A.ちょうど良く冷めたコーヒーを飲んだ
「そうですね。確かに難しいかもしれません。人の心って。でも、患者さんは直したいって意思を持ってここに来られてるんですから、その意思を尊重するべきだと私は思うのですよ」
神村の話を聞きながら、熊谷はめまいを感じていた。
もしかしたら先程飲んだコーヒーに何かは言っていたんじゃ、そこまで思考が歩いて来た所で、足を止めた。
熊谷は机の上に突っ伏した。
「そう。例えばそのコーヒーだって飲まないっていう選択肢だってあった訳です。自分の意志で飲まれたのですから、その意思を尊重しなくてはですね」
神村は動かない熊谷を見つめ、にやりと笑う。
熊谷がうめきを上げた。
目が覚めた熊谷はしばらく机の上を見つめた後、状況を把握するためか、周りを見回す。
そして、神村と目があった。
しばらく二人は見つめあった後、熊谷は視線を机の上に戻した。
「好きだ!」
「・・・はい!私もです!」
「君が好きなんだー!」
そう言って、熊谷は机の上にあったカルテを抱きしめた。
「は?」
呆気にとられた神村は思わず素っ頓狂な声を上げる。
「ああ、ごめんよぉ。思わず抱きしめて君をこんなによれてしまって。ああ、なんてみだらな。すぐにしわを伸ばしてあげるからね。アイロンなんてあったろうか。いや、待てよ。アイロンなんて当てたら熱くて仕方ないよね。でも、だったらどうやってしわを伸ばしたらいいんだ?手で?でも、それだと限界が・・・ど、どうしたらいいんだーーーー!!」
「・・・目を覚まして初めて見たものに恋に落ちる。でも、湖面に映った自分の姿にさえ恋に落ちる訳だから、別に恋に落ちる相手が人間じゃなくても良いって訳?」
そんなぁ、と落胆の声を漏らす神村。
惚れ薬をコーヒーに混ぜ、一夜の間違いを、ぐふふと画策していた神村は絶望の底にいた。
「そして、これも用済みになる訳だ」
神村が取り出したのは証拠を残すために用意してきたデジカメ。
意味も無くパシャリとフラッシュをたき、カルテに頬擦りする熊谷を撮る。
「ふなーーーーー!!!」
「な、なんです?熊谷先生、大きな声出して・・・」
「だ、駄目です!神村先生。この子を撮っちゃ。確かに彼女にペン先を突き付け、純潔を奪ったのは、この私です。こんな私が言うのもおかしな話なのかもしれない。けど、敢えて言わせてほしい。私色に染まり、穢れた彼女を撮らないでくれ。彼女はいつまでも純白のままのきれいな姿でいて欲しいんだ。分かってる。これが私のわがままだってことは。でも・・・」
必死な熊谷の様子は憐れみさえ感じる。
だが、神村は再度カメラを熊谷に向け、構えるのだ。
「・・・まあ、確かに失敗しましたけど・・・でも、これはこれで・・・」
「お願いですぅ。神村先生ー。この子だけは撮らないでやってください。撮るなら私を。この罪深い私が身代わりになりますからぁ。この子には何の罪も無いんです。許してやってください。お願いですぅ」
すがりつく熊谷に向けて、神村はシャッターを切る。
「ごめんなさい、熊谷先生。私、変な趣味に目覚めそうです」
そう言って、神村は泣きながら懇願する熊谷の写真を容赦なく撮り続けるのであった。