊に力を借りてその声を聞こえなくしていた。

 話が終わったのか王子は私からの返答を待っているようだ。口を閉じて見上げてくる。

 そこで私は首を横に振り謝罪した。なんて言ったかまではよく覚えたいない。ただ、求婚の断りと国に敵対しない意思を伝えたというのは覚えている。その時の王子の顔も、よく覚えていない。私はそれだけ伝えるとその場から術で転移して逃げたのだ。

 それから私はすぐに術で姿と性別を変えて旅をした。求婚を断りすぐに逃げたために数年は捜索隊が組まれていたらしく、時折その隊とすれ違ったり噂を聞いたりした。けれどばれることはなかった。

 ギルドに登録して依頼をこなしたり、その後辺境の田舎で暮らしたり。私ではなくなった私は楽しんだ。この世界に来て自由になって楽しかった。けれど最初に話したとおりそれも飽きたのだ。

 私は年を取らなくて、私の周りの人は私を置いていく。それを幾度も見送っていると次第に私を受け入れてくれた人々も当然減り、奇異の目、畏怖の目が増えてくる。一〇〇年こちらの世界に来て過ごしたが、そろそろ限界で私は長年暮らした場所を離れた。その後五〇年場所を転々としながら他人と深く関わる止めて今に至る。

 私は王子のことが好きだったのだろうか。だから唯一心を許していたのだろうか。そして、騙された、裏切られたと知ってこうなってしまったのか。初恋もまだだった私には分からない。


 夢の中でどれだけ長い間感傷に浸っていたのだろうか。やっと今現在まで辿りついた私は未だ覚めぬ夢の中に居た。

「あの時の言葉をもう一度聞いてくれないか」

 以前と同じように窓際に居た私の背後から声が掛けられた。まるでまだ王城で暮らしているかのような自然さで。

「ハイン……いや、リヒテンスト、さん」

「シュナ」

 背後から私に声を掛けてきたのは今日髪留めを拾ってくれたリヒテンストだった。だが、まるで王子本人であるかのように私を呼び捨てで、その表情も声色も立ち姿もなにからなにまでそっくりでそこにいた。

 私の名を呼び一歩一歩近づいてくる。夢の中のはずなのに五感はやけに現実味を帯びていて、私との距離があと一歩というところで立ち止まるとリヒテンストは私の両手を掴んできた。

 夢じゃ、ない。掴まれた両手に感じる感触と体温に私は驚いた。それにいつの間にか宿の部屋へと戻ってきていた。

「どうして、ここに」

「やっと会えた。探していたんだずっと、シュナ」

 探していたとはどういうことだろうか、これはまだ夢の続きで勇者の捜索隊がまだ組まれていたということか。けれど私がいるのは一つの神殿がある中立都市にある宿の一室で、ベッドに入って寝ていたはずなのだ。

 だが今は何故か私は立っていて目の前にはリヒテンスト。そして探していたという。何か言い忘れていたことでもあったのだろうかとも一瞬考えたが今は真夜中で部屋には確かに鍵を掛けていた。

 ならばどうやってこの部屋に入ってきて、それ以前にどうやって私の居場所を突き止めたのか。探したとは、そこまで執念深く探すほどのことなのだろうか。たった拾い物をしてくれただけなのに。

 突然のことで困惑していた私はそんなことを考えながらリヒテンストを見上げると、その雰囲気からはその時の事ではないと分かった。

「あの時の言葉?」

 そうだ、それにリヒテンストはそう言っていた。私が今まで見ていた夢と関係があるのなら、おそらくその言葉とは求婚の時の言葉。

「貴方の剣となれなくとも盾となることはできる。生涯貴方に降りかかる厄をこの身で受け止め、貴方を守ることを誓おう。貴方の心に安寧を、貴方のかんばせに微笑を。どうか俺の妻になってほしい」

 リヒテンストが跪き、この世界での求婚の言葉を紡ぐと私の両手の指先に口付けをした。

「なぜ? どうしてリヒテンストさんがそれを私に」

「俺の魂は貴方を見失った後停滞したのだ。ハインリヒの体が朽ちても魂の記憶が俺に囁き続けた。二度目の生まれ変わりを得てようやく巡り会えた。今の俺はリヒテンストという名だが、ハインリヒでもある」

 停滞? どういうことだろうか。それに生まれ変わってもハインリヒの頃の記憶が残っていると? 何故。私のことなど利用するだけの道具と同じだったはずだ。こうまでしてもまだ私を利用するつもりなの。

「私はもう利用されたくない。道具じゃない! 勇者になんかなりたくなかった! 普通の人として生きていたかった!」

 もう嫌だ。私は叫んでリヒテンストの手を振り払った。今まで言いたくとも言えなかったことを大声で叫んだ私はなにかが吹っ切れたような気がした。

 そんな私を辛そうに見てくるリヒテンストを見ると腹が立ってくる。大体、何故私なのか。他の誰でも良かったではないか。王子が私を召喚したせいで私の人生が狂ってしまった。いくら魔王にこの世界の人達が苦しめられているとしても、そんなもの違う世界の私には全く関係のないことだ。

 なのに他力本願よろしく勝手に召喚し勝手に体を作り変えられ勝手に役割を押し付けた。突然召喚されて情に流された私は役割を全うしたが、それだけでは足らないというのか。

「あんたのせいだ! あんたのせいで私は人じゃなくなった! あんたのせいで帰れなくなった!」

 だんだんあの頃の気持ちが蘇ってきたのか、ここ五〇年感情を出すことなどしなかったのに溢れてきて止められない。とにかく目の前の私を召喚しこんな目に合わせた元凶のリヒテンストに苛立った。

 私がこんなに憤って叫んでいてもリヒテンストは辛そうな顔をしたままで。私はそれも嫌でリヒテンストの胸板を叩いた。

「私が、勇者の力がアーデルハイドから出ることが怖かったんでしょ! だから私を囲う為に求婚までした。本当は私のこと気持ち悪かったくせに!」

 ぼろぼろ涙まで出てきて視界がもうはっきりしなかった。今まで溜めに溜めてた涙の柵が一気に決壊してしまったかのようだ。一〇〇年間の間での生活で親しい人が死んでもここまで泣かなかったのに。

 けれど、それも当然なのかもしれない。なぜならその間私は性別や姿を変えて素の自分で他人に接したことなど一度もなかったのだから。

 私が唯一素で接していたのは、まだ信じていた頃の王子だけだった。

「私だって好きでこうなったわけじゃない!」

 最後に一番言いたかった言葉を叫んで私は胸板を叩くのを止める。一五〇年かけてやっと口に出せた。涙も途切れる。

「俺に贖罪をさせてほしい。そして、もう一度だけ俺を信じてくれ。シュナ」

 全てを吐き出した私に、リヒテンストがそう言ってきた。贖罪? 今更? しかもまた、信じる?

「そんなことできるわけない。許せない」

 だって最後に私に止めを刺したのはリヒテンスト、王子、貴方だ。

「私は聞いたの。全て。ハインが私に求婚する前日に。庭園で私を囲う為の密談と、ハインの部屋でサーライナと貴方が話していたことを」

 リヒテンストがはっとした顔で私を見る。やっぱり未だに私のことを騙そうとしていたんだね。

「他国に勇者の力が渡ることの恐れ。私を留める為にハインに求婚させ繋ぎとめる。断っても神殿で神子として、もしくは騎士団に迎え入れる。宰相らはそう話していた。そして貴方とサーライナ。私を側室にするのを最後まで反対し力を恐れていたわね。貴方も国の為か私を娶ろうとしていたけど、宰相らもサーライナも貴方も、この世界の人達は皆私のこと勇者って呼んでた! 私の力だけしか興味がないから!」

「それは違うシュナっ」

「そう、シュナ! 私の名前を呼ぶのは私を前にしている時だけ! 居ないときは勇者と言う! 私を一番騙していた貴方が一番許せない!」

 ようやく止まっていた涙がまた流れる。信じていたからこそ悲しかった。私にはこの世界ではハインしかいなかったのだと今更気づかされた。なんとも思っていなかったはずなのに、知った今では裏切られたと感じたことがとにかく辛くて悲しかった。絶望したのだ。これから先の未来に。

「違うんだシュナ。頼む、話を聞いてくれ!」

「嫌だ! もう傷つきたくない!」

 お願いだからこれ以上私を追い詰めないで。でないと私こそこの世界の魔王となってしまう。全てなくしてしまいたくなる。

 私は何も聞きたくないと耳を塞いで蹲った。もう部屋から出て行ってほしい。早く私を一人にしてほしい。また無感情でいられるように。

「……わかった。俺は消えるから、最後に話を少しだけ聞いてくれ」

 蹲っている私の前にしゃがみ込んだリヒテンストは塞いでいた耳を外しそう言ってきた。どこかへ行ってくれるのならと私はそのまま聞くことにした。このまま転移してしまえばとも考えたが、これ以上また探されてもかなわないと思い、聞くことにしたのだ。

「もう一度だけチャンスをくれないか。必ずシュナに辿り着くから。それができたら信じてほしい。俺はシュナを愛している」

 リヒテンストが真剣な顔をして目を見てそう言うと、研ぎ澄まされたナイフを私に握らせてリヒテンストの心臓へと導いた。

 私は突然の告白に導かれるままリヒテンストの心臓をナイフで貫いた。じわじわとだが勢いよく溢れ出てくる大量の血に恐怖が湧いた。

 勇者に殺されたものは魂までも消滅する。私が刺されてもいないのに一気に血の気が引いた。私に倒された魔王は永久に蘇ることは無い。勇者の力で魂まで消滅させたからだ。

 たった今私に刺されたリヒテンストは――

 青褪めた私に微笑を向けてくず折れるリヒテンスト。もう手遅れだった。床に倒れたリヒテンストは既に事切れており、次第に体も冷めていく。

「あ、ああ」

 床に広がる血はしゃがみ込んでいた私の服も赤く染めていく。

 無駄なことだと知っていたが、私は思わずリヒテンストの体をかき抱いて癒しの術を施す。結果、傷跡と血だけが消えただけだった。微笑んで死んだリヒテンストはただ眠っているだけに見えて、手の込んだ冗談なのではないかと錯覚するほどだ。

 けれどやはりもうそこに魂はない。消滅してしまったのだ。

「なんで……ハイン」

 かき抱いた体に顔を埋めて理由を聞くが応えはない。私はしばらくそうしていたが、顔を上げて立ち上がった。

「あは、チャンスなんてないよ。だってもう消滅しちゃった」

 乾いた笑いをして床に置いたリヒテンストの亡骸を見下ろすと、このままにしてはおけないしどこかへ埋葬することにした。


 それから三〇年が過ぎた。私は一つの神殿がよく見える丘にリヒテンストを埋葬して毎年来ることにしていた。

 ギルドでの依頼もこの時期は長期のは受けないことにしている。何故かリヒテンストのあの言葉が忘れられなかったからだ。

 チャンスを。

「……チャンスをあげるから、言い訳しに来てよハイン」

 毎年墓標に額を付けてそう言う私に返答があったことはない。もうこれで三〇回目。あと何回やったら私は気が済むのだろうか。

 信じられないと言い切った私に揺るぎが出ている。魂の消滅をしてまで私に伝えたかったこと。そのことが私の心の壁にひびを入れているのだ。

 風の精霊はいたずらはするが本当の悪事は働かない。そういう存在だからだ。

 あの時私は強制的に会話が聞こえてくるのを断絶させたが、風の精霊はしばらく心配そうに私の周りを漂っていた。もしかしたら他にもなにか別の意味があったのかもしれない。そうとまで考えるようになってきていた。

「あーそういえば私ってもう一九七歳じゃん。すっごい長生きだわ。もっとも死ねないし不老だしで年なんて意味なくなってるけどさ」

 墓標に寄りかかって空を見上げると澄み渡るような青空が広がっていて、そういえば何十年もこうしてゆっくり空を見上げることなんてしなかったなと今更だが思った。

「中身はよぼよぼのおばーちゃん」

 生きる屍のようだった私だが、ここ三〇年は少し人らしい感情が戻ってきたと自分でも思う。それも全てリヒテンストのおかげだろう。宿で全てを吐き出したから私はまた少し笑えるようになった。

 でも本当に笑える日はくるのだろうか?

 私は今になってようやく好きだったと自覚した。余りにも遅い自覚だったため、自分で自分に笑った。でも気づけただけで私にとっては幸せで。これからも永遠の時を生きる私にも好きになった人がいたということが嬉しかったのだ。

 そう、永遠の時を生きる。それはつまりこういうことなんだろうか。

「神にも結局会えてないし、逆に私がこの世界の神なんじゃねって思うようになってきたよ、はあ」

 もしかしたらこの考えもあながち間違いでもないのかもしれない。上位世界から神のようなチートの私が来たことによって、この世界の神の存在を私で上書きしてしまったとか。創造魔法まで使える私。もしかして恋愛に続いてまたしても気づくの遅過ぎたのか。

 え、じゃあ私は女神ってことになるのか。いいのかこんな平凡な容姿の私が女神で。黒目黒髪で中の中を地で行く私。力だけがありえないくらいのチート。そう考えたらなんだか急にこの世界の生き物達に申し訳なくなってきた。しかも鬱ってたし。

「美人でなくてすみません」

 誰にとも無く謝る私。なんだかこれじゃ可笑しな人だ。良かった他に人がいなくて。そう思っていると。

「美人だと逆に俺が不安になる。それにシュナはそのままでも十分可愛い」

 幻聴か、風の精霊のいたずらか。私にとって都合がいい言葉が聞こえてきた。ぶんぶんと頭を振って幻聴を追い払おうとするが、幻聴は更に続く。

「チャンス、くれるよねシュナ?」

「ハイン?」

 まさか。魂は確実に消滅したはず。存在そのものが消えたのに。私は振り返った。

 そこには、青年が立っていた。その見た目は。

「愛しているんだ、シュナ。信じて」

「あ……」

 私の目から涙が零れる。

「貴方の剣となれなくとも盾となることはできる。生涯貴方に降りかかる厄をこの身で受け止め、貴方を守ることを誓おう。貴方の心に安寧を、貴方のかんばせに微笑を。どうか俺の妻になってほしい」

ここまで読んでくださった方、本当に有難うございました。

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