第二章 黒い影(22) 変質(3)
次の目的地はフレンツ川の下流、ドボーグ。そこは再興国バルハドスの圧力を受け、ダミオス以上に切羽詰まって居るはずだった。が、ドボーグはハーディとの考えとは裏腹に平穏だった。
バルハードは戦術に優れ、バルハドスの挑戦を尽く退けていた。
「ダミオスでは戦に出たとか。」
バルハードは笑って見せた。
「ここではその必要はありません。ラック殿が砦を守り、キーン殿がフレンツ川の西岸を巡察しています。変があればすぐに動けます。」
「どこから渡れる。」
バルハードはハーディの声に首を傾けた。
「どこからだったらこの川を渡れる。」
「下流であればどこでも。」
再度のハーディの問いに、バルハードが答えた。
「一鞭当てる。」
「攻めますか・・人数は。」
「今回は俺の部下だけで良い。
但し、後に備えて大軍がこの川を渡河出来る地点をよく調べておけ。」
ハーディは黒鎧を身に着け、面頬を手に取った。
なぜこうなるのかハーディは真っ黒な面頬を見つめて僅かに躊躇した。
「少人数であれば、身の安全が大事です。手伝いましょう。」
バルハードがハーディの背後に回り面頬を着けるのを手伝った。
ハーディが後ろに回す面頬の紐をバルハードが手に取る。と、その紐はウネウネとした触手に変わった。何本にも別れた触手はハーディの後頭部から頸筋まで被った。
今日はハーディは顔の痛みは感じなかった。が、頸筋に何かが突き刺さるのを感じた。
兜を・・だがなにくわぬ顔でバルハードが差し出す兜を被る。
頸筋から侵入した触手が脳にまで廻るのを感じ、それがハーディに爽快感を与えた。
「行ってくる。」
漆黒の鎧兜を身に着けたハーディは背後に声を掛け、バルハードを残し部屋を出た。
砦の広場にはこれも真っ黒な鎧兜の一団が待っていた。その内の一人から“飛電”の手綱を受け取り、馬上の人になる。
フレンツ川の下流に廻り、浅い所を選んで渡河する。川を渡り終えた草原から南に敵が屯するのが見える。
「征くぞ。」
ハーディは低く強い声を後の黒軍団に掛け、馬を奔らせた。人の脚にも係わらず、黒の軍団は遅れることもなくハーディの後に付き従った。
最近、戦闘もなく、のんびりと昼前の時間を過ごしていたロゲニア・・いや今はバルバドスの兵は遠くに見える土煙に慌てた。てんでに弓に矢をつがえ放つ。がハーディが差し出す“風の盾”の前にその矢は尽く落ちた。
守備の為に固まる敵陣にハーディの槍から発する数本の稲妻が落ち、黒焦げの死体が散乱する。
「征け。」
黒鎧の軍団にハーディの冷たく暗い声がかかる。
黒鎧の軍団には矢も剣も槍さえも通用しなかった。
二百人ほどの兵を殲滅する殺戮の時は終わり、ハーディはドボーグに帰った。
「話しに聞きました、槍が雷を発するとか・・その槍を誰に・・・」
「タリスに貰った。」
ハーディは黒鎧を脱ぎながらバルハードに答えた。
「その槍、“雷撃の槍”と申します。
鎧、兜、盾、それにその“雷撃の槍”・・・私も一つ差し上げねば成りますまい。」
バルハードは一本の剣を差し出した。
その剣を手に取り、ハーディは鞘を払おうとした。
「闘いの場でお試しください。その剣は魔をも斬り裂きます。
その時にその剣の真価をお試しください。」
そう言ってバルハードはハーディの手を押し止めた。
ドボーグを出たハーディはミズールを廻ってログヌスに帰った。巡察の帰還は予定通り二ヶ月後、執務室の椅子に座ったハーディをナザルが訪れた。
「戦ったとか・・・」
ナザルは不安そうな眼でハーディの眼を見、ハーディはそれに肯いた。
「戦争には成りませんか。」
「そうせぬ為に灸を据えた。」
そうですか・・・ナザルはハーディが不在の間のログヌスの様子を報告して、暗い顔でハーディの執務室を出て行った。
その日からまたハーディにとって退屈な毎日が始まった。退屈ではあってもハーディの頭を悩ますことは多数あった。
そんなある日、ハーディの元をミズールを治めるロブロが訪ねてきた。
「ミズールでは報告できなかったことをお伝えに・・・」
ロブロはハーディに頭を下げた。
「何の話しだ。」
ハーディが不審な顔をする。
「アイクアリー教のことです。」
きっぱりと言うロブロにハーディは嫌な顔をした。
「ミズールでのアイクアリー教は取り締まり、集会所を壊し、逮捕した者もあり、下火になりつつ在ります。
ですがドボーグでの拡がりはもう住民の半数ほどになり、兵士の中にさえそれは浸透しています。相変わらずこの宗教拡大の中心はキーンです。」
そこでロブロは一息ついき、ハーディの眼をじっと見た。
先を・・と言うようにハーディはロブロに顎をしゃくった。
「エラ様・・エラ様を何とか・・」
ロブロがそこまで言った時、ハーディの眼に怒気が走った。
「エラを殺せとでも言うのか。」
「そうではなく・・」
ロブロは慌ててそれを否定した。
「エラ様の近くには司祭の影があります。
あの司祭・・・」
「私が何か。」
城内の何処をどう通ったのかハーディの前に捕縛されてもおかしくないリュークが現れた。その後にはエラが立っている。
ハーディと白の司祭の目が合った。
「ロブロ、お前にはミズールの統治を任せていたはずだが。
宗教、ましてやエラの詮索は頼んでいない。出て行け。」
ハーディは強い声で言った。
「お久しぶりにお目にかかります。」
ロブロが俯いたまま部屋を出るとリュークは恭しく頭を下げた。
「どうやってここに入ってきた。」
その姿にハーディが音を立てて椅子を起ち上がる。
「私がお連れいたしました。」
エラが取りなすようにハーディに告げる。
「なぜだ。」
「話を聞いて頂きたくて。」
「話しなど・・・」
いつものあの頭痛、今日は特に激しい。ハーディは執務机に両手を突き、倒れんばかりの身体を支えた。
リュークはその姿に掌を向け、ハーディは意識が遠のくのを感じた。
ハーディは自分のベッドで目を覚ました。その傍らにはリュークとエラが立っている。
起き上がろうとするハーディに再びリュークが掌を向ると、ハーディはドサッと起こしかけた上半身をベッドに倒した。
「ご気分はいかがですか。」
ニヤリと笑ってリュークがその姿に声を掛けた。
「平等・・それが私達が信奉するものです。」
何かを言おうとするハーディを抑え、リュークが続ける。
「貴方も平等というものを見てきたはず。それは特に戦場に於いて顕著・・お判りでしょうか。」
ハーディは首を横に振る。
「苦痛、憤怒、悲嘆、それらは誰にでもあるものです。権力がある、金があるからと言ってそれらが軽くなることはありません。
そして平等の最たるものは死。長い短いに係わらず命が絶える時は誰にも訪れます。
それだけが絶対の平等です。」
リュークは尚も続ける。
「人は身勝手です。自身の欲望を満たす為にはどんなことでもする。挙げ句にこの地球が営々として創りあげてきたものに破壊をもたらそうとする。
人はこの地球に巣くう寄生虫なのです。」
今、斬らねば・・ハーディは動こうと藻掻いた。
「貴方は今回の旅でまた人の命を殺めました。
その時何を感じたか・・快感であり爽快感だったはずです。
貴方は人の命に君臨する。
そう言う人です。
我が神は寄生虫を潰す為にある。
神が与えるのは平等なる死。
貴方はその為の戦士なのです。」
ハーディはリュークの呪縛を解き剣に手を伸ばした。
「トグ、この男の中でいつまで眠っているつもりだ。」
リュークの恫喝にハーディの身体が大きく跳ねた。




