五人の“泥棒”と盗まれる運命
彗星が夜空を駆け抜けてから数日、久留米の街は確かにいつもとは違う空気を纏っていた。テレビのニュースでは「未曽有の電波障害」と「異常気象」が連呼され、西鉄の運行は不安定なまま。スマホの画面は時折奇妙なノイズを走らせ、しずくのクラスメイトたちは「マジ、だるいんだけど」「学校休みにしろって」と、まだ事態の深刻さを理解していない様子だった。彼らにとって、それは日常に紛れ込んだ、些細なノイズに過ぎない。しかし、しずくの感覚は、あの夜から研ぎ澄まされていた。街を歩けば、アスファルトの隙間から微かに漏れる、普段は気づかないはずの地脈の唸りを感じ、空を見上げれば、澄み切った青さの裏に、なにか巨大なものが蠢く気配を肌で感じた。彼女の「普通」は、すでに遠い過去の遺物となっていた。
そんなある日の放課後、しずくは天文学部の部室にいた。祖父の遺した古文書を読み解こうと、辞書を片手に悪戦苦闘している。難解な文字と、まるで暗号のような挿絵。頁を指でなぞると、再びあの夜のひやりとした感触が蘇る。指先から脳裏に、直接何かが流れ込んでくるような錯覚に陥った。それは、途方もなく古く、途方もなく重い、途方もなく真実味を帯びた感覚だった。
ゴツン!
突然、背後から鈍い音が響いた。驚いて振り返ると、そこには見慣れない五人の青年が立っていた。いつの間に? 彼らの出現は、まるで影絵が現実になったかのように、あまりにも唐突だった。部室の扉は閉まっているはずなのに、彼らはそこに「いた」。そして、部室の空気は、一瞬にして温度を失ったかのようにひんやりと冷たくなった。
一人は、色素の薄い髪に、宝石のような翠の瞳。もう一人は、黒曜石のように深い瞳を持つ、笑みを浮かべた少年。次には、深い青色の髪を揺らす、物憂げな雰囲気の青年。その隣には、漆黒の髪に、どこか諦念を宿したような眼差し。そして最後の一人は、フードで顔を隠し、その表情は窺えない。彼らの纏う空気は、この世界の常識を軽々と超えていた。まるで、別の次元から迷い込んできたかのような、異質な存在感。彼らを見ていると、しずくの「普通」という感覚が、根底から揺さぶられるのを感じた。
「ようやく見つけたぜ、
星の乙女」
一番手前に立っていた、翠の瞳の青年が、ニヤリと笑った。その声は、深淵の底から響くように低く、しずくの鼓膜ではなく、直接、魂に触れるような響きを持っていた。
「あんたが探しているものは、俺たちが持ってる」
彼は、何の躊躇もなく、しずくが広げていた古文書を指差した。「正確には、それを開ける鍵だ。あんた自身がな」
しずくは困惑した。目の前の状況が理解できない。 「えっと、あの……どちら様ですか? もしかして、新入生? でも、みんな年上、ですよね……?」 我ながら間の抜けた質問だ。いやいや、それ以前に、なんでこの人たち、鍵がどうとか、私が探してるものとか、知ってるの? 頭の中が疑問符で埋め尽くされる。
黒曜石の瞳を持つ青年が、くすりと笑った。 「俺たちは鍵を開ける者、あるいは──泥棒とでも呼んでくれ」
泥棒? しずくは思わず、持っていた辞書を落としそうになった。何、この胡散臭い自己紹介? だが、彼らの眼差しは、真剣そのものだった。まるで、それが彼らにとって、あまりにも当然の、揺るぎない事実であるかのように。
翠の瞳の青年が、一歩前に出る。 「君の中に、
封印された星神の欠片が宿っている。このままでは、世界は終わる。それを防ぐには、欠片を集め、封印を解かねばならない」
彼の言葉に、しずくの心臓が大きく跳ねた。世界の終わり? そんな、まるで物語の中の話だ。しかし、あの夜の彗星、時間の停止、仮面の少年……。全てが、彼の言葉と繋がっていく。
「そして、その封印を解く方法は一つ。俺たちが、君の何かを”盗む”ことだ」
青年は、まるで当たり前のことを言うかのように、淡々と告げた。 「その『盗み』は、君の命、記憶、涙、声、そして……愛のいずれかを奪うことで行われる」
しずくは絶句した。「命、記憶、涙、声、愛」? どれも、自分にとってかけがえのないものばかりだ。それを、奪う? しかも、目の前のイケメン……もとい、自称「泥棒」たちが? 無茶苦茶だ。まるで悪夢でも見ているかのような、非現実的な話だった。
しかし、同時に、しずくの心の奥底に眠っていた「静かなる渇望」が、大きく脈打つのを感じた。自分が、特別な存在になれるかもしれない。この、退屈で普通な日常から抜け出し、何か大きなものの役に立てるかもしれない。そんな、抗いがたい誘惑が、彼女の心を震わせた。
「どうする、星の乙女。君が望むと望まざるとにかかわらず、この運命からは逃れられない」
翠の瞳の青年が、追い打ちをかけるように言った。その言葉には、有無を言わせぬ、強い意志が込められていた。
しずくは、唇を噛み締めた。戸惑いはあった。恐怖もあった。だが、それ以上に、今まで感じたことのない、強い使命感のようなものが、彼女の胸に芽生えていた。 「私にしかできない…使命、なの?」
誰かの役に立ちたい、と漠然と願ってきた自分が、今、本当に世界を救う鍵なのだとしたら? この奇妙で、理不尽な運命を受け入れることで、彼女の普通だった世界が、本当に意味を持つようになるのかもしれない。
彼女は、震える手で、祖父の古文書を強く握りしめた。紙の冷たさが、決意の熱に変わっていく。 「…わかったわ」
しずくは、顔を上げた。翠の瞳の青年、そして残りの四人の「泥棒」たちをまっすぐ見つめる。
「私、やります。世界を救うため、私、盗まれる運命を選びます」
その言葉は、誰に聞かせるわけでもなく、彼女自身の心に深く刻まれた。覚悟を決めたしずくの瞳には、もう「普通」の女子高生の影はなかった。そこに宿っていたのは、広大で危険な、それでいて抗いがたいほど魅惑的な物語の、まさに主役となる「星の乙女」の揺るぎない輝きだった。