誰かを選び、誰かを失う夜
ユウマが振り下ろした星神の欠片から放たれる冷たい光が、しずくの目前に迫る。その凍てつく輝きは、まるで死神の鎌のようだった。レンの魔力の奔流 、セラの光の結界 、カイの漆黒の刃 、ジンの調和の歌 ──泥棒団の四人がそれぞれの力でユウマの攻撃を阻む中、しずくは時間の流れが、ゆっくりと、しかし確実に引き伸ばされていくのを感じていた。世界の崩壊は止まらず、アジトの壁はひび割れ、異空間の冷たい風が吹き荒れる 。
しずくの脳裏に、ユウマの悲痛な声が響き渡る 。
(君が、僕との愛を取り戻せば、星神は完全に力を解放する。そして、この世界に存在する全てを…無に帰すんだ)
(だから…君を、殺すしかないんだ。君を…器から解放することでしか、この世界を、救う方法はない)
ユウマの言葉が示すのは、二つの絶望的な選択肢だった。彼を愛し、その愛を受け入れれば、彼女自身が星神の器となり、世界は無に帰す 。愛を否定すれば、ユウマの真の願いを拒絶することになる。それは、彼女の心の奥底に宿る、彼への深い愛情を否定することであり、彼女自身の心が、音を立てて崩れ去ることを意味した。これまで積み重ねてきたユウマとの記憶、温かい手のひらの感触、優しい声。それら全てを、自分で引き裂かなければならない。まるで、生きながらにして心臓を抜き取られるような、激しい痛みがしずくの全身を駆け巡った。
どちらを選んでも、何かが失われる。愛を選べば世界が消える。愛を否定すれば、自分の心が壊れる。 そんな、あまりにも残酷な二択。 だが、その時、しずくの脳裏に、泥棒団の仲間たちの顔が鮮やかに浮かび上がった。レンの厳しくも優しい眼差し 、セラのすべてを受け入れるような温かい微笑み 、カイの無表情の奥に秘められた深い執着 、ジンの言葉にできない思いを伝える音楽 。彼らは、彼女が記憶を失い、この世界に迷い込んだ時から、常にしずくの傍にいた。共に戦い、共に笑い、共に涙を流し、互いの命を分け与えてきた 。彼らは、しずくが「しずく」であるために、かけがえのない存在だった。彼らとの絆は、愛という個人的な感情を超え、もはやしずくの存在そのものに深く刻まれていた。
「愛を…選べない」 しずくの唇が、震えるように動いた。それは、ユウマへの愛を否定する言葉ではなかった。ただ、世界を滅ぼす愛の形を、彼女が選べない、という悲痛な叫びだった。そして、彼女の瞳は、ユウマの奥で揺れる苦悩の光を捉え、決意に満ちた輝きを宿した。
「私を…盗んで」
しずくの口から絞り出されたその言葉は、悲鳴にも似ていた。それは、ユウマに向けられたものではなく、レンたち泥棒団の仲間たちへ向けられた、究極の信頼と、そして自己犠牲の願いだった。彼女は、自分自身を、彼らに託したのだ。星神の器である自分を、愛によって世界を滅ぼす可能性を秘めた自分を、彼らに「盗んで」もらうことで、その運命から解き放ち、この世界を救おうとした。
レンの瞳が、驚きに見開かれる。セラの顔に、痛みが走った。カイは一瞬、その無表情の奥に微かな動揺を覗かせたように見えた。ジンだけが、変わらず深く目を閉じ、しかし彼の音楽は、より強く、激しく、しずくの決意と共鳴するように響き渡った。
ユウマは、その言葉を聞き、振り下ろしかけていた星神の欠片の動きを、ぴたりと止めた。彼の瞳に、深い絶望の色が広がる。しずくが選んだのは、彼が提示した二択のどちらでもなかった。それは、ユウマが最も望まない、しかし彼には止められない、しずく自身の「愛」の形だった。自らの運命を、最も信頼する者たちに委ねることで、世界を、そして愛するユウマをも、同時に救おうとする、究極の選択。
しずくの身体から、微かな光が溢れ出す。それは、彼女の身体に刻まれた全ての刻印が、今、活性化しようとしている兆しだった。彼女は自らを犠牲にして、彼ら5人に全てを託した。その光は、泥棒団のメンバーたちへと伸びていく。彼らは、しずくのこの選択を受け入れるのか。そして、しずくのこの「盗んで」という願いは、彼らに、そして世界に、何をもたらすのか。夜は更け、久留米の街は、混沌と光に包まれていく。