無勝のギャンブラー
男は、昔から運が悪かった。
商店街のガラガラでは常に白玉で、くじ引きやガチャなどで当たりが出たこともなく、じゃんけんですら勝ったことはない。当然、何かの間違いで当たらないかと年末に毎年買っている宝くじでも、下一桁が当たることさえなかった。
そんな、運の女神に嫌われているとしか思えない男が、働きもせずボロボロのアパートでゴロゴロと寝そべっていると、ふと思いついた。
…………もしかしたら、これで大金持ちになれるんじゃないか?と。
この、人工的な明かりで街一帯が覆い尽くされた大都会。
真夜中であっても喧騒が絶えず、道行く人は皆生き生きとした表情でストリートを歩いている。
そんな眠らない街の中心に堂々と位置するカジノでは、今夜も熱い勝負が繰り広げられていた。
「ジャックポット……ジャックポット来い!!」
「ベットをお願いします」
「……プレイヤー」
「…………プレイヤー、9。バンカー、8。プレイヤーの勝ちです」
「……ほう」
「レイズ、1500」
「……冗談だろ?」
「冗談かどうか、確かめてみるか?」
「…………チッ、フォールド」
「賢明な判断だな」
喚声、華やかな機械音、小気味よくテーブルを行き来するカードの音。
煌びやかなネオンに照らされたその場所で、たった一夜にして動く莫大な金。
その光に魅せられ、夢を見た数多のギャンブラーが集い――そしてそのほとんどが消え去ったこの場所に、今夜も一人、足を踏み入れようとする者がいた…………。
「支配人、例のです」
「……来たか。あれの準備をしておけ」
「……はっ」
部下にそう命じた支配人の女は、フロアを映すモニターから目を離し、エントランスの映像を注視した。そこに映るのは、広々としたエントランスで黒服からのチェックを受ける、質のいい服に身を包んだ東洋人の男。
「【……いつものです。どうしますか?】」
「【構わん。通せ】」
インカム越しにそう答えるや否や、女は支配人室を後にした。一般客であれば、認めることなど決してない撮影許可をあっさりと出し、女はその足で男のもとに向かう。
月に一度、カジノに現れては賭場を荒らしに荒らす――訳でもなく、むしろ無一文にされるも懲りずに何度も挑み続ける――そんな、無勝のギャンブラーのもとへと。
「ご遊戯中失礼致します。私は、当カジノの支配人を務めておりますベズラシアと申します。日頃より、当カジノをご愛顧いただき誠にありがとうございます」
女がスロットマシンで遊ぶ男に声を掛けると、男は手を止めてこちらに振り返った。
「え、あっはいどうも……っす。……あの、何か問題が……?」
「いえ、滅相もありません。ただお客様が気になったもので、つい」
「……はぁ」
そそくさとスマホを背後に隠す男に構わず、女は続けた。
「それで、いかがでしょうか。今夜のご調子は」
「まあ、スロットは見ての通り……っすね。揃うどころか、リーチすらしなくて……あ、さっき一回リーチはしたんですけど、台が故障したとかなんとかで暗転しちゃったクソ台が…………あっすいません」
「いえ、お気になさらず。そういう日もあるでしょう」
「そういう日しかないんすけどね…………まあ、お詫びとしてさっきいくらかチップもらったっすけど、ブラックジャックじゃすぐにバーストするわ、バカラじゃ負け続けるわでもう散々っすよ……はは」
ぼんやりとした目で笑う男に、女が口を開こうとして――耳元の「準備できました」という声に一度言葉を飲み込み、ごく自然に言った。
「…………でしたら、VIPルームなどはいかがでしょうか?」
「すっげえ…………」
「当カジノでも自慢のエリアでございますが、お気に召していただけたようで何よりです」
一般フロアを抜け、その奥にあるVIPエリアに男を案内した女は、辺りを見回す男に畳み掛けるように続けた。
「そして、本日はお客様のために特別な遊戯をご用意致しました。あちらをご覧ください」
「え、なんすかあれ」
「0から999までの、合計1000個の数字が並んだ巨大ルーレットです。一点賭け時の倍率は、999倍」
「9、999倍!?そんなん当たりませんって!」
「いえ、運は収束するもの。お客様がこれまで負け続けてきたのも、今日この日のためかもしれせん。生粋のギャンブラーであるお客様であれば、きっとご満足いただけるかと」
「……まあ、やるだけやってみますけど……」
女は深々と頭を下げ、複雑そうな顔でディーラーのもとに向かう男を見送った。
「……支配人。指示通り準備しましたが、本当に必要だったんですか?」
いつの間にか横に立っていた部下に、顔を上げた女が男に目を向けたまま答える。
「ああ、ご苦労だった」
「……理解できません。あんなに負けが込んでいる男に『ルーレットを操作しろ』なんて。それに、あの男も毎回毎回どこからそんな大金が――」
「確かに私は操作しろとは言ったが、負かすとは一言も言っていない。むしろ逆だ。大勝ちさせる」
「…………………………は?そんなことをして一体何のメリットが――」
「私はここ数ヶ月、あの男の資金源について調べていた。多少着飾ってはいるが、中身は凡夫そのもののあの男に、それほど稼げる能力があるとはどうしても思えなかった。汚い金であっても困るしな。そしてつい先日、これを見つけた」
素早くスマホを操作し、女は部下に画面を見せつけた。ぼそぼそとした声だが、音量を最大まで上げるとそのスマホからは――
《いやーみんなやばくないこれ999倍だよ999倍!10万入れたら……大体1億!》
「これは……配信ですか?って二百万人も見てますよこれ!?」
スマホからは、あの東洋人の男の浮かれた声が聞こえてきた。先ほど隠す素振りを見せたのも、配信をしていることを隠すためだったのだろう。二百万人も見ていれば、それだけで大きな収入となることに違いない。
だが――
「…………金の出どころは分かりましたけど、どうして勝たせる必要が……?」
「見ていれば分かる」
「?」
《まあ、勿論男なら一点賭けだよね。じゃあ、いつも通り賭けやりまーす。『当たる』か『当たらない』に好きな額賭けてください!まあどうせみんな『当たらない』に賭けるんだろうけど》
「え、賭け……ですか?」
「そうだ。そして――」
「うわ、金額が『当たらない』に集中して……八億……九億……十億…………え、『当たる』に十億ドル……?」
「無論、私だ」
《おお!すごい勝負師がいたもんだ!じゃあそろそろ締め切りまーす。番号はそうだな……なんとなく964に1万ドルでいこう!》
「奴がルーレットに『当たる』ことで、私はこの連中から十億ドルを頂ける。一般客であれば門前払いだが……金払いのいいVIPだ。撮影なんぞいくらでも許可するさ」
「【起動準備、完了しました】」
「【よし。あの男に勝利の蜜を味わわせてやれ】」
「【了解】」
そうして、話を聞いていたディーラーがボタンを押す。すると、ホイールが回りボールが転がっていった。転がったボールは円盤を回り続け、ポケットの仕切りに弾かれ続けたボールの勢いはやがて落ちていき――止まった。
「…………ありえない」
《『当たる』に賭けた方、残念でした!結果は571です!いやあ、これまでで一番すごい勝負で――》
女の手からスマホがこぼれ落ちる――が、もはやそんなことは気にも留めなかった。
「【…………ルーレットの操作はどうした!もはや誤差どころの騒ぎではないぞ!!】」
ルーレットは、ボールの軌道、角度、速度に至るまで全てを緻密に計算した上で初めて発射されるようになっている。多少計算がずれたとしても、ポケットがずれることなどありえるはずがない。
だというのに――571?
「【そ、それが……】」
「【……何だ。言ってみろ】」
「【そ、その……ボールが発射されたタイミングで装置に不具合が起きたらしく……ホイールの回転がその……制御から外れてしまったようで…………】」
「――――」
それを聞いた女――ベズラシアは、その場に立ち尽くすことしかできなかった。
それから数年後。
この眠らない街で、ある噂がまことしやかに囁かれていた。
なんでも、たった一人の東洋人に多額の損失を負わされ支配人が変わった、だとか、その東洋人のせいで店のルールが変わった、だとか、一晩にしてビリオネアに成り上がった男がいる、だとか。
一つとして定かなものはないが、噂を語る人間は皆、その東洋人の男をこう呼んでいた。
――無勝のギャンブラー、と。




