表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
12/13

記憶のない少女と、星降る夜の再会

 あれから一年。久留米の街は、彗星の災厄と異空間の歪みから、奇妙な回復を遂げていた。まるで悪夢が過ぎ去ったかのように、人々は再び「普通の日常」を取り戻し、記憶の彼方に沈んだはずの傷跡は、都市の隅々に、あるいは人々の心の奥底に、見えない形で残されていた。駅の電光掲示板は正常に時刻を刻み、スマホの通信も安定している。かつての狂乱が、嘘だったかのように。

 しずくは、ごく普通の高校生に戻っていた。朝は目覚まし時計のけたたましい音で目を覚まし、焼きたてのパンの匂いに誘われて食卓へ向かう。真新しい制服に身を包み、少し大きめの通学カバンを肩にかけ、見慣れた通学路を歩く。彼女の記憶には、異世界での冒険も、泥棒団の仲間たちのことも、ユウマとの悲しい別れも、一切残されていなかった。そこにあるのは、ただ、穏やかで平穏な、十六年の人生だけだ。

 彼女の通う高校の教室では、黒板にはチョークの粉が舞い、机の上には教科書や参考書が山と積まれている。昼休みには、友人の他愛ない恋バナに耳を傾け、時には大声で笑い合う。放課後には、クラスメイトと駅前のカフェで新作のスイーツを試したり、近くの公園でバドミントンをしたりする。ごくありふれた、しかし、確かに幸福な日々。しずくの瞳は、昔の憂いを帯びた色を失い、太陽の光を浴びた新緑のように、澄んで輝いていた。

 その夜、久留米の空は、特別な輝きを放っていた。一年ぶりの大流星群。夜空を彩る星のシャワーは、まるで世界が生まれ変わったことを祝うかのように、美しく、そしてどこか切なかった。しずくは、友人と共に土手の上に寝転がり、無限に降り注ぐ光の粒を見上げていた。冷たい夜風が髪を撫で、遠くから聞こえる川のせせらぎが、その静けさを一層際立たせる。

 視界いっぱいに広がる星の海に、しずくは思わず、小さなため息を漏らした。 そして、無意識のうちに、その唇が言葉を紡ぎ出す。 「…また、あの空で」 その言葉に、何の記憶も意味も伴っていなかった。ただ、胸の奥底で、かすかに響く懐かしい調べのように、自然とこぼれ落ちただけだった。

 その瞬間だった。 流星の軌道が、夜の帳を切り裂くかのように眩く輝く中、五つの影が、土手の向こうからゆっくりと、しずくの前に現れた。

 先頭に立つのは、整った顔立ちに、どこか鋭い眼差しを持つ青年。レンだった。彼の隣には、穏やかな笑みを浮かべたセラが続き、手には、かつてのハーブティーではなく、缶コーヒーが握られている。その奥には、ヘッドフォンを首にかけ、どこか気だるげなジン。そして、一番後ろには、相変わらず感情の読めない表情を浮かべたカイ。そして、もう一人、彼らとは少し距離を置いて、ユウマが立っていた。彼の瞳は、しずくを見つめ、複雑な光を宿している。

「…こんばんは」 レンが、ごく自然な笑顔で、しずくに話しかけた。その声には、過去への追憶と、新たな出会いへの期待が入り混じっていた。

 しずくは、彼らをじっと見つめた。彼らの顔には、見覚えがなかった。しかし、心の奥底で、何かが微かに震えるような、不思議な感覚に襲われる。だが、それはすぐに消え去り、彼女は明るい笑顔を彼らに向けた。

「…はじめまして」

 しずくのその言葉に、彼らの胸に様々な想いが去来した。レンは、かつてしずくを救うために古文書を紐解いた日々の記憶を胸に、彼女の笑顔を見つめる。セラは、しずくの失われた記憶の代わりに、新たな幸せを築いていくことを静かに願った。ジンは、言葉にできない思いを、心の奥底で奏で続ける音楽に変える。カイは、無表情のまま、しかしその瞳の奥には、彼女を再び失わないという固い決意を宿していた。ユウマは、愛する者の記憶から消え去った悲しみを胸に、それでも彼女の幸福を願い、静かにその場に立つ。

 彼らは、記憶のない少女に、それぞれの想いを胸に、再び近づいていく。星降る夜の下、新たな物語が、静かに、しかし確かに始まろうとしていた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ