第7章
豪華絢爛、という言葉をそのまま物理的に具現化したかのような、途方もなく広大な謁見の間。
壁という壁には、金糸銀糸を惜しげもなく使って緻密な絵柄が織り込まれた、巨大なタペストリーが何枚も飾られている。
天井からは、目も眩むほど巨大で、そしてこれまた悪趣味なほどに装飾過多なシャンデリアがいくつも吊り下げられ、部屋全体を昼間のように明るく照らし出している。
床には、一歩足を踏み入れるたびに膝まで沈み込みそうなほどふかふかの、深紅の絨毯がどこまでも敷き詰められており、まるで雲の上を歩いているかのような、奇妙な浮遊感を覚えさせる。
だがしかし、だ。
リュカは、そのあまりにもきらびやかで現実離れした空間の中で、まるで獲物を狙う猫みたいに、しきりに鼻をひくつかせていた。
(なんか……この部屋、やけにカビ臭くない? 見た目だけは一丁前だけど、掃除は行き届いてない三流ホテルみたい。見かけ倒しね、この王宮も)
どうやら、このカル=レア王国の国王陛下とやらは、見えないところの掃除はあまり熱心にしないタイプらしい。
だらしがないことだ。
「おお! よくぞ、本当によくぞ参られた、勇者殿たちよ! この日をどれほど待ちわびたことか!」
部屋の一番奥、周囲よりも一段高くなった場所にこれみよがしに置かれた、これまたやけに派手で悪趣味な黄金の装飾が施された玉座から、やけに恰幅のいい、見るからに人の良さそうな(あくまで見た目だけだが)初老の男――このカル=レア王国の国王陛下その人が、まるで舞台役者のように芝居がかった大げさな仕草で両手を大きく広げ、俺たちを歓迎した。
その顔には、「待ってました! 救世主様ご一行!」とでも油性マジックでデカデカと書いてあるかのような、非常に分かりやすい満面の笑みが胡散臭く浮かんでいる。
「私たちは、そなたたち勇者一行の来訪を、首を長くしておりましたぞ!」
「はあ……どうも。それはそれは、ご丁寧に痛み入ります」
リュカは、明らかに興味なさそうに、それでいてどこかこの状況を値踏みするかのような鋭い目で周囲をキョロキョロと見回しながら、心ここにあらずといった感じで適当に返事をした。
なんだろう、この光景、どこかで一度経験したことがあるような……いや、そんなはずはない。
気のせいか。まさか、な。
「して、勇者殿。早速で大変恐縮ではあるのじゃが、我が国の現在の危機的状況については、既にそなたたちの耳にも入っておろうかな?」
「ええ、もちろん知ってるわよ。なんかやたらと強そうで、おまけに性格も悪いっていう、魔王のことでしょ?」
リュカが、さも当たり前といった感じで答えると、国王の動きが一瞬、本当にほんの僅かな間だけだったが、まるでフリーズしたかのようにピシリと固まった。
「な、なんと! よくぞご存じで! さすがは異世界から選ばれし勇者様、その情報収集能力たるや、我が国の諜報部隊も真っ青の天下一品ですな!」
国王は、すぐに胡散臭い、人の良さそうな笑顔(ただし目は笑っていない)に戻って、まるで壊れたテープレコーダーみたいに、過剰なまでに俺たちを褒め称え始める。
「だって、それしかないじゃないのよ、普通。ファンタジー世界の異世界に、わざわざ面倒な手続きを踏んでまで勇者が呼び出される理由なんて、十中八九、っていうか百発百中で、極悪非道な魔王とその愉快な仲間たちをぶっ飛ばして世界平和を取り戻すため、って相場が決まってるんだから」
リュカは、周囲の目など一切気にすることなく、隠そうともせずに大きなあくびを一つした。
だが、なぜ自分がそんな異世界ファンタジーの「お約束の相場」とやらを、まるで自分の体験談のようにスラスラと知っているのか、彼女自身もまったくよく分かっていないようだった。
まるで、誰かから事前にこの世界の知識を、ご丁寧にも懇切丁寧に刷り込まれていたみたいに。
「で、その魔王って、具体的にどこらへんに根城を構えてるわけ? さっさと乗り込んで、得意の爆裂魔法で木っ端微塵にしてやるから、案内してちょうだい」
「魔王は北の果て、暗黒と絶望の山脈のさらに奥深くにそびえ立つ、漆黒の魔王城に……」
「ふーん、いかにもって感じで、ありがちねー」
俺は、その間ずっと黙って、周囲の状況とそこにいる人間たちの些細な動き一つ一つを、冷静に、そして徹底的に観察し続けていた。
国王の目が、まるで尋問を受けている罪人のように、落ち着きなく左右に動き、時折、玉座のすぐ横に、まるで置物のように微動だにせず控えている、見るからに腹黒そうな初老の大臣の方をチラチラと盗み見ている。
その腹黒そうな大臣は、手にした古めかしい羊皮紙の巻物――おそらくは何かの「台本」か「指示書」のようなものを、必死になって目で追っている。
額には、滝のような脂汗がびっしょりと浮かんでいた。
そして、謁見の間の四隅に、まるでマネキン人形か何かのように微動だにせず直立している、鎧兜に身を固めた屈強な近衛兵たちの立ち位置が、妙に芝居の舞台セットめいていて、どうにも不自然だ。
まるで、床に見えない線でも引かれていて、その線に沿って寸分の狂いもなく等間隔に配置されているかのようだ。
これは、どう考えてもおかしい。
「勇者殿! どうか、どうかこのカル=レア王国をお救いくだされ! あの邪悪なる魔王の非道な圧政に、日夜苦しめられている、我ら哀れな民を!」
国王が、玉座からやおら立ち上がり、まるで三文芝居のクライマックスシーンの熱演でもしているかのように、悲痛な表情で(あくまで表情だけだが、その目は少しも悲しそうではない)俺たちに深々と頭を下げて懇願する。
「このカル=レア王国の……いや、この世界の輝かしい未来と、そこに住まう全ての人々の恒久の平和のために!」
パチパチパチパチ。パチパチパチパチ。
国王の、聞いているこっちが恥ずかしくなるくらい熱っぽく、そしてわざとらしい熱弁が終わると同時に、どこからともなく、玉座の周囲に控えていた大臣たちが、まるで申し合わせたかのように一斉に乾いた拍手を送り始めた。
そのタイミングは、まるで長年訓練されたプロの楽団の演奏のように、恐ろしいほど完璧すぎる。
「……」
俺とリュカは、思わず言葉を失って顔を見合わせた。
これは、どう見ても……いや、どう考えても、出来すぎている。
「ねえ、そこの偉そうな王様」
リュカが、元気よくピンと右手を挙げた。
「その魔王ってさ、一体いつから魔王なんていう、時代錯誤も甚だしい職業に就いてるわけ? 初代? それとも、代替わりして二代目とか三代目とかだったりするの?」
「え? あ、ええと……それは、その……」
「だって、そうでしょ? あんたたちの話だと、定期的に、勇者がこの国に来てるみたいじゃないの。その度に、魔王は勇者にコテンパンに倒されてるはずよね? それならもうとっくに、何回も代替わりしててもおかしくないと思うんだけど」
リュカは、自分でも何を言っているのかよく分かっていないような、本当に不思議そうな顔をしていた。
「そ、それは……ですな……その……」
国王が、明らかに言葉に詰まって、狼狽えているのが手に取るように分かった。
その額には、もはや滝ようなの脂汗が、びっしょりと玉のように浮かんでいた。
「ま、魔王は、その、不死身なのでございます! そう、不死身! たとえ何度倒されても、すぐに、それこそゾンビも真っ青になるほどの生命力で復活を遂げ……」
「へー、不死身なんだ。それって、ある意味すごく便利じゃない。だって、それなら何度でも勇者を呼べるってことだもんねー」
「そ、その通りでございます! まことに恐ろしく、そして厄介極まりない存在でして……」
「じゃあさ、質問なんだけど。倒しても倒しても、何度でも蘇ってくるんなら、そもそも倒す意味、あんまりなくない? それって、ただの時間の無駄じゃないの?」
「!?」
謁見の間に、まるで時間が止まったかのような、水を打ったような重い沈黙が流れた。
国王も、腹黒そうな大臣たちも、そして微動だにしなかったはずの近衛兵たちまでもが、金縛りにでもあったかのように完全に固まっている。
その重苦しい沈黙を破ったのは、意外にも俺だった。
「……とりあえず、俺自身の目で確かめてみる必要があるな」
「は? ゆ、勇者殿、今、なんと仰せられましたかな……?」
「だから、そのふざけた魔王とやらに、俺が直接会ってみる、と言ったんだ。話はそれからだ。それで、そいつが本当に邪悪で、世界を脅かすような危険な存在なのかどうか、この俺自身の目で、俺自身の判断基準で、しっかりと見極めさせてもらう」
「な、なんと勇猛果敢な! さすがは選ばれし勇者様!」
「いいね、それ! さすがはあたしの勇者、ナオ君ね!」
俺のその言葉に、それまで退屈そうにあくびを噛み殺していたリュカが、目をキラキラと輝かせて飛びついた。
「そうよそうよ! まずは当事者同士で、腹を割ってとことん話し合うのが一番大事よね! 意外と、その魔王ってやつも、話せば分かる、気のいいヤツかもしれないじゃない!」
「い、いやいや、勇者殿、リュカ殿! 魔王は問答無用の、絶対的な邪悪の化身でございまして……話し合いなどという、そんな生易しい手段が通じる相手では断じて……!」
「まだ直接会ってもいない相手のことを、最初から頭ごなしに悪いヤツだって決めつけてかかるのは、とっても良くないことだと思うわ。それって、すごくアンフェアで、卑怯なことじゃないかしら?」
リュカが、まるで正義のヒロイン気取りで、人差し指をビシッと国王に向けて言い放った。
国王と、その取り巻きの腹黒そうな大臣たちは、みるみるうちに顔面蒼白になっていく。
誰かが、「まずい……これは完全に台本にない、想定外の展開だぞ……!」と、蚊の鳴くような小声で呟いたのが、やけにはっきりと俺の耳に届いた。
どうやら、俺たちのこの異世界ライフは、最初から最後まで、一筋縄ではいかない波乱万丈の、そしてとんでもなく厄介な旅になるという予感しかしなさそうだった。