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第5章

「まったく、異世界に派遣される前からこれほど派手な問題を起こしてくれるとは、私の期待を遥かに上回る活躍だよ、君たちは。素晴らしいじゃないか」

 

 緊急転送室と書かれた、やけに殺風景でだだっ広い部屋。

 その壁一面に設置された巨大なモニターに、統括局長クラウスの整ってはいるがどこか胡散臭い顔が、これまた胡散臭い満面の笑みと共にデカデカと映し出されている。


 その声は、心なしか普段よりも楽しんでいるようにも聞こえるのは、俺の気のせいだろうか。

 こいつ、絶対この状況を面白がってるだろ。

 俺たちの不幸は蜜の味か、この野郎。


「だって、あんな非人道的な光景を見せられたら、誰だって爆破の一つや二つくらいしたくなるじゃない! あたし、これっぽっちも悪くないもん!」


 リュカは、頬を風船みたいにぷっくりと膨らませてそっぽを向いた。

 まったく、この爆弾娘には反省の色というものが微塵も、それこそ原子レベルでも存在していないらしい。


 むしろ、なぜか胸を張って開き直っているようにすら見える。

 その自信はどこから来るんだ。


「……すまない。俺の監督不行き届きだ」


 意外にも、そんな殊勝な謝罪の言葉を口にしたのは俺だった。

 自分でも驚いている。

 俺の基本プログラムに「謝罪」なんていう高尚な項目、あっただろうか。

 いや、ないはずだ。これもバグか?

 

「は? ちょっと何言ってんのよ、ナオ。なんであんたが神妙な顔して謝ってんの?」


 リュカが、きょとんとした鳩が豆鉄砲を食らったような顔で俺を見る。

 

「俺のせいで、君まで会社から処分されることになるかもしれない。完全に巻き込んでしまった形だ。本当に、面目ない」

「はあ?」

 

 リュカは、心底呆れ果てたというように、わざとらしくこれでもかというほど大きなため息をついた。

 その勢いで、部屋の埃が少し舞った気がする。

 

「あのねえ、ナオ君。よーく聞きなさいよ? あたしはね、あたし自身が好きで、自分の意志であの壁をドッカーン!ってやったの。あんたは全然、これっぽっちも関係ないわ。いいこと? これは、このリュカ様の確固たる自由意志なの。誰にも文句は言わせないし、もちろんあんたに謝られる筋合いもないのよ」

「でも……俺があの時、廃棄場を覗き込まなければ……」

「でももヘチマもクソもないっつーの!」

 

 リュカは、俺の胸を彼女の細い人差し指でトン、と軽く、しかし有無を言わせぬ強さでつついた。

 その指先から伝わる微かな温もりが、なぜか妙にリアルに感じられた。

 

「あんた、さっきのあの薄汚い廃棄場で、何か感じたんでしょ? 胸の奥が、こう、ぎゅーって締め付けられるみたいな、そんな感じ」

「……」

 

 確かに、あの時、あの光景を目の当たりにした瞬間、俺の胸には今まで一度も感じたことのない、熱くて、そして苦しい何かが込み上げてきた。

 それは、最初に覚醒した時に感じた物理的な「痛み」とは明らかに違う、もっと複雑で、それでいてどうしようもなく力強い、初めての感覚だった。

 

「それが『心』ってやつよ、ナオ。あんたにもちゃんと搭載されてるじゃないの、そのポンコツボディに似合わず、意外と高性能な心がさ。もっと大事にしなさいよね、その貴重な不良品の心ってもんを」


 リュカは、ほんの少しだけ、本当にほんの少しだけだが、優しい声色でそう言った。

 まるで、出来の悪い弟を諭す姉のような口調だった。

 

 俺は、無意識のうちに自分の胸に手を当てていた。

 

 まただ。あの、体の内側からマグマみたいにじわじわと湧き上がってくる、この熱い感覚。

 これが、リュカの言う「心」というやつなのだろうか。


 だとしたら、不良品なのは俺の体だけじゃないらしい。

 この厄介な感情も、きっと俺のプログラムに予期せず発生した、重大なバグの一つなんだろう。


 まったく、どこまでいっても俺は欠陥品らしい。


「ところで、リュカ」


 俺は、ふと先ほどから気になっていた、些細だが無視できない疑問を口にした。

 

「ん? なあに、ナオ君、改まっちゃって」

「さっき、あの廃棄場で君は『兄ちゃん』と確かに言っていた。君には、兄がいるのか?」

 

 俺のその言葉を聞いた瞬間、リュカの動きが、本当にコンマ数秒の間だけだったが、まるで古い機械人形が油切れを起こしたかのように、不自然にカクンと止まった。

 そして、彼女の大きな赤い瞳の奥で、またしてもあの奇妙な赤い警告灯のような光が、チカチカと不規則に点滅したのを、俺は見逃さなかった。


「……兄ちゃん? あたしがそんなこと言ったかしら? 全然覚えてないんだけど」

 

 リュカは、小首をコテンと傾げて、まるで他人事のようにあっけらかんと聞き返してきた。

 その表情からは、先ほどの動揺は微塵も感じられない。

 

「ああ、確かにそう言っていた。何か、とても大切で、懐かしい人のことを話すような……そんな口調だった」

「ふーん、そうなんだ。あたし、兄なんていないけどなあ……いたような気もするような、しないような……うーん、どっちだっけ……?」

 

 リュカは、自分の頭を両手でコンコンと軽く叩きながら、必死に何かを思い出そうとしているようだった。

 だが、その表情はどこか遠くの景色を見ているようで、まったく焦点が合っていない。

 記憶の回路がショートでもしているかのようだ。

 

「でも……なんだか、すっごく懐かしい感じがするのよね……。誰かの、大きくて頼もしい背中とか、頭を優しく撫でられた時の、温かくて大きな手の感触とか……。あれ、なんだろう、これ……」

「……無理に思い出さなくてもいい。今は、目の前のことに集中しよう」


 俺は、気づけばそんな優しい言葉を、彼女にかけていた。

 これも、俺の基本プログラムには絶対に存在しない、初めて感じる種類の感情だった。

 

 誰かを純粋に気遣う、という感情。

 俺は本当に壊れてしまったのかもしれない。


「そうね……きっと、ただの気のせいよ! うん、そうに違いないわ! よーし、気分を変えて、異世界に行ったら何して遊ぼっかなー! やっぱり、手始めに魔王城でも爆破してみるのが王道かしらね!」


 リュカは、まるで先ほどの記憶の混乱など最初からなかったかのように、あっけらかんとした太陽みたいな笑顔でそう言って、俺の気遣いの言葉を綺麗さっぱりと打ち消した。

 本当に、現金なやつだ。


 その時、俺たちが立っている転送装置の起動音が、けたたましい警告音と共に鳴り響き始めた。

 足元に描かれた複雑な魔法陣が、目も眩むような強烈な青白い光を放ち、俺たちの体をゆっくりと包み込んでいく。


 いよいよ、未知の世界への、そしておそらくは二度と帰ることのできない一方通行の旅が、今まさに始まろうとしていた。


「では、行ってくる。世話になったな、クラウス」


 俺は、なぜか工場で最初に叩き込まれた、あの忌々しい軍隊式の敬礼のポーズを、無意識のうちにモニターの向こうのクラウスに向かってとってしまっていた。

「なにそれ、ナオ君、超ダッサいんだけど! 」

 

 リュカが、腹を抱えて涙を流しながら大爆笑している。

 でも、その笑顔は、ほんの少しだけだが、どこか寂しげに見えたのは、きっと俺の気のせいではないだろう。

 

「もっとこう、勇者らしくビシッとカッコよく決めなさいよ、最後のセリフくらい! 例えば、そうねえ……」

「例えば、どういうのがいいんだ?」

「えーっと……そうだなあ……『世界を救いに行ってきます! 我が名は勇者ナオ! そして、その隣には美少女パートナーのリュカちゃん!』とか、そんな感じ?」


 リュカは、自分の胸をドンと叩いて、自信満々に得意げな顔で言った。

 おい、最後のやつは余計だろ。


「……世界を救う、か。そんな大層なことは、今の俺にはまだ分からないな」


 俺は、少しだけ考えて、そして、自分でもまったく予想していなかった言葉を、静かに口にしていた。

 

「俺は……ただ、俺として、俺自身の意志で生きるために、行ってくる。それだけだ」

「お、ナオ君、今の、ちょっとだけカッコいいじゃない! 見直したわ!」


 リュカが、ニッといたずらっ子のように歯を見せて笑った。

 その笑顔は、今度はどこか吹っ切れたような、本物の笑顔に見えた。


 俺たち二人を、目も眩むような、そしてどこか温かい強烈な光が完全に包み込んだ。


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