第二章 黒い影(10) 種(4)
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ハーディは連れて行った二十人の兵士達とともにログヌス帰って来た。自分の夫、恋人、兄弟、子の帰還に兵士達の家族は喜んだ。
それとは別に、ハーディは五十人の全身を黒鎧で被った戦士達を連れていた。その鎧の戦士達はすっぽりと全頭を被う兜を被り、その顔は人々には見て取れなかった。
兵士を家族の元に返すとすぐにハーディは執務室に入った。そこに待っていたのは沈痛な貌をしたロブロ。
「ポルペウスは・・・」
ロブロはハーディの目を見れなかった。
「何もなかった。
が、お前のその貌・・何かあったな。」
ハーディはロブロの報告を催促した。
ロブロは一枚の紙をハーディの目の前のテーブルに置いた。
「女神ウルヴァシーと言うそうです。」
そこには背に羽根を生やした素裸の女が描かれていた。
「自由と平等を表すそうです。」
「これがリュークの神か。」
ハーディの声にロブロが頷く。
「が、俺の目には、背の羽根が魔物の羽根にも見えるが。」
「それは悪を滅し、悪魔を退散させる為のものだと言うことです。」
お前までが染まったか・・ハーディはロブロの物言いに彼を睨んだ。
「ですが私はそれはアイクアリー教を広める為の隠れ蓑だと思っています。
この宗教は、死をも厭わぬ献身を強要します。
為政者が押さえつければそれに対し牙を剥く可能性があります。」
ハーディはロブロの続く言葉に安心した様に質問を続けた。
「それがどれ程の民に広がっている。」
「この宗教は密をも持っています・・既にログヌスの民の十分の一・・・」
ロブロは目を伏せた。
「それがお前の浮かぬ顔の元か・・・」
ハーディのその言葉に、いいえ・・とロブロは首を振った。
問い詰めるハーディにロブロが訥々(とつとつ)と応えていく。
ミズールでは既に住民の三分の一がこの宗教に染まり、布教の為の集会所が堂々と建てられているという。その首謀者はキーン。白の司祭リュークもたびたびそこを訪れているらしい。
そしてログヌス、ロブロはなかなか話そうとはしなかった。
ハーディは眼を怒らせじっとロブロを見つめた。
その沈黙の時間に耐えかねたかロブロは遂に口を開いた。
「ログヌスに於いて布教の手助けをしているのは・・ディアスと言う男と・・・・」
「ディアス・・それと誰だ。」
ハーディの眼は益々険しくなった。
「恐れ多くはございますが・・・」
「エラか。」
ハーディは怒声を発した。
エラがディアスに恋心を抱いていたと聞いたことはあった。しかしディアスは異郷に去り、今、エラと会うことはないはず・・それがなぜこのログヌスに・・・
怒気を発したハーディの心臓がドクッと一つ大きく波打ち、彼の脳に黒紫の血を送り込んだ。
「退がれ。」
ハーディの口から低い声が出た。
エッとハーディを見るロブロにもう一度、
「退がれ。」
と、地の底から響く様な声が響いた
エラといつも一緒に居たのはタリス。ハーディはミズールにいるタリスを呼び出し、ミズールでのアイクアリー教の様子、それにエラの側に居る男ディアスについて問いただした。前の質問にはタリスは憂いを見せ、後の質問には知らぬと言い切った。
ハーディは悩んだ。タリスの一番弟子とやらはあの顔、ディアスとは似ても似つかない。では、いったい・・・
その思惑をよそにエラは以前よりもハーディと居る時間が長くなっていた。それが益々ハーディを惑わせた。エラはハーディの政治の相談相手にまで成ろうとしていた。そんな日々が続く中、ヘンリーがログヌスに着いた。
ヘンリーは横柄な態度でハーディに面会した。
「今さら勉強会もなかろう。」
「いいえ、学習して貰います、レジュアスを治める為。」
ハーディは苦々しい顔でヘンリーを見た。 しかしハーディ自身は忙しい。誰がヘンリーに教育を施すのか・・・思い悩むハーディを救う様に執務室の扉が開いた。
「私が教えましょう。」
そこにはエラが立っていた。最近のエラにはその資質があるかもしれぬ。ハーディはそう思った。が、宗教・・・
「私と一緒に勉学に励む。それでいいわね、ヘンリー。」
王の迷いの顔も無視した、姉の威厳に圧されたか、ヘンリーは渋々頷いた。
「別邸で私と一緒に学習させます。」
エラはそう宣言し、ヘンリーをハーディの執務室から連れ出した。
「今日は亡くなった父を偲びましょう。」
エラの別邸に設えられていたのは、亡くなった者を偲ぶと言うにはあまりにも豪奢な饗宴の席。豪華な料理があり、酒があり、女さえもが侍る宴。
ヘンリーはたちまち相好を崩した。
「姉上・・・」
「我が夫、ハーディは厳しい。ですがここでは思う存分に振る舞いなさい。」
エラは意味ありげに笑った。
この世のハーレム、それをヘンリーは存分に堪能した。
翌日、もう日が高くなる頃にヘンリーは目覚めた。
寝室の隣の部屋のテーブルには何度も置き換えたのか、暖かい朝食とエラの置き手紙があった。
“今日は街中に出ます”
その手紙にはそう書いてあった。
朝からワインを飲み、ほろ酔い機嫌でヘンリーも街に出た。街角の手招きに誘われフラフラとヘンリーは歩いた。そこに待っていたのは姉エラ。
「姉さんは私を解ってくれている。」
ヘンリーはエラの顔を見るとすぐに相好を崩した。
「この街ははまだまだこんなものじゃぁありませんよ。」
エラもまたヘンリーに笑いかけた。
その横に居る男・・ディアスとやらに似ている・・・ヘンリーはちらっと思った。
悪夢は消えた。だがハーディは身体の不調を覚えていた。時として躰のあちこちがピクピクと痙攣する。そればかりか最近は筋肉がボコボコと波打つことまであった。それはポルペウスから帰ってきてからずっと続いていた。
そんなハーディの私室に従者がナザルが来ていると伝えて来た。その日のハーディの目覚めは悪かった。酷く頭が痛み、吐き気までを催していた。それをおしてハーディは執務室に行った。
「いつもここですな。」
ナザルがハーディに笑いかける。
「高い所は嫌いでな。」
それにハーディも強いて笑いで応える。
「ヴィンツはまずロゲニアと話をつけてから来いと言いました。
ロゲニアまで通して、初めてこの道は生きると。」
「そうだろうな。」
ハーディは浮かない貌をした。
「それで・・・」
いいんですか。とナザルは言い掛けた。
「まぁ読めていた。
テアルに道を通すだけでは、ヴィンツにはほとんど実利はない。ロゲニアと同時か・・・」
ハーディは頭を抱え込んだ。
タリスに聞いてもロゲニアとは外交的に上手くいっていないという。彼の国はその武力を背景にミズールを狙っている。
ミズールは東に突出した村、だがハーディの戦略に欠かせない村でもあった。
ミズールの戦力は国全体の方針とは反して増強されていた。その武力でミズールを護り、交渉を進めようというハーディの腹だった。が、キーンは勝手にフレンツ川を越えた。そこは本来ロゲニアに与えられた土地であった。当然ロゲニアとの間に諍いが起きる。ハーディはそれをタリスが押さえ込めるものと思っていた。が現実は違った。キーンはミズールに退き帰させたが、ロゲニアはあちこちに兵を送り軍縮に走るハーディを悩ませた。
もう一つ・・町を造ることをハーディは考えた。そこに有力な情報が入った。フレンツ川の西岸すぐに町の跡があるという。そこは砦のような造りをなし、今はならず者達が集まっている。土地の者によればそこは昔はある程度の規模で、外敵から守る為に砦の形状を成していたという。古い名ではそこはドボーグと呼ばれていた。
ハーディの執務室にタリスとロブロが呼ばれた。
タリスにはキーンとラックを連れてドボーグの再建に当たるようにとすぐに送り出した。
そしてロブロ、
「ここでの警察活動の任を解く。」
エラ様の件が・・・ロブロは下を向いた。
「そのような貌をするな。新しい任について貰うだけだ。」
ハーディの声にロブロは顔を上げた。
「アインとイーラスと伴にミズールに行って貰う。
そこの政治をお前に任せる。」
起ち上がるロブロにハーディは近づき、
「エラのことは伏せておいてくれ。」
と、そっと耳打ちをした。




